喧嘩を売る相手


その日は他のクラスとの合同授業だった。
人数の多くなった実験室の黒板に貼られたペア割。

「別々っスねぇ、案の定」
「まぁ、仕方ないか…」
「じゃ、また後で」

目が合ったジャミルにひらりと手を振れば、彼は目を丸くさせてからおずおずと手を振る。
なんだかんだ、同じ授業になることは珍しい。
まぁ、最初に合わせなかった俺も悪いんだけど。
俺とジャミルじゃ頭の作りが違うから、根本から取りたいものも被らないのだ。
最初それで喧嘩にはなったけど、結局話し合っていてもこの結果だっただろうなとは思う。

そんなことを考えながら決められた場所に座れば 随分と長身の男が隣に座った。
どろーん、という言葉が似合いそうな程体に力は入っておらず、直ぐに机に突っ伏す。
授業が始まり今日の課題の説明がされる。
内容としては決して難しくはない。
ただ、手順が多く面倒くさそうってだけ。

「説明は以上だ。材料を前に取りに来い」

結局、説明が終わるまで起きなかった隣席を一瞥してから材料を取りに行く。

「なぁ、始めるぞ」
「…なに…?俺、やる気ねぇから勝手にやってぇ。いちいちうぜぇ」

じろ、と俺を睨んだかと思えば彼はそう言ってひらりと手を揺らした。

「……じゃあ、どっか行ってくれるか?邪魔だから」
「はぁ?」

重たそうに体を起こした彼が「なぁに?もう1回言ってみろよ」と地を這うような声で言った。

「だから、邪魔だからどっか行けって言ったんだが?体調が悪いんだか、やる気がないんだか知らないが。そこに居られても邪魔なんだよ」
「あー……うっぜ…なに?何様?締められたいのぉ?」

彼は立ち上がり、俺に手を伸ばす。
その手に込められた悪意に気づかないわけがない。
いなして、地面に押さえつけてしまおうかとも思ったけど はたと気づく。

授業中に問題を起こすのは良くないか?
てかまず、加減のしようがわからない。
殺さず痛めつけることに関しては、お上からお墨付きを貰ってるくらいに上手いのだか殺す前提である。
この間の件で まぁまぁしっかりとレオナさんにも怒られてしまったしな。

伸びてきた手が自分に触れるその直前。
指をくるりと回し、彼の足首を引っ張った。

「ぅえ!?!」

傾いた体は材料を置いていた机の方へ。
大きな音を立てながら、彼諸共机の上のものは床に落ちていく。
再びくるり、と指を回した。
皆の視線が彼に集まる中、隣の机から鋏を盗み 彼の顔目掛けて落ちるように魔法を解く。
キュッ、と目を瞑った彼の顔スレスレに鋏は突き刺さった。

「何をしている!?!」

先生が大きな足音をさせて駆け寄ってくる。
倒れた彼とそれを見下ろす俺。
パッと見、俺が何かしたようにも見えるなと 彼の傍らにしゃがみこんだ。

「大丈夫か?」

どの口が言うんだ。
笑ってしまいそうなのを堪えて、倒れた彼にそう声をかける。
顔スレスレの所にある鋏を引き抜けば、彼は少しだけ怯えたように見えた。

「先生、すいません。どうやら彼、体調が悪いみたいで」
「は?ちょ、」

彼の体を起こして、「そうだよな」と色の違う双眼を覗き込む。
ひくりと唇が震えたのを見て、ふっと表情を緩めた。

「立ち上がった瞬間にふらついたんです。保健室で休ませて貰うことって出来ませんかね」
「…そういうことなら、仕方ない。自分で歩けるか?」

俺が付き添うか?と尋ね再び双眼を見つめる。
少しだけビクついた彼は大丈夫だと言って、教室を出ていった。

「お騒がせしました」
「材料は…」
「大きいものは大丈夫そうです。あ、この粉末だけ」

それなら予備がある、と先生は準備室へ向かっていった。

あぁ、面倒臭い。
いつものように指を回そうとして、やめる。
そうだった、ここではペンを使わないと行けなかった。
腰にぶら下げたペンを手に取り、くるりと回せば散乱した物が元の場所へ戻っていく。

「ペアに余りがいないが、」
「大丈夫です、1人でやりますから、」

材料を持ってきてくれた先生に笑顔を振りまく。

「混ぜるのとかだけ、魔法を使っても?」
「……仕方ない。特別に許可しよう」
「ありがとうございます」





平和に授業を終えたつもりだったんだけどな。
なんて、こうなることは少しだけ予想できていた。
あの高身長の男は俺を見下ろし、大層不機嫌そうだった。

「なぁんか、言うことねぇの?」
「体調はもう良いのか?」
「冗談でしょ?俺の事倒したの、お前だよね」

何を証拠に、と笑ってみせた。

「お前が勝手に、躓いてコケたんだろ?その上、教室を出る口実まで作ってやったのに随分な言いがかりだな」
「おやおや、随分な物言いですね。鋏まで向けたというのに」

彼の後ろから現れた同じく高身長の男。
顔はよく似ているし、兄弟かなにかか?

