05
「あれ?なんで体育着持ってきてんの、お前」

朝練を終えて、教室に向かう途中。
倉持の手にする袋に気付き、そう尋ねる。

「は?いや、今日1限に体育あんだろ」
「え?今日水曜じゃん」
「いや、授業交換するって先週…お前、聞いてなかったのか?」

あれ、そんなこと言ってたっけ?
首を傾げれば倉持は溜め息をついた。

「いいから取りに行ってこいよ」
「昨日洗っちゃったんだけど」
「は?…あー、じゃあ1年に借りてくれば?」

いつも通り、1年のと一緒に洗ったと言えばそういやそうだったと倉持は頭を抱えた。

「見学でいっか…」
「監督にどやされても知らねぇぞ」
「あー、それはヤバイ。けど体育着借りれそうな人いるか?」

クリス先輩は恐れ多いし、結城先輩もなー…
亮さんと純さんは後々面倒だし…

「あ、」
「なんだよ」
「1人貸してくれそうな人いたわ」

ちょっと行ってくる、と少し駆け足で階段を上る。
あれ、そういや教室…何処だ?

3年のフロアに着いた俺はきょろ、と周りを見渡す。
運良く彼の姿があれば、と思ったがそんなに都合良くはいかないらしい。

「クリス先輩なら、知ってるよな…?」

クリス先輩の教室に行き先を決め、教室を入口から覗きこむ。

「あれ、いない…」

クリス先輩がいないとなると、誰に聞けばいいだろうか。
亮さんとか知り合いなのか?

「かーずや。何してんの?」
「うわっ!?」
「うん?」

ぽん、と肩を叩かれて振り返れば今まさに探していた2人がいた。

「クリスに用?それとも俺?」

なまえさんはそう言って首を傾げた。

「あー、えっと、なまえさんに」
「なに?」
「体育着、貸して欲しくて」

俺の言葉になまえさんは目を瞬かせた。

「あー、昨日使って洗ってないんだけど」
「いや、全然いいっす」
「汚かったらごめんな」

彼はそう言って困ったように笑った。
そして、今俺が来ていた教室の中に入っていく。

「…あれ、クリス先輩と同じクラスなんですか?」
「知らなかったのか?」
「あ、はい。なまえさんのクラス聞こうと思ってクリス先輩探してたんで」

戻ってきたなまえさんがはい、とこちらに袋を差し出した。
それを受け取ってありがとうございます、と頭を下げればいつものように俺の頭を彼が撫でた。
その手がいつも、大切なものに触れるみたいに優しい手付きだからそれに擦り寄ってしまいたくなってしまう。

「困ったときはいつでもおいで」
「はい。これ洗って返すんで」
「え?いいよ、そのままで。午後に俺らも体育だし」

昼休みにでも返しに来て、と彼が言った。

「今度、なんかお礼します」
「いいって、そんなの。なんで兄弟なのにお礼とかすんだよ」
「え、あ…はい」

兄弟。
未だ擽ったさの残る響きに彼から受け取った袋を抱き締めて視線を伏せる。

「あ、ありがとうございます」
「いーえ、どういたしまして」





俺に背を向けて階段へ走っていく一也を視線で追っていれば、隣にいたクリスが少しだけ笑った。


「どうした?」
「野良猫みたいだな」
「一也が?」

あぁ、とクリスは頷いて教室へ入る。

「甘えたいのにプライドとか恥ずかしさが邪魔してできない…そんな感じだな」
「根本的に甘えたいのとこから間違ってね?」
「…お前は、鈍感だよな。そういうとこ」

そんなことねぇだろ、と反論してみても彼は笑うだけだった。

「御幸があんな風に頭を撫でられてるのも、珍しい話だ。それに、あんな目…」
「目?」
「いや、なんでもない。それより、進路調査は出せたのか?」

その話題はアウトな、と溜め息をつきながら自分の席に座る。

「…今度は誰に気遣っているんだ?」
「え?いや、別に気を遣ってる気はないんだけど…」
「あぁ…そうだな。お前はいつもそうだった」

諦めたような呆れた声に俺は首を傾げる。

「まぁ、なんつーか。やっば母親に迷惑はかけたくねぇし…親父さんには尚更迷惑かけれないから。就職、考えたんだけど」
「…それを気遣いと言わずなんと言うんだ…」

クリスが小さく呟いた言葉になに?と尋ねればなんでもないと答えた。

「あー、それで。一也って野球…強いんだろ?」
「そうだな」
「もし、アイツがプロに行ったとして。…血は繋がってないとしてもその兄が最終学歴が高卒っていうのは…なんかなって思って」

