俺だけ


期末試験を目前に控え。
事件は起きた。

「は?ちょっと待て。何言ってんの?てか、え?どういうこと?」
「……カリムが、編入してくる」
「編入…?なんで?魂の素質云々は?」

俺の言葉にジャミルは俺に聞くなよ、と声を微かに震わせた。

「これで、パーだ。俺の自由は…たった、たった…3年間さえも与えて貰えなかった」

どうしようもなくて、彼を抱きしめる。
かける言葉が見つからないってこういうことだ。
肩の辺りに広がる冷たさを感じながら、彼の髪に顔を埋める。
どうしよう。
こういう時、かける言葉の1つでも持っていられたらよかったのに。

「ジャミル、」
「明日から………学校では、話しかけないでくれ。朝も夜も…多分付きっきりになる」
「……朝のランニング…もう行けそうにないな」

共にしたのは数回だった。
それでも、朝日を浴びて自由に笑う彼の横顔を見るのは好きだった。

「それだけじゃない。夜、一緒に過ごすのも…昼飯一緒食べるのも…もうきっとできない」
「…ジャミル、」
「どうせ……どうせ、裏口入学だ…くそっ…」

縋るように背中に回された手は容赦なく、爪を立てた。
その痛みを受け入れることしか、俺にはしてやれなかった。





ジャミルの言う通り、お坊ちゃんはこの学校に入学してきた。
屈託なく笑うその声が、俺にはとても耳障りだった。
その声にジャミルの声が隠れてしまうから。

ジャミルの言う通り共に過ごす時間は目に見えて減った。
元々いつも一緒にいたわけではなかったけど。
それでも1日1回は2人きりで過ごす時間があった。
それがなくなって、彼は疲れた顔でベッドに潜り込むことが増えた。
言葉をかけたくても、どうすればいいかわからなかったし。
俺と話すよりも、少しでも心を休めて欲しいという思いが強かった。
疲れた顔して眠る彼を、眺めて過ごす夜が多くなった。
眠れない訳ではないけれど、まともに顔も見れない日が続いて気づけばそうしていた。

飛行術の授業を受けながら、ぎゃー、ぶつかる、と騒がしい声をBGMに箒に逆さにぶら下がりながら目を閉じる。
「バルガス先生来たら起こして」とラギーに伝えれは「ちょっと、嘘でしょ?!」と声を荒らげた。

目を閉じればその瞬間待ってました、と言わんばかりな睡魔が俺の意識を引きずりこんでいった。
しょうがないっスねぇ、なんてラギーの優しい声がする。
最近気付いたが彼はお兄ちゃん気質、というのか 人の世話を率先してやる。
ラギー先輩の世話係にも最近なったらしい。
この言い方をするとレオナ先輩怒るけど。

「うわー!!!ぶつかるー!!!!」
「カリム!?!!」

もう聞きなれた声が2つ。
あぁ、今日もジャミルは大変そうだ。
怪我はしてないだろうか、そんな心配を少しだけ微睡みの中で考えていればラギーは慌てて俺を呼んだ。
その声に明らかな焦りが浮かんでいて、目を開け振り返る。

真っ直ぐこちらに向かってくるお坊ちゃんとその後ろの慌てた顔をするジャミル。
避けるか、とも思ったが もし避けたとしてもあの角度じゃ下にいるラギーまで巻き込むことになるだろう。
魔法で逸らしてもいいが、お坊ちゃんが怪我をする可能性はあるだろうし。
お坊ちゃんが怪我をするとジャミルが困る。

そんな思考が凡そ1秒に満たない間で頭の中を駆け巡った。
結局行き着いた答えは どれもやらないだった。
真っ直ぐ向かってくる箒の進行方向から上に逸れ、両足を引っ掛けていた箒から離す。
そして、向かってきた箒の掴み体の落下の勢いと共に地面に引き摺り落とした。
自分の足が地面に着いた瞬間にはお坊ちゃんの体を風魔法で浮かべ、ゆっくりと地面に下ろす。

