09
 膝がタイルの冷たさを感じている。XANXUSさんの冷たい体をしっかりと抱きとめたまま、これからどうしようか随分と長い間考えていた。ここには時間を示すようなものはなく体感で感じたものではあるのだけれど。
 誰かを呼ぶにしろここは携帯も使えそうにない地下だし、一人で担ぐことは物理的に不可能だ。せめて意識が完全に戻っていればと思ったものの、この体の重みは意識を失った男性のそれである。転がるように降りてきた階段を一人で登り切ることは難しいだろう。一旦ここは一人で戻るべきかもしれない。
 上の人たちがいつまでもこのことに気づかないなんて、都合のいいことは起こらない。存在を秘匿されていたXANXUSさんが8年ぶりにボンゴレ本部で発見されれば銃を向けてくる人もいるだろう。戦えるのはスクアーロしかいない。そして、戦う意思を見せてしまえば機を伺っていた上によって私たちは確実に処分される。せめて私じゃなくて別の人が来ていれば。
 起きてしまったことはしょうがない。後ろ向きに歩いたとしても時は戻りはしないのだ。マーモンだったらどうするだろう。そんな思考に切れ込みをいれたのは、聞こえるはずのない声だった。
「お迎えに上がりました。XANXUS様、アヴィド様」
「あなたがXANXUS様を見つけるのを我々は待っていたのです」
 二人の女がいた。
 それは女の形をしている。地下に来て一気に寒くなった空気だったが、更に薄ら寒いものが背中の後ろを吹き抜けていく。
 嘘だ。人がいたなら私にわからないはずは無い。今までその部分に対しては揺らがない絶対的な自信があった。それなのに現実はいとも簡単に私の自信を崩していく。
 背後から話しかけて来た女のうち一人の音は私たちの側へ近寄ってきて、私の顔を覗き込んだ。もう一人はXANXUSさんが眠っていた辺りを探って何かを拾い集めているようだった。仮面を被り、シックな服装から覗かせている。仮面をしているから断言はできないが、全く知らない人たちだった。
「”何者”ですか、あなた達。何で私の名前を」
「我々は9代目直属のチェルベッロ機関と申します。どうぞよろしく」
 9代目、紡がれた音に体がぴしりと固まる。それは別にその名前に反応しただけでは無かった。女の声に含まれた感情が私の一番苦手なものを感じさせるものだったからだ。
「……あなたのことはこちらにおられるXANXUS様から伺っておりました」
「少し失礼します」
 自称”脳”と名乗った女は私の首に手をやった。かちゃりと音がして一瞬身構えた。途端に視界がクリアになり、今まで見ていたものがガラリとかわりに滲むように色づく。女の髪がピンクであったのも、褐色の肌を持つのだと言うことも今やっと視認することができた。
「こちらに緊急用のエレベーターがあります。お手伝い致しますのでどうぞご移動を」
 女の背後には一体いつ用意したのかも分からない車椅子と、その奥に僅かに光を放つ昇降機が隠すように存在していた。
「あなた達は9代目の手の者なんでしょう。XANXUSさんを連れていってどうするつもりですか」
 見えなくなった熱の代わりに腕の中にある体温に私は必死にしがみついた。連れて行こうとしないで。私たちからまたXANXUSさんを奪わないで。まぶたの裏に浮かぶ8年間の長い年月は走馬灯のように駆け巡る。やっと一歩進めたと思ったのに運命はこんなにもひどいものなのか!
 睨みける視線に眉ひとつ動かす様子もない。チェルベッロは彼女らと同じ体温の声で答える。
「ヴァリアーのボスであるXANXUS様にあるべき場所に帰っていただくだけです。我々が責任を持ってお連れ致します」
「得体のしれないモノにこの人を預けることなんてできません」
 僅かに身を引いても、意識のないXANXUSさんを腕に抱いている状態で動ける距離なんて本当に数センチにも満たない。
「我々の正体など知らなくてもいいのです。すべきことはあなたが彼を見つけ出し、XANXUS様をあの場所で待つこと。簡単なことだとは思いませんか」
「我々は我々の役目を果たします。……アヴィドさまはあなたの役目を果たしてください」
 結局のところ、ここから移動するのに一人ではXANXUSさんを動かせないという事実は変わらない。ここで時間をロスするよりも早くXANXUSさんをベッドに寝かせることが優先だろう。時は金なりだ、言い聞かせるように強く噛んだ唇から鉄の味がする。
 チェルベッロたちに介助されながら私たちはゆっくりと歩き出した。地上へと登っていくエレベーターの中で自分の非力さと無力さをただ呪った。