そのままで

ジャミルの機嫌はあれからよくはなっていない。
数日目の授業を終えて、ラギーと次の授業に向かう。

「なんか疲れてないっスか?」
「いやぁ?ちょっと考え事?」
「なんかあったんスか?」

何ってわけでもない、とよく分からない返事をして教室に入れば見慣れた彼の姿を見つけた。
目が合ったがすぐに逸らされ、どうしたものかと首に捻る。

「この辺でいいっスか?」
「どこでもいいや」
「本当に適当っスね」

席について、教科書をめくる。
そして少しして、口を開いた。

「ルームメイトとさぁ……喧嘩、をしたんだけど」
「え?」
「仲直りってどうやってやんの?」

きょとん、としたラギーだったが 笑い出す。

「思ったより普通の悩みっスね!?」
「馬鹿にしてんだろ」
「ごめんなさいって言って、ご飯とか奢ってあげればいいんじゃないっスか?てか、なんで喧嘩したんスか?」

知らない、と答えて 食べ物はアイツには無理だな と少し視線を後ろに投げた。
友人と話して笑う彼が俺の視線に気付き、少しだけ動きを止めた。
すぐ逸らされたけど。

「多分、なんか 機嫌を損ねた。…あんま、そーいう人付き合いしてこなかったし よくわからん」
「人間関係苦手そうっスもんね、トラジャくん」
「ほんとにな」

仲直りできるといいっスね、と言う彼の言葉に頑張るよと笑った。
放課後、購買に向かへば「いらっしゃい小鬼ちゃん」と随分と派手なお兄さんが迎えてくれた。

「何をお探しかな?」
「あー……うーん……ハンドクリーム、とか?」
「とか?」

いや、と口篭り 匂いが強くないハンドクリームを と言い直せばお兄さんは店の奥に入っていく。

「とりあえずこういうのがあるけど」
「…あー…」

見た目も派手じゃない方がいいか。
あと、持ち運びに便利なサイズ…?
何個か手に取り匂いをかぎながら、じゃあこれでと 銀細工の小さな入れ物に入ったものを指差した。
言われた通りのマドルを支払い品物を受け取り、紙袋片手に寮へ戻る。
こんなに小さいのに妙に重たく感じた。

「こういうの…柄じゃないっつーか……よくわからんっつーか…」

誰かに言い訳するみたい呟きながら 寮の扉を開けるが案の定彼の姿はなかった。
まぁそっちの方がありがたいな、と彼の机に紙袋を置いた。
何となく気まずさを感じて溜息をつく。

「さてと…仕事の準備するか」





今日も今日とて、カリムの報告を聞いて部屋に戻れば 彼の姿はなかった。
寮服が畳んである所を見ると仕事にでも行っているんだろう。

あの日苛立ちを彼にぶつけてから。
トラジャは俺に話しかけてくることはなかった。
何回か選択科目が被ったが隣にはあの獣人がいて、その姿を見る度に苛立ちが生まれた。

誰と仲良くしようが俺が咎められるものじゃない。
それでも、俺にとっては彼は唯一の存在だった。
幼い頃、2度俺たちを助けてくれて それ以降も契約があったとはいえ俺を救ってくれた人だった。
俺をバイパー家のジャミルとして カリムの従者として扱わない、唯一の存在。
だから、手放したくなかった。

「…子供か、」

独占欲なんて、馬鹿馬鹿しい。
ベッドに腰掛け溜息をついたとき、机の上に紙袋がある事に気づく。
俺のものではないし、鍵がかかるこの部屋に入れるのは彼だけ。
少し警戒しながら袋を開ければ銀細工の入れ物が入っていた。

「なんだこれ…」

ひっくり返せば ハンドクリーム と書かれたシールが貼られ 蓋を開ければ彼の瞳の色によく似た薄紫色のクリーム。
強すぎない香りが鼻腔を擽り、少しだけ指に掬う。
あかぎれや擦り傷の絶えない決して綺麗とは言えない自分の手には少し勿体ない気がした。

「……馬鹿な奴」

こんなもん買わなくたって、一言声をかけてくれればよかったのに。
なんて、突っぱねたのは俺なのに。
今日は何時頃に帰って来るだろうか、とクローゼットの鏡を見つめる。

