違えた道

再び学校が始まった。
と、言っても顔ぶれは変わらず授業も大して変わり映えしない。
あぁ、唯一違うと言えば放送で呼び出されイレイザーが戻ってこなかったことだろう。
ニュースを見ても大きな事件の様子はなかったし、学校からいなくなったのもイレイザーとプレゼント・マイクの2人だけ。
俺たちが気取られたか、とも考えたが 動いたのがイレイザーとプレゼント・マイクだけなのが不思議だ。

「特にこちらにも情報はないな」

スケプティックは何か作業をしているのかパソコンを叩く音がする。

「だよねぇ…」
「それにしても、いつも何をしているんだ?お前は。最近は電話ばかりじゃないか」
「ん?」

仕事だよ、と答えれば「また顔を出してくれ」と彼は言った。
仕事ね、と不服そうだったがそれ以上深く詮索してこないところは悪くない。

「そういえば例の件はどうなった?」
「あの書き込みの件か?あれはネットカフェのパソコンから書き込みされていたよ」
「ネットカフェから…?」

殺人依頼と違って、わざわざ隠れる必要はないと思うがどうだろうか。
何かに用心していたのか?
それとも家にそういった機器がないのか。

「今書き込まれた時間から映像の解析をしてる」
「あぁ、仕事が早くてありがたい」
「俺を誰だと思っているんだ」

最強の味方だよ、と言えば彼は笑って もったいない言葉だと言った。
そんな時ノックの音が聞こえる。

「おーい!?霧矢いるか?」
「…なんか声聞こえたが…?霧矢って」
「悪いな、一度電話切るぞ」

電話を切って携帯を引き出しにしまう。
その間も難度もドアを叩かれた。
ドアを開ければ切島が立っていて、顔には焦りが浮かぶ。

「なんだよ、切島?」
「よかったぜ、いてくれて。ちょっと来てくれねぇか!?エリちゃんが、会いたがってて」
「…?あの子が?」

何故俺を?
魔法使いさん、と俺を呼ぶ少女を思い出しながら部屋を出る。

「どうして俺を?」
「俺も頼まれただけでよくわかってねぇんだけど。とりあえず、エリちゃんのいるとこに行ってくれるか?急いで来て欲しいって」
「……わかった」

あの少女がする普段生活するスペースに行けば、よく世話をしているBig3と今日姿を消したと思っていたイレイザーの姿があった。

「イレイザー、呼ばれて来ましたけど」
「急にすまん、霧矢。エリちゃんがお前に会いたがってな」

涙を浮かべた少女は俺を見上げた。

「…どうしたんですか」
「角がまた大きくなって…」
「角が…」

確かに以前見た時に比べればその角は大きくなっているようだ。
少女に歩み寄り、彼女の前にしゃがみ込む。

「ごめん、なさい」

少女は俺を見て、もう一度ごめんなさいと呟いた。
これだけの目がある中、俺は少女にはなにもできないだろう。
少女はそれをわかっていながら、俺を呼んだのだろう。
あの日の約束通り、少女は俺のことを隠し通しているから。

「……俺は、お前に何もしてあげられないよ」

少女はきゅっと口を結んで頷いた。
それでもいいから、と少女の目が俺に助けを求めた気がした。

「わかった。おいで、」

少女の方に両手を広げる。
少女は先輩の体から手を離し、こちらに微かに震える手を伸ばした。

「霧矢、手袋は…」

イレイザーは心配そうに俺を見た。
手袋?と先輩たちの視線が刺青の入った俺の両手に集まる。

「…大丈夫です。おいで、エリちゃん」

先輩から俺に少女が渡される。
夏雄さんの時と違って、少女の肌が触れた瞬間にぞわりと肌が粟立った。
もう彼女は駄目なのだ、と俺に縋る少女を見つめた。

「…… 霧矢、」

イレイザーの心配そうな目に首を横に振り立ち上がる。

少女は緑谷の手を取った。
その日から、少女は俺の救う対象ではなくなった。
だが、それでも個性に苦しむ少女を無視することができないのはどこか自分と重ねているのだろう。
個性に狂わされたこの少女と幼き日の俺を。





エリちゃんを抱いた霧矢の手の甲に、首筋に湿疹が浮かぶ。
冷汗が額を伝うが、普段は見せない少しだけ柔らかい瞳がエリちゃんに向けられていた。

「霧矢さん、あのね…」
「大丈夫。そのまま、眠ってしまうといい」

霧矢の肩にエリちゃんは額を擦り寄せた。
湿疹の浮かぶ手はエリちゃんの頭を撫で、辛そうに息を吐いた。

「優しいね、霧矢さん」
「そんなことないよ」

エリちゃんはふるふると首を横に振った。
2人はいつ、こんなに関係を深めたのだろうか。
共にいる姿なんて、見たことあったか…?