急ブレーキをかけて止まったジャミルと目が合う。
なんて顔してるんだよ。

「…危ねぇぞ」

おぉ、なんて 感嘆の声が聞こえ、ラギーは俺に駆け寄った。

「大丈夫っスか!?怪我は?」
「見ての通りぴんぴんしてる」
「何してんスか!?暴走する箒素手で引き摺り落とすやついます!?てか、箒から頭から落ちるとか!!何考えてんスか!?!」

ラギーの焦る声に大丈夫だって、と宥めながら笑う。
そんな俺を見上げながらありがとう!と屈託なく笑うお坊ちゃんにジャミルが駆け寄り、何をやってるだ!?と声を荒らげた

「えっと、トラジャ…」

お坊ちゃんの無事が確認できると彼はこちらに視線を向けた。

「すまない、助かった」
「いや、いいよ。お前も怪我がなくてよかった」
「俺は、別に…」

何か探すように唇が震え、そして キュッと結ばれる。
なんか変なこと考えてそうだなぁ、なんて。

「お前さん、よく暴走してるよな?転入生だっけ、」
「え?あぁ!箒はまだ苦手なんだ!」
「姿勢を正せ。手に力を入れるな」

放り出した箒に跨り、ふわりと浮き上がる。

「手には感情やら心情が伝わりやすい。怖いとか危ないって思うと力が入る。魔力のコントロールも出来てねぇから、力が入ったところに魔力が集まる」

箒から降りて、単純だろ?と首を傾げた。

「前のめりになりゃ、体重の分も手に力が入るんだよ。暴走してる時のお前さんはいっつも前のめりだ」
「…すっごいな!!お前!!!」
「ジャミルにあまり迷惑をかけるなよ。そいつだって同じ1年生だ。暴走した箒を追いかけ続けりゃいつか…事故ってもおかしくない」

ジャミルの目が見開かれる。
これ以上、関与すれば怒られそうだから口を閉ざすとしよう。

「ま、そういうことで。ラギー、眠気覚めたからちょっと練習付き合って」
「いいんスか?保健室行かなくて」
「怪我もしてねぇのになんで行くんだよ」





何も出来なかった。
トラジャを巻き込んで、しまった。
俺が至らないから、トラジャを…。

「おかえり」

俺を出迎えた彼はいつもと変わらず微笑んだ。
俺の気も知らずに、なんて思いながら目をそらす。

「…ただいま。飛行術の時は、悪かったな…カリムが」
「あぁ、全然」
「……アイツが、お前を気に入ったって。飯を一緒に食いたいって…言ってた」

それだけじゃない。
カリムが彼に興味を持ってしまった。
ずっと隠してきたのに。
唯一の 俺だけのものだったはずなのに。
学校での自由も奪われて、トラジャまで奪われるのか…?
制服のジャケットを脱いでハンガーに掛けた瞬間ふわりと体が浮いた。

「は!?ちょ、!?」
「ジャミル」

魔法で俺を浮かせた彼は、俺を抱きとめてすっと目を細めた。

「なんで俺の事見ねぇの?」
「は?」
「ずっとそっぽ向いてる」

彼の手が頬を撫でる。

「べ、つに…」
「ジャミル」
「うるさいな…」

手を払い 彼から距離をとれば 何か言いたげな顔をしたが 何も言わずに溜息をついた。

「悪かった。じゃあ、お坊ちゃんに 飯ならいつでも付き合うって言っておいてくれ」
「え?」
「なんだ?」

彼は首を傾げた。

なんで。
お前もカリムの元へ行くのか?
そうやって、また 俺は失うのか。
そうか、そうだよな。
結局、トラジャも カリムの…アジーム家の金があったから俺と契約をしているんだ。
ただ、俺という存在の都合がよかっただけで。
別に俺でなくたって、よかった。

