名前なんて


期末試験が終わって、不思議な噂を耳にした。
オクタヴィネルの生徒が凄い対策ノートを持っている、というものだった。
しかもよくよく聞いていればそのオクタヴィネルの生徒というのはアズールのようだった。
確かに勉強には自信がある風だったし。
そんなことを考えていれば「ここ、よろしいですか?」と、もう聞き慣れてしまった声。
顔を上げれば例の3人がいた。
フロイドは不服そうだが、2人はにこやかに笑っている。

「どーぞ、お好きに」
「今日はラギーさんは一緒じゃないんですね」
「レオナ先輩のお世話しに行ってる」

何でこいつと仲良くなってんの、と俺を睨むフロイドに 「飛行術を教えて貰ったんですよ」とジェイドが答えた。

「そんなん俺に聞けばいいじゃん」
「貴方は感覚派すぎてわからないんですよ!」
「試験の結果は?」

落第点は免れました、と2人は答えた。
いい点だったと言わない辺り 彼らの飛行術の成長度の低さを伺える。

まぁ、うん。
あれじゃあな…。

今後より一層試験が難しくなるだろうし、苦労する事になるだろう。
俺の知ったことじゃないが。

「そういや、アズールの対策ノートが凄いって今耳にしたけど」
「過去の試験全てを参考に作った虎の巻です!よろしければ、先日のお礼に差し上げますよ?」
「いーや、いらん。別にいい成績が取りたいわけでもないしな」

それは残念です、なんて彼は笑った。

「何でわざわざそんなもんを?」
「少しやりたい事がありまして。よろしければ、トラジャさんもどうです?」
「アンタらと下手に関わりたくないから却下」

俺の言葉にアズールは目を瞬かせてから笑った。

「随分と警戒されているようですね」
「そりゃあね?警戒されない理由があるとでも?」
「こんなに慈悲深いのに、酷い話だ」

慈悲、とは。
この男には1番似合わないのではないか、と思ったが言わないでおいた。

「ですが、興味を持ったら何時でも言ってくださいね」
「持つことはねぇと思うけど」
「僕は、貴方の事は高く評価しているんですよ」

いい迷惑だ、と言えば 隣からふふっと笑い声が聞こえた。
アズールもジェイドも厄介なタイプだ。
フロイドの方がまだ、何を考えてるのか分かりやすい。

彼らが一体何をする気なのかは知らないが、恐らく 俺の弱みを掴もうとしていたところにも繋がるんだろう。

人の弱みをネタにして何か買わせるとか?
いや、シンプルにゆするのもありか。

「…まぁ、楽しみにしてるよ」
「えぇ。期待していただいて結構ですよ。飛行術の件のお礼に、特別にご招待致しますので」
「へぇ、そりゃどーも」

いつまでそんな腹の探り合いしてんのぉ、とフロイドが口を挟んだ。

「どっちももう、猫かぶる必要なくない?」
「そんなつもりありませんよ、フロイド」
「こっちも、そんなつもりはないけど」

あぁ、やだやだ。とフロイドは首を振った。

「アズールが2人いるみたーい」
「あぁ、確かに。気持ちはなんだかわかりますね」
「…全然わかんねぇわ」

同感です、と彼も頷いた。

「そういえば。そろそろホリデーですが、トラジャさんはご実家に?」
「え?あぁ、まぁ…そんなとこ」

ホリデーか。
そう言えば、仕事があるとか言ってたっけ。
テスト前だから詳しく聞いてなかったけど、確認した方がいいか。

「どちらの出身なんですか?」
「は?何を今更。スラム街だよ」
「……それは、本当だったんですね」

まぁね、と答えて残り僅かだったご飯をかき込む。

「歩けば死体が転がってるような 掃き溜めだ」

じゃあ、お先。と声をかけて席を立つ。
次の授業は魔法史だっけか。
眠くなりそうだから、珈琲でも買っていくか。





「お前の交友関係はどうなってるんだ」

夜。
ジャミルの作ってくれる夜食を食べるのが日課になっていたのだが。
そこで彼はそう零した。

「と、いうと?」
「今日、オクタヴィネルの連中といただろ。以前揉めたじゃないか」
「あぁ…アズールとジェイドに飛行術を教えててたんだよ、テスト前に」

聞いてないぞ、と彼は眉を寄せた。

「そんなに怒ることか?」
「怒ってない」
「…仲良くしてほしくなかった?」

ジャミルは少し黙り込んでからこくりと頷いた。

「お前に近付く人が増えるのは……好ましくない」
「素直に言ってくれんの珍しいな。いいよ、わかった。これ以上増えそうな時は まずジャミルに伝える」

じと、と何か言いたげな目をしたが はぁと溜息をつく。

「殺し屋の割に、人付き合いは上手いよな…お前。学生のフリが上手いっていうか…」
「今は断ってるけど。昔は潜入したりとかしてたからな」
「潜入…?」

こういう話はしたことなかったっけ、と首を傾げれば 彼はこくりと頷いた。

「今受けてるのは基本即日終了の仕事。前は長期的な……それこそ王族の暗殺とかも担ってた。ジャミルみたいな従者の真似事もしてたよ」
「…想像つかないな」
「正直、性にあわなかった。けど、金払いはいいんだよね そういう仕事」