「向けた?本当に言いがかりばかりだな。…ただ落ちただけだろ?俺はあの時鋏は持ってなかった」
「あんな不自然に、落ちてくるわけねぇじゃん。それに、足も引っ張られた感覚があった」
「へぇ?それがどうして俺のせいだと?」

貴方のせいで怪我をしたかもしれないのに悪びれもしないのですね、と相方が言う。
悪びれもしない、ってレオナさんにも言われたばかりだな。
まぁ、悪いと思っちゃいないのに何故悪びれる必要がある?
元はと言えば、彼のあの態度が問題だろう。

「怪我したかもしれない、と言うが元はと言えば やる気ねぇから勝手にやって と言ったそいつの問題じゃないか?そういう気の緩みが、大きな事故を招いた。それを俺のせいにされてもな?言いがかりもいいとこだ」

大釜の横で寝られてみろ。
もし、薬品を零したら?
もし、錬金術が失敗したら?

「そういうことを踏まえて邪魔だと言ったのに、逆上して、転けて?挙句の果てに俺のせいってか。なぁ、お連れさん?俺を責める前にそいつの態度を改めさせた方がいいんじゃないか?」
「あー…うっざ。もうよくねぇ?最初から絞めちゃえばよかったのに。なにその説教、センコーかよ」
「おや、フロイド…もう我慢の限界ですか?まぁいいでしょう、僕も初めからそのつもりです」

2人の纏う雰囲気が変わった。

「素直に謝っていればいいものを…」
「いや、自分が悪くねぇのになんで謝んだよ」
「力ずくで、言うこと聞かせた方が早ぇもん」

2人が笑う。
何が目的なのかよくわからないが、とりあえず戦いたいことはわかった。
制服新しいの卸したばっかりだし、あんまり汚れたくないし。
あの時みたいに揉み消してくれる人がいるかもわからない。
となれば、1発貰って正当防衛を と考えたが少し考える。
正当防衛なんて可愛いもので俺が終われるのか。

彼らの攻撃を1発ずつもらい「口だけかよ」と笑った彼を見やる。

「まぁいいか。…ここは、馬鹿ばかりだな」





授業中のトラジャの様子が気になっていた。
同じ部活に所属するフロイドと彼の間に、何かあったのだろう。
フロイドを見送ったトラジャの目は、仕事中にする目によく似ていた。

部活を休むことを先輩に伝えて極力人の少ない所を選び探せば、案の定聞こえてきた 喧嘩の音。
倒れているフロイドの兄弟だというジェイドと額から血を流して 頭を掴まれたフロイド。
長身を引きずり、壁の方へ歩く。
気絶してる2人に反して、トラジャは鼻歌まで歌っている始末だ。
頭を掴んだ手が振り上げられ、壁に叩きつけられる寸前。

「トラジャ」

彼の名前を呼べばピタリと動きを止めた。
振り返った彼は薄紫色の目に欲望を浮かべ、にんまりと笑う。

「ジャミルだ」
「やりすぎだ。殺す気か」
「えぇ、」

先日の謹慎してるサバナクロー生もきっとこんな感じだろうな。
寧ろ制止の声がなかっただろうから、これ以上か。

「授業中、嫌な予感がしていたんだ」
「変な言いがかりつけてきたのはコイツらだよ」

ポイ、とゴミのような放り投げて 彼は制服を正した。

「正当防衛っしょ?1発貰ってあげたんだから」
「明らかに過剰防衛だ」
「あれ、おかしいなぁ」

子供のように彼は笑って、「放課後は忙しくしてなかったっけ?」と首を傾げた。

「部活だからな」
「部活?」
「入ってないのか、お前」

何それ?と彼は大真面目に言った。
そう言えば学校に通うのが初めてならそれが何か知らなくてもおかしくはない。

「…あとで教えてやる。それよりも、そいつら…どうする気だ」
「どうって?」

処分した方がいいのか、と尋ねてくる彼に頭が痛くなる。

「やめろ、馬鹿。とりあえず保健室か…」
「あぁ、そっち」

彼は指をくるりと回した。
彼の瞳によく似た薄紫色の石が嵌められた指輪が少し光る。
みるみる傷が治っていくのを彼は見下ろし、治したばかりのフロイドの頭を軽くつま先で小突いた。

「ねぇ、起きてよ」
「な…、に…?」
「おはよう」

髪を乱暴に掴み、彼は無理矢理目を合わせ微笑む。

「取引しようぜ?」
「は?」

指がまた動いた。
そして、引き摺り出されてきた生徒。
たしか、同じクラスのアズール・アーシェングロット…?
額から血が流れ、どうやら意識はないらしい。

「全部忘れられるよな?」
「なに言ってんの」

どっから現れたのか。
アーシェングロットとジェイドに沢山の刃が向けられる。

「もう一度聞く。全部……忘れられるよなァ?」

取引なんて、よく言ったものだ。
それは脅しと言うのだが、それを教えてくれる者は彼の傍にいなかったのだろう。

「お、前っ!!!」

掴みかかろうとしたフロイドを押さえつけて、彼は地を這うような声で同じことを言わせるなと言った。

「お前に与えられてるのはYea or Noの2択。それ以外は聞いてないんだよ」

自分より体の大きなフロイドを押さえつけた彼は随分と愉快そうに笑っている。

「Yesならお互い今日のことは水に流そう。Noなら彼らの爪を交互に剥いで お前がYesと言うのを待とう」

だからそれ、脅しだろ。なんて。
まぁわざわざ指摘してやる気はないが。
白くなるまで手を握りしめたフロイドは絞り出すようにわかった、と答えた。
いい返事だとトラジャは笑って、アーシェングロットに歩み寄る。

「アズールに触んな!!」

フロイドの叫ぶような声に彼は反応も見せず、くるりと指を回した。
傷が治り血が消えた彼の手にあったカメラを拾い、どろりと溶かしてにこやかに振り返った。

「喧嘩を売る相手は、しっかりと見定めることだな」

純新無垢な少年は上機嫌に笑っていた。

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