10
ボスが帰ってきたと沸き立つ喧騒を扉一枚隔てた部屋の中からぼんやりと聞いている。窓の外はもう暗くなっていた。夕方前には帰ってきたはずだったので一人でこうして大人しくしているのも長かったらしい。ドタバタと扉越しに使用人が駆け回る音が聞こえる。フィレ肉がどうの、熟成肉がどうの。残念なことに本部に行くついでに肉の買い出し行く予定だったからまともな肉は置いてないはずだ。お酒のあてにするサラミがあったはずだけど、もう既に食べられてしまっているかもしれない。XANXUSさんの舌を満足させるためにキッチンは今や大混乱だろうなあと思っていると、小さな紅葉がぺちりと頬を叩いた。こっちを見ろ、と言いたげなマーモンの仕草にふふと小さく笑う。
「体調も”目”も今は問題はなさそうだけど、暫くは安静にしておくんだね」
最後に力任せに頭に乗せてたゴーグルを引き下げると、マーモンの定位置である腕の中にすっぽりと収まった。昔から心配させてばかりだ。ごめんね、と謝ればそんなものはいいと一蹴されるので私は無言でマーモンの小さな手を撫でた。子供体温のそれはいつもより少し冷たかったような気がした。
「……マーモンは行かなくて良いの?」
ボスの帰還を祝う食事会には(レヴィの号令で)、幹部たちは全員招集されていたはずだ。それでもこの人はここから動こうとはしない。金が絡むこと以外はもとより消極的な部分はあるにしても、XANXUSさんに顔を出しに行かない人はそうそう居ないだろう。私なんかより先に会いにいって然るべきの相手なのに、マーモンは特に気にするようなそぶりも見せなかった。
「君から報告聞いてからでも遅くはないよ。今日、あの場所で君たちに何があったのアヴィド」
落ちついて話せという意味が含まれた優しい声色だった。どこからどんな風に話すべきなのか頭の中で何巡かさせてみる。報告をしに行った本部で膨大な”熱”を感じたこと。追いかけた先にXANXUSさんがいたこと。7つの炎の跡があったこと。少しずつ記憶を元に糸に紡いでいく。見たものをそのまま全て話すということはとても難しい、これならまだ報告書の方がいいななんて零せばマーモンは理解できないねと小さく頭を振った。
「地下から出る時に気を失ったから、それ以降の記憶はないんだよね。恐らくだけどスクアーロのいった通りなんだと思う」
報告を終え部屋を出たスクアーロは待っているはずの私がいなかったことに驚いて探してくれていたそうだ。彼曰く、私とXANXUSさんは二人の女性を引き連れて、前触れもなく壁の中から現れたらしい。突然のことに剣を向けるスクアーロに対してチェルベッロ機関は9代目の指示でここに迎えにきたのだと伝えた。一見してみてもそこに扉はなく、触ってみても隠し扉の継ぎ目のようなものもなかった。ただ、何もない場所から見知った顔が出てきたのは動かない事実だ、幻覚でカモフラージュされていたのは明白だと彼は一瞬で理解したという。そして、このボンゴレ本部でそんなことができる人と言えば限られるうえ、9代目によって居ないことにされているXANXUSさんを連れていたのも彼にとっては脳内に鐘が鳴らされたような衝撃があったに違いなかった。
「他になにか言い忘れていることはないかい?」
「うーん……チェルベッロ機関とかいう人たち、私のこと知ってるって言ってたの。XANXUSさんから聞いたって言っていたけど……この目のことも知っているのかな」
ゴーグルの画面一枚で世界と隔絶された左目。前髪がゴーグルの上に掛かって私の顔を覆う。髪の間から透けた景色が滲んでいた。
この”瞳”は特別製だ……と言っても、大した力があるわけでもない。未来とか過去が見えるとか、見たものを石化させてしまうだとか、死線が見えるだとかそういった大それたものではないことだけは声を大きくして伝えたい。この窪みから顔を出すそれは、少しばかり強力な赤外線感知センサーが埋め込まれた精巧な義眼だった。ただ、それだけのために代償に醜い傷跡と本来の視力の退化を強いられて造り出されたものだ。別に目が悪かった訳でもない女の子の顔にメスを入れるなんてマフィアには常識というものが通じない、まあ通じないからこそマフィアなんてものになっているんだろうけど。
常日頃からこの大きなゴーグルをしているのだって、常に稼働しているセンサーをシャットアウトし視力を矯正するためと、この傷を隠すための二つの意味がある。
眠りから醒めた時、私の左目にはこの機械が埋め込まれていた。今まで映し出されていた景色は消え去り、目を開いているはずなのに目の中にうまく像を結べない。見えていたのは灰色の世界と、沢山の温度。一人だけ別の世界に放り出されたようで私は泣いたけれど、左目からはもうそんな水分が出ることすらなかった。
マーモンは、そんなさみしい世界と皆のいる世界を繋ぐ楔を創ってくれた人だった。
「確信はないけど恐らく知っているんじゃないかな。幻覚を認識できない君がその場に一人にされたのも意味があったのかもしれないね」
脳へ干渉する情報の多くは目から入る。幻術は脳へと直接作用するものだが、それを伝達する道が閉ざされていればそれは幻術が作用しないことを示す。この左目は赤外線が見える代わりに、幻覚が見えないという代物だった。
憎らしいものだったが、使えるものは全て使えとマーモンは言っていた。それが”呪い”によって今も苦しめられているマーモンからの言葉じゃなかったらすんなりと頷くことは出来なかったに違いない。
「それにしても7つの炎の痕跡があるってのが気になるね。マフィア……それもボンゴレで7つという言葉が意味するのはアレしかないだろうし」
「ボンゴレの至宝、ボンゴレリング……」
「アレは歴代ボンゴレに選ばれし者に贈られる宝だ。それを動かせる人なんて9代目しかいないだろうね」
「……9代目がXANXUSさんを10代目に認めたってこと? ついに?」
「そういうことだと思いたいけど。彼は日本にいる候補を後継者に選んでいたはずだ。9代目は何を考えているんだ?」
「あの人の考えなんて昔から一度だってわかってことなんてないよ」
神の采配との呼び名の高い9代目、8年前のクーデターでは10代目の座をXANXUSに指名することを拒んだあの人。
今回XANXUSさんを眠りから覚ましたのが、誰も10代目に相応しくないからと言う理由であったなら、あの時に否定されたXANXUSさんの気持ちはどこへいくのだろうか。そんなの、勝手がすぎるんじゃない?
いつかあの人がボンゴレを継ぐのは私たちにとっては喜ばしいことだし、願っていたことだけれど折り合いをつけれらない部分がないと言えば嘘だ。腹の底からどす黒い感情がぶわあと湧き上がる。肌の穴からにじみ出てきそうな気持ちをグッと抑えて飲み込んでみる。味なんて感じるはずもないのに喉の奥が苦くなったような気がした。