悲劇の主人公

洗い物をする俺を隣に立つエンデヴァーが見ている。
そう思って視線を彼に向け、何か?と首を傾げた。

「何も言わないのだな」
「何か言ってほしかったんですか?」

沈黙を水の音が流していく。
気まずいとは思わないが、居心地が良いとも思わなかった。

「…俺、親にネグレクトされたんですよ」
「は?」
「その結果が、この腕。腐って、切り捨てる他なかった。だから、正しい家族像とか知らないし、家族ってものに…憧れも興味もない。他人の家に口出せるほど、俺は家族を知らない」

食器がぶつかる音が、少し離れた所で聞こえる緑谷の声が耳障りだった。

「興味もない。アンタや轟が、この家がどうなろうが俺には一切合切関係ない。好きにやってくれ…て、感じですね。お節介な奴は口出すと思いますけど?そこも含めて、好きにやってください」
「ご両親を、恨んでいるか」
「はい。殺したいほどに」

事実、殺してしまっているけれど。
微笑んだ俺を見てエンデヴァーは言葉を何か飲み込んだ。
そして目を逸らし、止めていた手を再び動かし始めた。

「不思議だな、お前は」
「何がです?」
「それでもなお、ヒーローを目指すのが」

腕を失うまで救われなかったのに、と彼は言った。

「だからでしょ?」
「だから?」
「誰も救ってくれなかったから、自分が救うしかない。地獄を生きてる人達を、俺が。同じ場所を生きてきた俺にしか、出来ないことだから」

キュッ、とエンデヴァーが閉めた水道が鳴った。

「報われるといいな、アルケミスト。お前の過去が」
「そうですね」

弱いな。
お盆に料理を乗せて、部屋を出ていく彼を見送りながらそう思った。

No.2だった頃のエンデヴァーの方が強かった。
それは個性云々の話ではなく、人としてだ。
守るべきものがある者は、償うべきものがある者は 弱い。

「あ、おい…霧矢っつったっけ、」

帰る支度をした轟の兄は俺と目が合うと頬を掻き、視線を逸らす。

「はい、霧矢です。どうしましたか?」
「……霧矢はさ、自分の親を………許すしかなくなって…それで、どうなった…?」
「心が死にました」

彼は目を見開きそして、何かを紡ごうとした唇を噛んだ。

「子供であっても、人間なんです。考え、感じてる。子供は操り人形じゃない。我慢すれば、そりゃ心の一つや二つ死ぬもんです。それでも、世間はそれを正しいという。狂ってますよねぇ、今の世の中」
「そう、だな………」
「許さなくていいんですよ。貴方にはそれを選択する権利がある。押し付けられた俺よりも自立した貴方には……自分の足で歩き、自分の手で掴み、自分の頭で考えることが出来る」

古びた倉庫の扉は幼い俺には重かった。
高い所にあったあの窓は幼い俺には遠かった。
あの倉庫から抜け出すには、蛆虫のように地面を這って壊れた壁の隙間を潜るしかなかった。
切れた腕が痛かった。
流れる血を止める方法を、助けを求める方法を、幼い俺は知らなかった。

「…貴方は恵まれてる。いや、きっと普通に生きてきた人間たちに比べたらきっととてつもなく、苦しい思いをしてると思いますけど。大切な兄を、肉親に殺され 家族はバラバラになって。それでも、貴方は…俺よりは恵まれてる」

微笑んだ俺に彼は「そうだな、」と声を震わせた。

「貴方は、貴方の頭で考えて貴方の手で手繰り寄せて貴方の足で前に進むんですよ。許すも許さないも。壊すも壊さないも。全ては貴方が決めればいい。その答えを責めることは、誰にだって出来やしない」
「許さなくて、いいのかな…?姉ちゃんが、あんなに頑張ってるのに…それを、わかっているのに…」
「でも、貴方だって家族の一員でしょう?…貴方の心なしに、この家は修復するんですか?違いますよね?」

1歩歩み寄り、彼の感情を込めすぎて震える手を義手で包み込んだ。
洗い物をしていて、外した手袋。
素手…といっても義手だが これで生きた人に触れるのは久々な気がした。

「よく似てますね、お兄さんは。俺に」
「…冷たいな、」
「血が通ってないですから」

触れても嫌悪はない。
この人が、こちら側だと思ってるからだろうな。
個性があるのかは知らないが、この家に生まれてもヒーローを目指していない所を見るとそういうことだろう。

