薄氷を纏いて春を望もう


 『妖術』とは。全ての人間に宿る『玄力』によって構築される異能のことを指す。
 そして、玄力とは人間に眠る超自然的な力……これを呼び覚ませ、己の肉体に巡らせた後にエネルギーとして出力できるか否かが肝と言えるだろう。
 妖術の性質は基本的に固有の能力であり、どのような能力かは生来からあらかじめ決められている。玄力の操作ができないままであれば気付くこともないままであろう生まれ持った個性の一つとも言えるだろうか。それは相伝だったり突然変異だったりとまちまちだ。
 そして、そんな己の強みである妖術を駆使し戦う者たちを『妖術師』と呼ぶ。

「そんでもってシズちゃんにはこれから妖術師になってもらう」
「……はん?」
「ゴチゴチ怪訝そうな顔やな」

 妖術師とは何か。その大まかな概要を柴から聞いた静姫は、それはそれは見事な「何言ってんだこいつ」顔を彼に向けた。

「なんや柴さんの言うことが信じられへんってか?」
「確かに柴さんの言うことが信じられないことは否定しませんが」
「しばくで」

 何をいきなりファンタジー路線強めな話をしているのだ、このおっさんは。静姫の心情としては大体こんな感じだった……しかしながら、彼女は既に柴の能力を見ている。
 所謂妖術とやらを六平家で身をもって体験しているのだ。六平家の結界の話などもあったし、信じざるを得ないだろう。

「でも、それってなんかあの……あの人知の及ばぬやべーやつですよね妖術って。あんな感じのことを出来る人が他にもゴロゴロいるってことが信じられません」
「実はあの人知の及ばぬやべーやつは人知が及んでんねん」
「そんな馬鹿な」

 いやマジでそんな馬鹿な。この世界は思ってたよりファンタジーだというのか?知らぬ間に異世界転移でもしたのだろうか……と静姫は頭を抱える。

「そんでシズちゃんは既にあんな感じの人知の及ばぬやべーやつが出来てんねん」
「……そういえば」

 そして、よくよく考えてみると、自分もなんかそれっぽいことをしていたのを静姫は思い出す。あちゃあ。
 割と自然に出来ちゃったからあまり気にとめていなかったが、そういえば静姫は結界すり抜けスキルを有しているらしかったのだった。
 なるほど。「オレ、何かやっちゃいました?」というのはこういうことか。いまだにアレ、どういう原理なのか見当もつかないけれど。

「で、でも、私はゲンリョク?を操作するとかそんなマジカルぱわわ、みたいなことしたことはないですよ?面倒なことに巻き込まれる確率を可能な限りゼロにすべく、常に音を立てないように気を使い続けてたというか……それ以外に何か特別な力を発揮していたとか全く覚えがありません」
 
 そうなのだ。静姫は自分が特殊な技術を持っているのだな、と実感していたのは事実だがあくまで「気を使えば誰でも出来ること」が「並外れて出来た」くらいの認識なのだ。
 そりゃあ、何故出来たのかもわからない結界すり抜けはやべーことなのかもしれないが、それでもあの一回だけ。己の肉体に秘められた玄力を呼び覚ます、なんて特別な教えがなければ出来そうもない大それたこと……しかも妖術と呼ばれるような異能を使って得られた恩恵など静姫には心当たりが何一つないのだ。
 ビーム出すとか瞬間移動出来るとか日常的に扱えてたら流石に気付く。
 まさか、そんな、ねぇ?そんな、馬鹿じゃあるまいし。

「いいや、シズちゃん。キミは間違いなく日常的に妖術を使うてたはずや」
「だから私そんな馬鹿じゃありませんってば!」
「何の話ぃ?」

 柴は静姫の頭の出来について話をしてた覚えはないのだが……。
 彼女は「馬鹿にされた」と思ったことで怒りを覚えたというよりは、その表情はどこか不安に満ちながらも己の身の潔白を真剣に訴えているように見えた。なんか知らんが勝手に何かに追い詰められているらしい。
 ちなみに、柴は静姫のことを「勉強ができるタイプの頭の固い馬鹿」だと思っている。

「まあともかく、俺の見解としてはシズちゃんの妖術は……ざっくばらんと大まかに言えば、音を立てない能力ではないかってとこやねん」
「いや、ですから……!私は確かに突出してそれが得意なことは自負していますけど、物音を立てないということ自体は気を付けていれば誰でも出来ることであって」
「こらっ!見くびったらあかん」
「え、なんか急に怒られた……」

