俺が嫌なこと

翌日。
奇異の目を向けられることを覚悟していたが 何事もなかったかのようだった。

「おはよう、トラジャくん」
「あぁ、おはようラギー……て、なんだその制服」

明らかにサイズの合わない制服を纏う彼は レオナさんのお下がりっスと笑った。

「でかいだろ、それ」
「まぁ。けど、着れるのに勿体なくないっスか?これ捨てるとか言うんスもん」
「いや、まぁ…勿体ねぇけど。制服、新しいの買ってもらわなくて良かったのか?」

浮いたお金でご飯を奢ってもらう約束をした、と言って 彼はシシッと笑った。
なるほど、ちゃっかりしている。

「昨日の件は箝口令敷かれたっスから。外にバレることもないだろうし、被害者2人は謹慎するって」
「そうか。少しはマシになって帰ってくるといいな」
「そっスね」

トラジャくんの制服は大丈夫っスか?と言う言葉にくるりと1周回って見せる。

「見ての通り。どうせダメにすると思ってたから、買っておいたんだよね」
「制服ダメにするって……」
「やんちゃだからなぁ」

やんちゃって言葉には収まらないっスよ…と小さな声でラギーは言った。
あの程度でこういう反応なら 今後はもっと大人しくしなければならないだろう。

「俺、ビビったスよ。昨日のトラジャくん」
「そう?まぁ…気持ちから折らなきゃ、報復って続いちまうからさ。1回目で再起不能にしないと」
「…うーん、一理あるっスね」

あんなの見せられちゃやり返そうなんて思わないとラギーは笑った。

「そだ。今日の昼、レオナさんが奢ってくれるっスけど。一緒に来るっスよね?」
「ラギーとの約束であって、俺は関係ないだろ?」
「出来んなら連れて来いって。言ってたっス」

うーん、と少し首を捻る。
めんどくさい気もするが、面倒なことは早い方がいいか。
わかった、と頷けば彼は嬉しそうに笑った。


昼休み。
ラギーはレオナさん と呼んでいた先輩に駆け寄った。
好きなもん買ってこい、と渡された財布にラギーの目が輝いた。
普段頼まないような高いメニューもポンポンと取り、山盛り盛った彼は嬉しそうにこちらを振り返る。

「トラジャくんはそんなんでいいんスか?」
「あぁ、」
「勿体ないっスねぇ、タダ飯なのに」

まぁ、普段より多くはとったし高いメニューも頼んだが。
元々食事に頓着ない俺からすれば 高い肉も安い肉も大差ない。
香辛料や唐辛子パウダーを別盛りでてんこ盛りに貰い 席に座る。

「……なんだその、赤いの…」
「唐辛子です」
「トラジャくん、いつもこうなんスよねぇ…」

料理を真っ赤に染め、その上から香辛料をぶちまける。
料理じゃない、という彼の呟きを無視して 口に運べば顔を顰めた。

「…よく、食えるな…」
「まぁ、そういう体質で」
「………まぁいい。改めて サバナクロー寮の寮長 レオナ・キングスカラーだ」

寮長。
なるほど、ただの先輩じゃなかったのか。
口の中の香辛料を味わうように舌ですり潰す。

「…お前は?」
「トラジャ・フォリー。所属はスカラビア」
「スカラビアか…」

俺と必修が同じで、と頬をパンパンにさせながら ラギーは付け加えた。

「昨日の件、一連の流れは聞いた」
「そうっすか」
「元はと言えばアイツらが撒いた種だから、大事にする気はないが……」

あれはやりすぎだ、と彼は言った。

「…魔法を使ってなかったとはいえ……」
「俺の地元、暗黙のルールがあるんすよ」
「ルール?」

フォークを手に取り、昨日のようにくるりと回す。

「やるなら、徹底的に。立ち上がれなくなるまで。
やられたら、やり返せ。生きてることを後悔するまで」

ぐさりと鶏肉にフォークを突き刺し、笑った。

「やり返すなら、死なせてくれと懇願するまでやる。そうでなきゃ、次やられるのは自分だ。……昨日のは甘いくらいですよ。手足はあるし、指も全部揃ってる。歯だって1本も欠けてない。耳も聞こえ、目も見えて、舌もあって。たーだ、ちょっと耳に穴が空いて 鼻の骨が潰れたくらいでしょ?」

死にたくなる程じゃないじゃん?ならかすり傷だ と肉を頬張れば彼らは表情を強ばらせた。

「喧嘩を売る相手を間違えてんだよ。生きたいなら、喧嘩を売る相手は選ばないといけない。それだけの話」





色々突っ込みたいことはある。
思わず2度見してしまったトラジャとサバナクロー寮の寮長 レオナ・キングスカラーが共にご飯を食べている姿。
そしてそれに気をとめもせず山盛りのご飯を食べているラギー。
異様なその光景を周りも見ていたが、当の本人たちは気にした様子はない。
ペンを回すようにフォークを回す 決して行儀が良いとは言えない行為をして 彼はフォークを肉に突き立てた。
その姿が 人を殺す彼とダブる。

何を話しているのかまではわからないが、トラジャはニヒルに笑い またもや行儀悪くフォークの先を相手に向けたのだ。
その姿を盗み見ていれば 彼は俺に気づきにんまりと笑った。
そして、人差し指を唇にそえて おまけとばかりにウインクをする。