「……許さなくていいんですよ。許したいなら、止めはしないですけど。…貴方の心は救われるといいですね」
「ありがとう…」





「そろそろ学校に送る時間だ」

エンデヴァーが姉に「ありがとう」と一言告げ、助手席に乗り込む。

「緑谷くん。焦凍とお友だちになってくれてありがとう」
「そんな…こちらこそ…です!」

少しだけ和らいだ雰囲気の中、霧矢は素知らぬ顔で家の方を振り返る。

「おら、さっさと乗れ」
「俺が隣でいいの?」
「消去法だ」

3列目に俺と霧矢が座り、前の席に2人が座る。
窓の外を眺めている霧矢が何を考えているのかはわからなかった。
けれど、こいつにとってあの食事会は良い場所ではなかったんだろう。
轟の兄と話していたあの横顔を思い出して、またイラついた。

「貴様らには早く力をつけてもらう。今後は週末に加え…コマをズラせるなら平日最低2日は働いてもらう」
「前回麗日や切島たちもそんな感じだったな」
「期末の予習もやらなきゃ…轟くん英語今度教えて」

霧矢に声を掛けようとした時、霧矢が窓を開けた。
冷たい風が吹き込んで来るのに文句を言おうとそちらを見れば「良い家に住んでるな、エンデヴァー!」とがなる声が聞こえた。

「夏兄!!!」
「頭ァ引っ込めろジャリンコ!!!」

急ブレーキと共に遠心力で体が持っていかれそうになる。
エンデヴァーが飛び出したそれとほぼ同じタイミングで霧矢が外に飛び出した。

「彼を放せ!」
「俺を憶えているか エンデヴァー!!」

車に巻き付いた白い物。
窓の外にいる霧矢は俺たちを振り返ることも無く、車のトランクに触れた。

気に入らねぇ。
先に課題をクリアされたのもこの差だ。
アイツ、気付いてやがった。

「7年前……!暴行犯で取り押さえた…!敵名を自称していた。名は…」
「そう!そうだ。すごい。憶えているのか、嬉しい!!そうだ、俺だよ!エンディング」

夏雄さん、と霧矢が叫んだ。
気に入らねぇ気に入らねぇ気に入らねぇ。
そいつは気に入ったってか??
自分と重ねてんのか?
お前、時々そうだよな。
自分を悲劇の主人公に仕立てあげる。
確かに、地獄を生きてきたのかもしれねぇ。
お前の過去の苦しみは俺には計り知れねぇ。
けど、その!現在を見ねぇ!俺を見ねぇ!!
お前が、心の底から気に入らねぇ!!!!

「すまないエンデヴァー。でもわかってくれ。俺がひっくり返っても手に入れられないものをあんたは沢山持っていた。憧れだったんだ!俺は何も守るものなんてないー!この男を殺すから頼むよエンデヴァー!今度は間違えないでくれ」

自分の体を抱きしめ、敵は言った。

「俺を、殺してくれ」

勝手に死ね、そう吐き捨てた霧矢は両手を地面に付けた。
伝播していく爆破を敵は避けながら邪魔をするなと声を荒らげた。

「ヒーローは余程の事でも殺しは選択しねぇ!でもよ!あんた脳無を殺しただろ!?俺もあの人形と同じさ。生きてんのか死んでんのか曖昧な人生!だから、安心して!その眩い炎で俺を…」

ぶん殴った車の窓。
やはり、霧矢は俺を振り返りはしなかった。
霧矢が壊したトランクからデクがスーツケースを投げる。

「インターン生……俺の死を仕切り直すぞエンデヴァーマイホープ

後ろに飛び退き、体勢が崩れたのを俺達は見逃さなかった。
だがただ1人、エンデヴァーだけその足を止めていたことに俺はその時気づいてはいなかった。
そしてそれを見て確かに、霧矢がその顔に恍惚とした笑みを浮かべていた事にも俺は気付けるはずもなかった。

「俺の希望の炎よ!息子一人の命じゃアまだヒーローやれちゃうみたいだな!」
「夏兄を放せ!」
「早く俺を殺っ!!さねェから!!!」

道行く車が空に投げられる。
そして、向かってくるタクシーの前に拘束された兄貴が縛られたまま投げられた。

「爆豪!」

トップスピードで飛び出したはずなのに、隣に霧矢が並んでいた。

「増えねンだよ!!!」

両手を合わせた彼が何かを創り出そうとしてるのが見えた。
それが何かまでは分からなかったけど。

「そうだ!増えない、増やさない!!お前の望みは何一つ叶わない!!」

黒鞭が舞い上がった車を地面に落とした。
何の音も衝撃もなく車は地面に沈んでいた。

「柔化…?」

エンデヴァーに抱き締められながら見えた地面は、いつぞやに見たB組の奴の個性を使われたみたいにどろりとしているように見えた。


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