スパイスたっぷりのソーセージを口に運び、驚いている彼に笑った。

「次のホリデーもそういう仕事が1件入ってる」
「…危なく、ないのか」
「うーん。何とも言えないね。家の中に入れてる時点で疑われにくくはなってる。けど、ジャミルみたいな従者がいると結構やりにくい」

食事に毒も入れられないし、基本的に傍を離れない。
魔法にも、体術にも長けて、人を見る目もある。
まぁ、こんな従者は早々いないけど。
仕事で相対するとなれば非常に厄介だ。

「……褒められてるのか、」
「うん、褒めてるつもり。ジャミルは優秀だって話」
「そうか、」

少しだけ視線を下げて彼は俺の肩に擦り寄った。

「どうした」
「いや……ホリデーは、こっちには来れそうにないな…」
「あー、うん。確かに…」

悪い、と呟き彼の髪を掬い口付ける。
仕方ないとは言うが 寂しそうなのが見て取れた。

「いつか、2人で出掛けてみたいな」
「……無理な話だ。俺は、カリムの傍を離れられない」
「知ってるよ」

あぁ、やっぱり 攫ってしまいたい。

「ジャミル、」
「なんだ?」
「今日は一緒に寝ようか」

ぱちり、と瞬きをして 彼はそうだなと頷いた。

「ホリデーの日まで…」
「…うん、一緒に寝よっか」

彼の髪紐を解く。
さらり、と彼の頬を撫でた黒髪を撫でれば「髪好きだよな」と彼は呟いた。

「そうだな。昔から、綺麗だと思ってる」
「…女みたい、とは思わないのか」
「全然?髪の長さで性別は決まらないし。ジャミルはこの長くて綺麗な髪が良く似合う」

それを映えさせる赤い髪紐も。
あの頃から変わらず、綺麗なものだ。
彼を抱き上げ、ベッドに腰掛ける。

「もう眠るか?」
「もう少しだけ、触っていい?」
「…好きにしろ」





俺たちの関係が大きく変わったかと言えば、そうではない。
前からトラジャは俺に触れるし。
俺から触れることも時々あるけど、基本は受け入れるだけ。
恋人、というわけでもないのだろう。
キスをしたのもあの1度だけだ。
時々、遊ぶよう頬や額にキスはするが。

「トラジャ、」
「うん?」

髪を触っていた彼が俺に視線を向ける。
柔らかく細められた瞳に少し困った顔をした俺が映っていた。

彼は俺のもの。
それは、間違いないんだろう。
なら俺も触れていいのだろうか。
恐る恐る手を伸ばし頬に触れれば彼は微笑みその手に擦り寄った。

「どうした?」
「いや、」
「好きなだけ触っていいよ」

頬に触れた俺の手の平に口付けて、彼は笑う。

「……キスが、したい」

え、と固まった彼に顔が熱くなる。
こういうことを言うのは慣れない。
恋人ではないからそこまで、してもいいのかもわからない。

「いーよ」

おいで、と膝の上にいる俺を引き寄せる。
頬に手が触れて 彼は目を閉じた。

唇が重なる。
彼のカサついた指が優しく頬をくすぐり、1度離れた。
至近距離で交わった視線と絡む吐息に息が詰まる。

「ジャミル」
「っな、んだ…」
「口、開けて」

言われるがまま薄く口を開けば、彼の舌が入ってきた。
まるで生き物みたいに口の中を動き回る。

「っ、ん」

舌を絡め、時折上顎を擽る。
頬を撫でていた手は頭の後ろに回され、逃げ道もない。
反対の手が服の裾から入り込み、脇腹を撫でた。

「ひぁ、」

擽ったさで漏れた声に彼はきょと、としてから笑った。

「可愛い」
「…かわいくはない…」
「可愛いよ。ジャミルは世界で1番 可愛くて綺麗でカッコイイ」

恥ずかしい奴だ。
彼の肩に顔を埋めれば彼の手は俺の頭を丁寧に撫でた。

人を殺す傷だらけの汚れた手。
けど、俺に触れる時は誰の手よりも優しい。

「……1番カッコイイのは……お前だよ」
「え?」
「………もう言わん」

もう1回、と彼の少し笑い声の混じった言葉が聞こえる。
あぁ、顔が熱い。
らしくないことやるもんじゃないし、言うもんじゃない。
けど…受け入れられるというのは良いものだ。

「また……してもいいか」
「キス?…いつでもしていいよ。寧ろ大歓迎」
「そう、か」

そろそろと顔を上げれば、唇が一瞬重なった。

「そろそろ寝よう」
「あぁ、」

この関係に、名前なんかなくていい。
俺とお前であればいい。
そう、思った。

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