「……ジャミル、」
「カリムの事だ…宴を開けと言うから…料理の準備をしておく。カレーは、出せないけど 香辛料を沢山使うメニューにしておく。「ジャミル、」なんなら、ラギーも呼んだらいい。人が多い方がアイツも喜ぶ」
「ジャーミール!!!」

パン、と目の前で叩かれた手。
あまりの音で耳がじん、となる。

「お前、お坊ちゃんと俺を接触させたいのか?」
「いつでも付き合うと、お前が言ったんだろ」
「…どっかの誰かさんが素直じゃねぇからな」

やれやれ、とわざとらしく口で言いながら彼は首を振り、俺を抱きしめてベッドに沈む。

「おい、離せ!」
「嫌なこった」
「なんっ、、なんだ!お前は!!」

何って、お前の殺し屋だろ。
彼は俺を見上げ、その薄紫色の瞳をすっと細めた。

「俺はお前のもんだ。そういう契約をしたはずだ。忘れたのか、ジャミル・バイパー」
「…アジーム家の金が欲しいからだろ」
「はぁ?いや、いつそんなこと言った?」

そうじゃなかったら、なんだって言うんだ。
それ以外に俺に与えられるものなんてない。
与えるなんて、元々俺のものですらないけど。

「金が欲しけりゃ、お前ら全員さっさと殺してるって」
「は?」
「は?は、こっちの台詞だ」

彼の手が頭の後ろに回り、引き寄せられる。
吐息が絡む距離で 彼はまた俺の名前を呼んだ。

「俺が欲しいのは、あの頃からずっとお前だ」

何か言い返すよりも前に唇を塞がれた。
逃げようにも頭も腰も彼の手が回っている。

「んっ!?!」

息が出来なくて口を開けた瞬間、入り込んできた何か。
それは俺の舌を絡めとり、呼吸さえ奪っていく。

「ぁ、んっ」

ぐるりと視界が回る。
俺を押し倒した彼はそっと唇を離して はぁと悩ましげに吐息を零した。

「トラジャ、」
「まさか、そんな勘違いをされてるとは思ってなかった。まぁ、お前らしいとは思うけど」

髪を掬い、彼はそこに口付ける。

「一言、なんで言えない?カリムと関わるなって その一言」
「そ、れは…」
「そんなに信頼ないか?俺は」

違う。そうじゃない。
そうじゃないけど。

「ラギーの時もそうだ。言っただろ、俺は、殺ししか知らない。お前があれこれ考えてるその1%もわからない。苦しんでるってわかってるのに、かける言葉の1つもないような男なんだよ。俺は」

言葉にしてくれないと 俺の頭じゃわからないんだと彼は困ったように眉を寄せた。
彼の手から髪がすり抜け、落ちる。

「……っ、お前を……巻き込んだ……なのに、心配することすらできなかった」
「は?」
「あの時、お前に駆け寄る…ことすらできなかった。大丈夫かって、その一言を…かけることさえ、できない。お前の隣にはラギーがいて、俺の隣にはカリムがいて」

それ以外なかった。
お前に駆け寄って、怪我はないかって。
大丈夫か、保健室に行くかって。
心配する資格がなかった。
そんな普通のことを、俺はできない。

「…嫌だ。お前に、他の奴が…触れるのが。お前に、カリムが触れるのが。お前に、お前の目に……他の誰かが映るのが……」

どろり、と溶けだした。
いつからか、思っていた。
彼と契約をして、彼に心を許し始めてから幾ばくがしてから。
俺だけのものになればいいのに、と。
俺だけを見て、俺だけに微笑んで、俺だけに触れてくれればいいのに、と。
その目に、俺だけが映っていればいいのにって。
俺が1番ならいいのにって。
カリムが俺の自由を侵食してからは、尚更。

「お前を、失いたくない。お前だけは、お前だけは……!俺の、ものにしたい」

彼の両頬に手を伸ばす。
触れた指先から伝わる温度さえ、誰にも渡したくない。

「尋ねれば答えよ、命じれば頭を垂れよ………」

お前がいてくれるなら。
例え自我のない操り人形でも…構わない。

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