レオナ・キングスカラーはこちらを振り返り不思議そうに首を傾げた。
あいつは時々俺を 女扱いしてるんじゃないかと思う。
ハンドクリーム然り、あのウインク然り。
まぁ、ハンドクリームは有難く使わせてもらっているが。

話が終わったのか 彼は立ち上がる。
向けられていた無数の視線が散らばる光景は少し異様だった。


「レオナ先輩と何を話してたんだ」

夜。
部活も明日の準備も終えて眠るまでの決して長くはない俺の自由な時間。
お風呂から帰ってきた彼にそう尋ねれば 首を傾げた。
濡れた髪からぽたぽたと雫が落ちる。

「…こっち来い」

ベッドに腰掛け、彼を自分の前に座らせる。
意味をなしていない肩にかけたタオルを手に取って、濡れ髪に触れた。

「乾かしてから来い」
「…めんどくさくて。ありがとう、ジャミル」
「で?何をしてたんだ」

問い詰めるような言い方になったが彼は気にした様子はなく、世間話かなぁと呟いた。

「…寮長とか?」
「そう言われると確かに。…まぁ、サバナクローの寮生と少し揉めたんだよ。それを、あの人が揉み消してくれたってだけ」
「揉めた……?」

髪を乾かしていた手が止まる。
今日の授業中、聞こえてきた入学早々に謹慎になった生徒がいると。

「……生きて……るよな?」

絞り出した声は少し震えて、彼はこちらを見上げた。
薄紫色の瞳が細められ、下から伸びてきた手が頬を撫でる。

「トラジャ、」
「そんな顔すんなって」

殺してないよ、と彼は言う。

「仕事以外の殺しはしない。言ったろ?」
「そう、だったな…」
「ちょっと、痛い目見てもらったけどね」

そのちょっと、はきっと俺たちのちょっととはかけ離れているんだろうな。
彼の手は好き勝手 人の頬を触り 今度は髪を梳きながら耳に触れる。

「ん、っなにしてるんだ…」
「触りたいだけ」

擽るように耳の中に差し込まれた指。
くぐもった音に自分の心音が混ざる。
時々、こんな風に触れるからたちが悪い。

「やめろ」
「なんで?」
「っ、」

整った顔は綺麗に笑ってみせる。
本当に嫌だ。
コイツは、自分のことをわかっていなさすぎる。

「ジャミルに触れたいんだけど」

反対の手が俺の指に触れた。
反射的に引っ込めようとしたがぎゅう、と握りしめられる。

「…そのシャンプーの匂い好き。ありがとう」
「別に、お前の…ためじゃ、ない」
「じゃあ…誰のため?」

そいつを殺してしまおうか なんて彼はおどけて笑う。
お前にとって、俺は俺でしかないと言ったくせに。
そんなことを言うのなら、もっと求めてくれればいいのに。なんて。

「…トラジャ」
「うん?」

小さく息を吐いて、彼の額に 自分の額をぶつけた。

「痛っ!?」
「…気安く、触るな」

お前が欲しくなる。
俺だって、触れてしまいたくなる。

「酷いなぁ」

トラジャは額を擦りながら立ち上がった。
俺を見下ろして、トラジャはそっと髪を撫でる。

「人の話、聞いてたか」
「どうすれば触っていい?」
「………自分で、考えろ」

無理だと言われるのがわかっているのに。
付き合えなんて、言えるはずない。
それに俺は 自由に恋愛をすることなんて許されはしないから。
たとえ許されても、彼は殺し屋。
認められるはずがない。

「そっか、残念…」

髪の毛が彼の手から零れ落ちる。
キツすぎない爽やかなシャンプーの香りは、彼が好きだと言っていたお香に似ていたから選んだなんて きっと口が裂けても伝える日は来ないだろう。

目を伏せようとした時、顎が掬われた。
至近距離で視線が絡み、鼻に彼の唇が触れる。

「なっ!?!!!」
「おやすみ、ジャミル」
「っトラジャ!!!?!」

彼は振り返りもせずくるりと指を回し 部屋の明かりを落とす。
そして ぎし、とベッドに乗った音がした。

「人の話を聞け!!」

ベッドから降りて、彼のベッドに歩み寄れば 「来ていいの?」と彼は静かな声で問うた。
暗闇に薄紫色の瞳が浮かぶ。

「俺はジャミルの嫌なことはしたくないけど」

その瞳は綺麗な弧を描く。

「俺は俺が嫌なことはしないよ」

俺に触れることは、俺が嫌がったとしてのやめる気は無い。
そういう、ことだろう。

「…触れたい、理由を…言え」
「そんなの、ジャミルだから。それ以外にあるわけない」

前と同じ。
それが嬉しいのに、それが気に入らない。
欲しい言葉は、それだけじゃ足りない。

「っ、もう…いい…俺も寝る」

足は前には動かない。
越えられない線が目の前に、ある気がした。
いっその事、無理矢理してくれればいいのに。
強引に引っ張って、ベッドに縛り付けて。
そうすれば、こんな 余計なこと考えずに 酔ってしまえるのに。

「……おやすみ、ジャミル」
「あぁ、」

お前はきっと、そんなことはしないんだろうな。

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