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ここ数日。
あの対談の日から、一度もみょうじさんに会っていない。
俺もトレーニングが入っているから会わないことだっていくらかあったけど、今回は流石に長すぎる。
1週間だ。
1週間、彼が隣の部屋にいた気配はない。

何か、嫌われることをしたのか。
それとも、彼のいい人…というのとよろしくやっているのか…

仕事のために亮さんから貰った横峰さんの番号。
それを見つめて大きく息を吐いて、通話ボタンを押した。

『もしもし?』
「あ、あの…横峰さんですか?今時間少し平気っすか?」
『平気だよ。どうしたの?』

電話の向こうがやがやと人の話し声が聞こえる。
その中にみょうじさんの声を探してしまっていたのは無意識だった。

「…みょうじさん、って…今、何してますか?」
『なまえ?仕事してるけど…』
「家、帰ってるかとかわかりますか?」

俺の問いかけに彼女は黙り込んで、電話口から少し離れて「ちょっと出てきます」と彼女が言った。

『ごめんね。で、帰ってるかってどういうこと?』
「あ、いや…あの対談のあとから1度も会ってなくて。帰って来てる様子もないので」
『なまえが?…残業はしてるけど普通に帰ってる様子だったけどな。てか、帰って来てる様子ないって一緒に住んでるの?』

横峰さんからの予想外の質問に俺は息を詰まらせた。

「ち、違いますよ!!?ただお隣さんってだけで!!」
『お隣さん?あぁ、そういうことか…びっくりした』
「俺は横峰さんの質問にびっくりしました」

ごめんね、と彼女はクスクスと笑った。

『帰ってない、かぁ…』
「あ、いや。わからないならいいんです。ほら、いい人いるって言ってたじゃないですか?もしかしたらその人の家に行って…」

言葉にしながらどんどん胸が苦しくなっていく。
自分で言っておいて、なんでこんな…

胸の辺りのシャツを握りしめて唇を噛んだ。

『あーねぇ、…御幸』
「な、なんですか?」
『今日の夜と明日。暇?』

明日はオフだしまぁ一応、と答えれば彼女は少し黙り込んでから口を開いた。

『飲みながら話でもしようよ。相談乗ってあげる。亮介のことでも色々世話かけたみたいだし』
「え、いやけど…亮さんに悪いし」
『大丈夫。私が説得するから』

時間と場所は後でメールで送る、と彼女は言って電話を切った。

「こんなつもりじゃなかったんだけどな…」

思わぬ方向に話が進んでしまって、俺は小さく溜息をついた。





企画書の作成を終えて、椅子の背中を預ければ目の前に缶コーヒーが揺れた。

「…日和?」
「なんか、最近詰め過ぎじゃない?」
「そうでもねぇよ」

サンキュ、とそれを受け取ってそれを飲みながらデスクの上のファイルを開く。

「今日の夜、時間ある?」
「夜?あるけど」
「飲みに行こうよ」

彼女の言葉に俺は目を瞬かせてから笑う。

「遠慮しとく。彼氏、結構嫉妬深そうだったし」
「許可はもらったし。お祝いに奢ってよ。最近ずっと禁酒してたしパーッとね」
「ただ飲みたいだけかよ、お前。まぁ、いいよ。いつものとこで」

早めに切り上げられるようにするよ、と伝えれば彼女は微笑んだ。
その笑顔は昔の彼女のものだった。
何かを隠してる笑顔。

「…1回家に帰ってから行くから」
「おう、わかった」

自分のデスクに戻っていく彼女を見て首を傾げる。

彼氏と上手くいってない?
…そんなはずないか。
彼女は何を隠しているんだろうか。

コーヒーで喉を潤して目を閉じる。

「……ベッドで寝たいなぁ…」

疲れの取れていない体には怠さが残る。
肩のマッサージをしながら溜息をつく。

かれこれ一週間は家に帰っていない。
御幸さんにもそれだけ、会っていない。

会いたくないわけじゃない。
寧ろ凄く会いたい。
けど、帰りたくはなかった。

「…あーぁ、本当に重症だな」

日和に恋をしていた時よりもずっと、俺は恋をしている。

「…プロ野球選手な…」

いつだったか、数人の女の子がマンションに来たとき見せられた写真。
それに映る彼は東京の球団のユニフォームを着ていたような気がする。

俺はまともにテレビを見ないし、新聞のタブレットのもので必要な記事だけをピックアップして読んでいるから。
だから、彼を知らなかった。
御幸さんからすれば凄く珍しいことだっただろう。
だからこそ、多少なりとも親しくなれたんだと思う。
けど、こんな形で…

「こんな形で終わるとはな…」

缶コーヒーをデスクに置いてファイルのページを捲る。

あの対談の日の彼の写真を見て、首を横に振った。
仕事に集中しよう、と呟いてファイルを閉じた。

「編集長ー、営業課の人が来てます」
「わかった、今行く」





仕事を終えて、エレベーターに乗り込む。
時計を見れば10時を少し過ぎていた。
いつもよりは早い帰りだ。

これから行く、とメールを送れば私もこれから行くと返信が来た。
肌を突き刺す冷たい空気に吐き出した息は白く染まる。

「…冬、だなぁ…」

御幸さんはまた薄着でベランダに出ているんだろうか。

ふとした瞬間に御幸さんのことを考えてしまうのは本当に俺が彼に惚れてしまっているからだろう。
マフラーで口元を隠して俯いた。

「寒ぃ…」

1人の人に気持ちを振り回されて、頭の中が埋め尽くされる。
気が付けば仕事の手は止まってしまう。
それだけ想っているのに会いに行く勇気もない。

大人なのに、カッコ悪いな。

マフラーに隠した口元、
自分を嘲るように笑った。

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