03
「一也」

前に学校で会ってから数日後。
朝練を終えて下駄箱で靴を履き替えていた俺をなまえさんが呼び止めた。

「おはよう」
「おはようございます。ギリギリですね」
「朝練あったから。寝坊じゃねぇよ」

寝坊ですか?と聞こうとした俺の言葉より先に彼がそう言って笑った。

「寝坊ですかって笑うつもりだったろ?」
「何でわかってるんですか」
「なんとなく。昼にこの間の持っていくから」

待ってます、と伝えれば頭の上に彼の手が乗せられた。
ぽんぽんと頭を撫でて、彼は手を振って3年の下駄箱へ歩いていった。

頭を撫でられるのってなんか、慣れないなと自分の髪をかき混ぜて俺は教室へ急いだ。


昼休み。
彼は約束通り教室にやってきた。
彼の姿を目敏く見つけた女子が頬を染め、彼を見つめる。
その視線に彼は全く気付かず俺にひらひらと手を振った。

「場所、変えませんか?なまえさん」
「うん?いいけど。そんな時間かからねぇよ?」
「ここじゃ目立つんで」

なまえさんが。
グサグサと自分にまで突き刺さる視線。
俺がある程度クラスメイトと親しくしていれば後で囲まれて問いただされたであろう。
まぁ、俺に話しかけてくるのなんて倉持くらいだからその点は友達いなくてよかった。

何処に行っても彼は目立つだろうけど、教室の前よりはよっぽどマシだろう。
階段の踊り場の辺りで足を止めて、態々すいませんと言えば平気だよと彼は笑った。

「じゃ、これ」

新しく書き換えられた個人調査表には新しい母親の名前となまえさんの名前が書かれていた。

「先生達には俺から事情を説明しておくから」
「はい、ありがとうございます」
「俺の名字は卒業するまでこのままの予定」

卒業したら御幸なまえになる、と彼は言った。
その響きは凄く違和感があって。
でもいつかそれが当たり前になる日が来る。

「みょうじ」
「うん?」
「と、御幸…?」

聞こえた声。
階段を下りてきた人が俺達を見て目を丸くした。

「クリス先輩!!」
「珍しい組み合わせだな」

クリス先輩はそう言ってこちらに歩み寄ってくる。
そんな彼に何か用か?と首を傾げた。

「さっき部活の後輩が来てたぞ」
「あ、マジで?何年?」
「1年だ」

後で行くわ、となまえさんが言えばそうしてやれとクリス先輩が口元を緩めた。

「それにしても。どういう関係だ?」
「俺と一也?」
「あぁ」

なまえさんはこちらに視線を向けてから、一也の好きにすればいいよと朝と同じように頭を撫でた。

「なまえさんは…俺の兄貴です」
「珍しいな。御幸が俺に冗談言うのは」
「完全に信じてねぇな」

本当なのにな、となまえさんは困ったように笑った。
信じて貰えないとは分かっていた。
多分彼も、分かっていた。
それでも、俺に好きにしろと言ったのは彼の優しさなんだと思う。

「…本当だよ、クリス。一也は俺の弟」
「お前まで…冗談じゃないのか?」
「クリス先輩に冗談なんて言いませんよ」

数回、瞬きを繰り返してからクリス先輩は俺となまえさんの間で視線をさ迷わせた。

「血は、繋がってませんよ」

似てないな、と言われる前にそう伝えればそういうことかと彼は頷いた。

「…再婚、か?」
「そういうこと。一也に迷惑かけるの嫌だからあんま公言する気はないけどな。一也が言うってことは信頼されてんだろ?」

俺もお前を信じてるから。なまえさんはそう言って微笑んだ。

「言い触らしたりはしない」
「そりゃ、よかった」

じゃあ俺、後輩のとこ行ってくるからとなまえさんはひらひらと手を振って階段を下りていった。

「仲良いのか?」
「悪くはないと、思ってます。けどまだ出会って1ヶ月も経ってないでなんとも…」
「…そうなのか?」

はい、と頷き彼の行った先に視線を向ける。

「優しい人なので、まぁ上手く付き合えてると思います。結構気は使われてる気がしますけど…」
「それはいつものことだな」

クリス先輩はそう言って困ったように笑った。

「アイツは昔から人一倍周りに気を使う。こっちが心配になるくらいにな」
「そう、なんですか?」
「あぁ。これからアイツと接していけばきっとわかる」

何かあれば何時でも相談に乗ろう、とクリス先輩に言われ俺はそれに頷いた。

「ありがとうございます」
「大変だと思うが無理はするなよ」
「はい」





「そういや、クリス」

隣の席に座る友人、クリスに声をかければなんだ?とこちらを見た。

「一也とはどういう関係?」
「同じ部活だ」
「じゃあ…一也も野球部?」

知らなかったのか?と言われてそれに頷いた。

「あの寮は野球部の寮だったのか…」
「御幸は校内でも有名だぞ?」
「んー…?」

あんまりそういうの興味ないから、と笑えば彼はそうだったなと頷いた。

「暇があるなら見に来たらどうだ?夏とか」
「気持ちは嬉しいけど、俺らも試合あるからな」
「あぁ、そうか…。今年はどうだ?」

悪くないよ、と答えたとき廊下から自分を呼ぶ声。
視線をそちらに向ければ担任にが手招きしていた。

「悪い、行ってくるわ」
「あぁ」

席を立って先生の元へ行った。

「どうかしましたか?」
「放課後時間あるか?」
「部活あるんで…」

じゃあその後でいい、と先生は言って腕時計に視線を落とした。

「そうだな、部活終わったら職員室に来てくれるか?」
「わかりました。何かありましたか?」
「進路についてな」

先生の言葉に数日前に白紙で出した進路希望を思い出す。

「話が長くなるのは覚悟しておけよ」
「だから放課後なんですね。…わかりました」

本当なら俺とさっさと終わらせたい、と先生はため息をついた。

「ご迷惑おかけします。じゃあ部活終わったら行きます」
「あぁ、よろしく」

背を向けて歩いていく先生を見送りながらため息をつく。
正直、気が重い。

「何だったんだ?」
「進路についての面談」
「…白紙で出すからだろ」

仕方ねぇだろ、と呟きながら席に座る。

「金かかるから大学とか行けねぇし…母さんを放っておくわけにもいかねぇし…」
「…再婚したなら母親のことは気にしなくていいんじゃないか?」
「え?あぁ…そういや、そうか」

母さんにはもう傍にいてくれる人がいる。
俺が、気を使う必要はもうないのだ。

だが、それも今更過ぎて。
突然自由にしていいよと言われても正直困る。

「今更…やりたいことなんてねぇけど…」
「ハンドは続けないのか?」
「続けるつもりはない。部活に入れって言われたから入っただけで」

やるからには本気でやるけど。
それが、本当にやりたいことなわけではない 。

「まぁ、先生と色々話し合ってくるわ」

チャイムが鳴って、引き出しから教材を出した。
そんなときひらり、と落ちた桜色の封筒。
それを拾い上げればみょうじ君へと丸っこい字で書かれていた。

「みょうじ?」
「…ん?」
「どうかしたか?」

封筒に視線を向けてから首を横に振る。

「なんでもねぇよ」

封筒を引き出しに押し込んで俺は笑った。

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