「ずっと、優しいよ… 霧矢さんは、優しい」
「……目を閉じて。大きく息を吐いて」

上手だね、と優しい声をかけ、頭を撫でていた手はエリちゃんの背に添えられゆらゆらと体を揺らす。

「痛みも疼きも忘れて、この温度だけ感じて」
「…、うん。暖かい…」

気付けば霧矢に縋っていたエリちゃんの手から力が抜けていた。
霧矢は眠ったのを確認するとエリちゃんを波動に返した。

「きっと、少しの間眠っていると思います」
「あ、ありがとう…」

霧矢は湿疹を搔きながら立ち上がった。
爪先が掻き毟る白い肌は赤くなって、首元に血が滲み始める。

いつかの試験の時に比べれば、顔色は悪くないが…。
正常でないことは間違いない。

「戻ります」
「あ、おい!待て、霧矢。その湿疹を放っておく気か?医務室に行くぞ」
「大丈夫です」

霧矢は踵を返し、部屋を出ていく。

「すまん、エリちゃんを頼む。俺は霧矢を追いかける」

霧矢を追って出た外は少し暗かった。
首を搔き毟りながら寮へ戻ろうとする彼の腕を掴めば、凄い力でその腕を振り払われた。

「っ掴んだのは、すまない。だがそれを放っておくわけにはっ」
「大丈夫です。自分で治せるので」

彼は俺を睨み、そして息苦しそうに喉を掻き毟る。
期末試験の時と同じだ。

「おい、それ以上やるな」

止めようと手を伸ばしても、触れてはならないと手が止まる。
呼吸にまで影響してきたのか、彼は自分の体を抱え蹲る。

「おい、ゆっくり息をしろ。俺は触れないから」

目線を合わせるようにしゃがみ、彼の顔を覗き込む。
かすかに涙が滲んだ目はどこか、虚ろだった。

「霧矢…?」

浅くなる呼吸。
彼の指は首に爪を立て、そして虚ろな目を隠すように固く目を瞑った。
何かに耐えるように彼は眉を寄せる。

「どうして、助けた…そうなるってわかっていて」

さぁね、と彼は口元だけ笑みを浮かべた。

「イレイザーには、関係ないことだ」

整えるように、何度も浅い息を吐き彼はゆっくりとその目を開いた。
首の血が痛々しいが、痒みや呼吸はどうやら少し落ち着いたらしい。

「っ、はぁ……もう、戻ります」
「だが、」
「もう、大丈夫です。部屋に戻れば治せるので」

ふらつきながら立ち上がった彼は「次は助けられないです」と言った。
俺は彼女の力にはなれないと、そう言って重たそうな足を引きずるように歩く。

「なら!どうして、今回は助けた」
「どうして、」
「無視することだってできたはずだ」

霧矢は「彼女が地獄を生きていたから」と答えた。

「だから、一度だけ救いました。けど、彼女はもう地獄にはいなかった」

こちらを振り返ることもせず、寮のドアに手をかける。

「だからもう、助けないっていうのか…?」
「光が当たるところにいる人を救うのは、ヒーローの仕事でしょう?」

彼も、ヒーローを目指しているはずなのに。
まるで彼だけは別物を目指しているようだった。

「ねぇ、イレイザー」

彼の指先が首の傷を深く抉った。
痛みはないのかドアの方を見ている彼の横顔は崩れず、それどころか笑みを浮かべていた。

「今日は、何をしていたんですか?」
「何って…」
「放送で呼び出されてから、戻られなかったでしょう?今日」

不気味に笑みだけ浮かべたまま彼はこちらを見て、ゆっくりと首を傾げる。

「何か、あったんですか?」
「い、や…」

今日見た友の面影が頭を過った。
だがそれを彼に話せるはずもない。
見定めるように俺を見つめたその目は細められ、浮かべていた笑みが消えた。

「もう行きますね、イレイザー」

彼は重たそうな足を引き摺って、寮の中に消えていった。
首筋を血が伝っていくのが、生々しく痛々しく。
そして、どうしてだか目を離すことができなかった。





「おかえり…て、霧矢!?」

大丈夫か、と駆け寄ってくるクラスメイトを無視してエレベーターに乗り、閉ボタンを殴るように押した。
5階で扉が開くと目の前に瀬呂が立っていた。
見開かれた目は俺の首を見つめ「大丈夫か」と俺に駆け寄る。

「平気だから、離せ」
「けど、血が」
「いいから、どけ。部屋に戻れば自分で治せる」

彼を押し退け、自室のドアを開ける。
集中が途切れたのか、無効化で抑え込んだ痒みと息苦しさがぶり返した。
閉めたドアに背を預け、そのままずるずると崩れ落ちる。
湿疹を掻き毟った爪が、ガリと音を立てた。

「気持ち、悪い」

気持ち悪い、気持ち悪い。
あの少女はもう、駄目なのだ。
緑谷の手をとったあの瞬間から。
これだから嫌なんだ、アイツは感染するから。

「おい、霧矢!?大丈夫か」

背をあてたドアが叩かれる。
瀬呂の焦った声を聞きながら、息苦しさに意識が遠退いていく。

「平気だ…帰れ、」
「けど!」
「気分が悪いから、休ませてくれ」

意識が遠退きそうになるのをこらえながら、手袋を手繰り寄せ自分の体に錬金術を使う。

「っ、はぁ…」

波が引くように、痒みが消える。
酸素が肺に届き、霞む目から何かが伝った。
わかっていたことだ。
俺たちは分かり合えない
たとえ、似た道を歩んできたとしても ヒーローをヒーローだと思ってしまったその瞬間から俺たちは道を違える。
俺にとっては、受け入れられない殺すべき対象になるのだ。


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