ひとまず、明日の準備をしてから 少しだけ待ってみよう。なんて。





仕事を終えて寮へ戻れば珍しく明かりがついていた。
普段なら消えている時間なのに、と隣のスペースを見れば 机に突っ伏し眠る彼の姿があった。

「…そんな寝方するなよ、疲れとれねぇぞ」

結いてある長い髪を解けば、備え付けのシャンプーとは違う香り。
怒ってると思ったのにわざわざシャンプーは変えてくれたのか。
律儀なやつだ、と考えながら そっと彼を抱き抱えベッドに下ろした。

デスクの上には今日の授業のノートと俺が置いておいたハンドクリーム。
開封されているし、一応使ってはくれたのだろう。

「…ごめんな、」

何に怒ってるのか分からずに謝ったって、きっと意味はないだろうけど。
眠る彼の頬を撫でながら呟いた。

風呂に入って着替えを済ませた頃にはもう外は明るくなっていた。
眠気は晴れていて、とりあえずベッドに寝転び目を閉じる。
訪れない眠気を待ってどれくらい経ったか、目覚ましが鳴った。
と言っても音が出た瞬間に消された。
どうやって起きてんだろう、とは思ってたけど そりゃ目覚ましの音が聞こえないわけだわ。

「いつの間にベッドに…」と呟く声が聞こえる。
俺も起きようかとも思ったけど 顔も合わせにくいし 狸寝入りを決め込んだ。

「トラジャも…いつの間に帰ってきたんだ…」

布の擦れる音が聞こえ、それに埋まってしまうくらい小さな声で彼は呟いた。

「…結局お礼も言ってないし……はぁ、今日の夜話せればいいんだが…」

これは起きてあげた方が良かったかもしれない、と彼に背を向けたまま目を開ける。
けどこの独り言聞いてたってバレたらまた怒るかもしれないしなぁ…

足音がベッドに近づいてきて、とりあえずもう1度 目を閉じる。
顔に視線を感じるんだけど。

「………おはよう、トラジャ。…行ってきます、」

これ、もしかして毎朝やってる?
人の寝顔見てるなよ、と思うが なんというか健気というか。
微かに香るハンドクリームの匂いに、もうなんか ダメだった。

ぎし、と音が鳴り彼が歩き出そうとするのを 腕を掴んで止める。
ビクッと大きく肩が震えたのも無視して そのまま引っ張れば 彼の体は俺の腕の中に飛び込んできた。

「っ!?!トラジャ!?!」
「…おはよう、ジャミル」
「お前!いつから、起きて…!!」

最初から、と言えば思いっきり肩を殴られた。
痛いんだが。
まぁいいけど。

「なぁ、おはようも行ってきますも面と向かって言ってほしい」
「っ!」
「不満もなんもかんも 言葉にしてほしい。俺は、殺すことしか知らないから、汲み取ってやれない」

すまない、と呟いて 意外に暴れることも無く腕の中にいる彼に視線を向けた。
艶のある髪から香る匂い心地いい。
撫でたら怒るだろうか。…怒るだろうな。

「お前が何に怒ってるのか正直未だにわからないし。仲直りってやつの仕方も謝り方もわからない」
「じゃあ、あのハンドクリームは…?」
「仲直りの仕方聞いたら…飯でも奢って謝れって言われた。けどジャミルは自分でご飯作れるだろ?あんま、喜ばないかなぁって。代わりに…なんか喜んでくれそうなもの渡せばいいんかなって思って」

前触れた時気になったし、と彼の手に触れた。

「使ってくれた?」
「…まぁ、」
「良かった。せっかく解放されるんだから、」

大事にしてくれ、と言えば 腹が立つと彼は呟いた。

「なんで怒らないんだ…」
「なんで怒るんだ?」
「何もわかってないお前に八つ当たりしたのに」

ジャミルはやっと顔を上げて俺を見た。
真正面からちゃんと見るのは久々な気がしてしまう。

「わかってやりたかったから」
「…馬鹿だろ」
「学がないのはお前だって知ってるだろ」

そうじゃない、と彼は言ったが 呆れたように笑った。

「…お前には面と向かって聞いた方がいいのかもな」
「うん?」
「お前にとって俺ってなんだ」

何、とは。
ジャミルはジャミルじゃないのか?

「…素で困った顔するな」
「ジャミルはジャミルだ。それ以外にあるのか?」
「……お前は、そうだったな」

うん?
よく分からないけど。
笑ってる彼が安心してるように見えるから いいのかもしれない。

「離せ。お前ももう起きるだろ」
「…そうだな、」
「お前はそのままでいいよ」

そういうお前だからいいんだな、と彼は笑った。

「よく分からない」
「それでいい」

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