情報戦
「痛い痛い痛い」
容赦なく消毒液ひたひたのガーゼを俺の顔に押し付けるジャミルは「痛くしているからな」と随分とご立腹らしい。
「こんなの魔法で治すって」
「だーめーだ!いいか?喧嘩で出来た傷には魔法は使うな」
「なんで?」
それが分からないからだ、と彼はやはり不機嫌そうに言った。
「絆創膏はいるか?」
「いや、いいよ。かすり傷だし」
「…なんで、あんな脅すようなこと言ったんだ」
救急箱を片付けながら尋ねてきた彼に首を傾げる。
「ジャミルと話してるところ見られただろ」
「え、」
「…口封じできるならした方がいい。バレたら困るのはお前だ」
手当てありがとう、と長い彼の髪を掬い 口付ける。
うん、今日もいい匂いだ。
「っ、そんな…!同じ部屋だとか どうにでも…!」
「それだけに見えない可能性もある。…お互いに冷静すぎたしな」
「そう、言われれば…確かに…」
それにしても。
あのカメラを構えていたやつ…狙いはなんだったんだ?
2人が絡んできてすぐにカメラを向けていたけど…
「あの3人は?」
「オクタヴィネル寮の同級生だ。授業中揉めたのがフロイド・リーチ。その兄弟のジェイドと。俺と同じクラスのアズール・アーシェングロット」
「そうか…」
俺の正体を知っているのか…?
もしそうなら、早々に消した方がいい。
「…トラジャ、」
「うん?」
「依頼以外の殺しはダメだからな」
わかってるよ、と頷き 彼の頭を撫でた。
珍しく振り払わず受け入れている彼が下からおずおずと視線を寄越した。
「…どうした?」
頭を撫でていた手を頬に滑らせ、褐色のツヤ肌を擽る。
猫みたいに目を細めた彼は「あまり…怪我はするな」と呟いて 俺の腕にある古傷を撫でた。
「心配?」
「…そうだな」
「そうか」
じゃあ気をつける、なんて。
叶えられるかも分からない約束を口にする。
「嘘つき」
「…努力はする」
「怪我をしたら必ず、報告しろ。魔法は使うな…」
治せるといっても痛みがないわけじゃない、と彼はそれはそれは小さな声で言った。
痛みになんてとうに慣れた。
だが、ジャミルが痛そうな顔をするのは嫌だなぁ。
「ジャミル」
「なんだ、」
「ありがとう」
ジャミルは何か言いたげな顔をしたが呆れたように笑った。
「さっき話してた、部活の話をしよう」
「あぁ、そんなこと言ってたな」
彼は手を離し、何かの冊子を持って戻ってくる。
さっきよりと近い場所に座って、そのページをめくる。
「部活っていうのは、放課後に行う集団で行う教育活動だ」
「うん?」
「簡単に言うと、色んな生徒が集まって。何かひとつのことをやるってことだ。俺はバスケ部に入ってて、いつもトラジャが一緒にいるラギーはマジフト。新入生歓迎会のやつ見ただろ?」
確かそんなスケジュールはあった気がするな。
仕事で抜け出していたが。
「大体大きいところでこんなのがある。強制参加ではないけど、入ると内申は上がる」
「そうか…」
並ぶ文字を見ながらどうしたものかと首を捻る。
「何か興味があるものはあるか?」
「…興味無いな」
娯楽なんて嗜む暇もなかったし。
なんとなく情報として持っているけど、実際のところよく知らないことばかり。
「今更だが、趣味ってあるのか…?」
「いや特には。ターゲットに接触する為に嗜むことはあっても、自分を理由にやることはないな」
「……まぁ、強制じゃないし。入らなくてもいいか」
仕事も続けていくなら拘束時間の増える部活は勧めないと彼は冊子を閉じた。
「意外とすんなり引いたな」
「…人と関わるのが増えればトラブルも増える。お前は心配だからな」
「世話焼きの癖は抜けないな。極力、迷惑はかけないよう気をつける」
じっと俺を見つめてから だからと言って隠れてコソコソやるなよと彼は言った。
バレなきゃいいかなんて、考えていたことはお見通しだったらしい。
「…わかった」
満足気に口元を緩め、俺の肩に頭を預けてくる。
「少し、眠い」
「…珍しいな。どれくらいで起こす?」
「30分後に…」
すぐに彼の寝息が聞こえてきた。
こうやって眠るのも珍しい。
彼と契約を交わしてから少しして。
彼の部屋に忍び込んだことがある。
ベッドに入っても寝返りを繰り返すばかりで、人がいると眠れないんだと苦笑していた少年が懐かしい。
気付けば俺がいればどこでも眠れるようになった。
それだけ、信頼されたということだろう。
▽
あれから数日。