授業の教科書を準備しながら、そういや予習したか?とノートを開いていれば大きな溜め息を彼がついた。

「ん?」
「…そこにお前の意志なんて1つも入ってない」
「うん、知ってるよ」

俺は笑って、予習が終わっていたノートを閉じた。

「そんなの、今更じゃね?…俺にはやりたいこともないし欲しいものもない」
「…みょうじ、」
「そりゃ、俺にだっていらないものもあるよ」

けどその逆はない。
そんな感情を幼い頃から抑え込んできたんだ。
いつしか、それを抱くことが自分を苦しめると気付いてそれを抱くことすらやめたのだ。

「望まないよ。手に入らないとわかってるんだから」
「…今回は、違うだろ」
「確かに、違う。けどもう手に入れたいものもないから」

昔手に入れたかったものももう、覚えていない。
これを母親のせいだとは思ってない。
苦しさに耐えられなかった自分がいけないのだ。

「…これ、一也には内緒な?」
「どうして?」
「カッコ悪いから。…一也の前ではカッコつけたいんだよね」

クリスは俺の言葉に、困ったように笑った。





「体育着、借りれたのか?」
「おう」
「…みょうじ…って、この間のイケメン?」

倉持の問い掛けに頷けば、本当に仲良いんだなと少しだけ驚いていた。

「女子がお前と先輩が話してんの見て、きゃーきゃー言ってたぞ」
「紹介とか絶対しない。…そういうの、嫌いみたいだし」

好意を嫌う彼の姿はどこか、寂しそうで俺はもう見たくなった。

「へぇ、珍しいな」
「まずあんまり気付いてないみたい。自分が人気なこと」
「それこそ珍しいな。あんだけ騒がれてんのに」

それは俺も不思議に思う。
いろいろ考えてみたけど、もしかしたらそういうものをシャットアウトしてるんじゃないだろか、という仮説にたどり着いた。
好意を極力受け取らないためのバリケード。
それがあの鈍感さなのかもしれない。

そんなことを考えながら彼の体育着に着替えれば、ふわりと彼の香りが自分の体を包み込む。
少しだけ長い裾に自分の手が隠れ、少しだけ頬を緩んだ。

兄の服を借りる、とかこういう感じなのかもしれない。
少しだけ大きな服と自分とは違う匂い。

「お前、何ニヤけてんだよ。どうかした?」
「なんでもねぇよ。つーか、ニヤけてない」

いつもの擽ったさと一緒に感じた、ぎゅっと胸が締め付けられる感覚。
何かわからない感情だけど、凄く暖かいものだった。

「つーかさ、借り物なら転けんなよ」
「あ、」
「おい、もしかして忘れてたのかよ」

ヤバイ、と倉持の方を見れば呆れ顔で盛大に溜め息をつかれた。

「今日は大人しくしてろ。まぁ…してても転けるけどなお前」
「野球ならよかったのに」
「残念。今日はハンドボールだ」

あれ、シュート入れるときの足わかんねぇと呟けばバスケでも同じこと言ってなかったか?と彼が首を傾げた。

「あれもわかんねぇ」
「…本当に、野球以外は全然ダメだな」
「うるさい」

なまえさんは運動とか得意そうだな。
そう言えば、部活は何かやっているんだろうか?

「おい、さっさと行かねぇと遅刻するぞ」
「すぐ行く」

聞いたら、教えてくれるかな。
野球に関係ない人のことを知りたいと思うのも、なんだか凄く新鮮なことだった。

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