馬鹿はいつまで経っても馬鹿なんだな、と目の前にいる2人を見て思った。
「ジェイド・リーチとアズール・アーシェングロット」
「覚えていただけていたなんて、光栄ですね」
「そりゃあね?あんな、はめるようなことしてきた奴を忘れるわけないだろ」
あれから、フロイド・リーチは約束通りあの日のことはなかったかのように振る舞っていた。
と、いうよりは可能な限り俺を避けて生活していた。
まぁ、それが1番 手っ取り早く安全な方法だと思う。
あの時脅した彼と違い気絶していたこの2人はフロイドのそんな努力も知りはしない。
「フロイドに何をしたんです?」
「それから、貴方が壊したカメラの賠償をお願いしに参りました」
「あぁ、カメラね」
ポケットに入れている財布から紙切れを引っ張り出す。
「いくら?10万マドルくらいあれば足りる?…わかんないから20万でいっか」
「は?」
小切手に20万、と書いてサインをする。
ほれ、とそれをアーシェングロットに渡せば目を丸くさせ俺とその紙を交互に見ていた。
「そんだけありゃ新しいのも買えんだろ。で、なんだっけ?フロイドに何をしたのか…だっけ?」
「え、えぇ…」
「お前ら2人の命とあの日のことを水に流すの…どっちがいい?って聞いただけだよ」
指をくるりと回せば あの日のように無数の刃が彼らに向けられる。
「友情か兄弟愛か知らんが、美しいな。あいつはお前らの命を選んだよ」
「…こんなの、はったりでしょう?1年生でこれだけの数の物体召喚魔法なんて、」
「はったりねぇ…そういう所が、お前らが馬鹿である所以だな」
宙に浮くナイフのひとつを手に取って、自分の掌に這わす。
赤い線ができ、ぷくりと溢れ出た赤い雫。
彼らは目を見開き、自分の周りに浮かぶそれらが本物だとやっと分かったらしい。
「前回もそうだけど。喧嘩を売る相手はちゃんと選んだ方がいい。ちゃんと見定めた方がいい。何故、俺がお前らより劣ると思った?何故、俺がお前らに負けると思った?」
思い込みは視野を狭めるぞ、と刃をしまい 傷を魔法で塞ぐ。
あ、これもジャミルに怒られる?
いや…まだ喧嘩してないし…うん、セーフ。
「何故、20万マドルの小切手に驚いた?俺がスラム育ちだとかなんとかいう噂でも聞いたか?それが真実か、確かめたのか?噂の出処は?根拠は?」
詰めが甘い、と吐き捨てた俺に彼らは苦虫を噛み潰したような表情をする。
「ジェイド!!アズール!!!?なにしてんの!?!!?」
怒鳴るように彼らの名前を読んだフロイドは俺をキッと睨みつける。
両手を上げて「何もしてない」ととりあえず弁明をしてみる。
「コイツはやめようって言ったじゃん!」
「その理由を貴方が言わないから…」
「カメラの弁償もありましたし…」
言えばよかったのに、と俺が言えば 「言うわけないじゃん」と彼は言った。
「全部忘れるって約束だった」
「…へぇ、」
兄弟や友の為にそこまでやるか。
どれだけ心配されようと 口を閉ざしていたのか。
珍しい。
「俺がさっき話したから安心していいよ。カメラも弁償する為の金は渡した。…これでもう俺に付き纏う必要はないな?」
これで面倒事が終わった、と溜息をついて 彼らに背を向ける。
「あぁ、そうだ」
足を止めてくるりと彼らの方を振り返る。
「脅す為にネタが欲しいなら無理に作るのは勧めない。必ず、ボロが出る」
え、とアーシェングロットは目を瞬かせた。
「人には必ず、他人に触れさせたくないものがある。それを、探し出して脅した方がいい」
「触れさせたくないもの…」
「そう、たとえば…アーシェングロットが 昔ぽっちゃりしたタコの人魚だった…とかな?」
彼らの名前を知ってから何かあった時の為にとりあえず調べておいた情報だった。
必死に隠してる情報があったから覗いてみればそんなもので。
まぁ人によっては死活問題なのかもしれないな、なんて軽い気持ちでいたがどうやら当たりだったらしい。
真っ赤に染まるアーシェングロットの顔と笑いを堪える2人。
「何故!!!それを!!!!」
「これが、情報を使った脅し方な」
我々殺し屋の情報網を舐めてもらっては困るのだ。
「バラされたくなければ…わかるよな?」
「……わかりました。これ以上は、貴方をカモにするようなことはしません」
「懸命な判断だ」
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