 勝手な推測で自分を異能持ちだと持ち上げるのは勘弁願いたい。苦虫を噛み潰したような表情で静姫は柴の言うことを否定しようとしたが、その言葉は「めっ!」とでも言うように突き出された人差し指に堰き止められることとなる。

「どうやら、シズちゃんはまだ無意識のうちに自分のことを下に見る傾向にあるようや」
「う」
「まあ、理屈としては理解できていても十年分のこびりついた価値観ひっぺがすのは簡単なことやないけどなぁ……」

 ……それはずるいだろう、と静姫は不満げに口を尖らせる。
 自分としては今までの経験からしっかり異を唱えているつもりなのに、そう言われてしまうと何も言い返せなくなるではないか。
 だが、妖術云々は置いておくとしても、自然に自分を下げることに関しては心当たりだらけ……実に耳が痛い話だ。
 しかも、静姫は「自分の価値を高めることに励む」と言いつつも、先ほどの主張は確かに「自分にそんな特殊能力を扱えるような価値はない」という思いから発言していた。
 おおう、なんてこったい。自己肯定感上げる、とてもむつかしい……。
 いや、しかし待て。ということは……?

「柴さんの言うとおり、私は妖術を扱えると私自身が納得できたら……少しは自己肯定感上がりますかね?」
「おん。どんなことやろうと己にしかない絶対的な技術があると分かれば自信がついてしまうもんや。人間ちゅう生き物はな」
「自信……」
「せやから、まずは否定から入らず柴さんのシズちゃんプレゼン聞き入れてほしいねん。な?」
「プレゼン失敗した暁には私の自己肯定感は更に地底に埋まることになりますね。頑張ってください」
「嘘やろ急発進でエグい方向からプレッシャーかけてきよったこの娘」

 しかも、そんな涼しい顔で。
 


 柴は静姫に彼女が使用してきただろう妖術について解説する。
 彼が最初に言っていた気配や音を消すというもの……それについての詳細だ。
 静姫も自分に何か力が備わっているならば心当たりはそれしかない、と考えていたので特段意外でもない。強いて言うなら得意なことが妖術というジャンルに分類されるとは、世の中とは分からないものである。

「だけど、それはまだ力の一端にすぎんやろな」
「……え、マジ?」
「マジ」
 
 だが、柴の見立てだと静姫の妖術の本質はもっと別のものだと言う。

「シズちゃん、きみの妖術は謂わば『揺れ』や」
「……揺れ?」
「おん。きみは自然に生まれるはずの振動を操作できる。その副次的効果で気配や音を消し、さらには結界をすり抜けることもできた」
「……んん?」
「ピンときてへんようやな」
「まあ……うん、まあ」

 静姫には柴の言葉の意味が理解できなかった。一応自分がやっていることなのらしいが……何故、振動を操作して気配や音を消せるのかが分からない。振動とは一体……。

「振動がどうのっちゅうんは、中学生の物理分野で習うんやけど」
「分かるわけねえでしょうがよ」

 一寸たりとも義務教育を享受出来たことのない十歳女児に中学物理の話をするな。

「まあ、色々端折って説明すると音ってもんは空気中で規則的に揺れながら伝わっていってようやっと人の耳に聞こえるもんなんや。ぶるるぅあって」
「ぶるるぅあって」

 規則的じゃないように聞こえる。
 いやいや、いくらなんでも端折りすぎだろう……だからと言って、今ここで中学物理の細かい説明をされても困るけども。今度物理のドリルとか買わなくては。

「でもそれって憶測にすぎませんか?関連性があると断定はできないのでは……」
「せやな。そもそも妖術っちゅうのは体に巡らせた玄力をちこっとずつ出力し、自分の固有の力について紐解いていき、それからようやっとどんな能力か理解し確立するのが基本や」
「つまり、その固有の力というものは他人が詳細を理解するのは至難の業、と」
「そゆこと。でも柴さんは何度かシズちゃんの妖術を体感し、きみの話を聞いて大抵のあたりをつけてそう推測した。結構良い線いってると思うで」
「……何度か?」

 静姫は、はて?と小首を傾げた。柴の言った通りに自分は妖術が使えると仮定したとして、柴に対してその気配を隠す妖術を行使したのは、彼が六平家を訪れた一度だけ。
 あの時の静姫の動きの一部始終はこうだ。国重の「柴が来たぞ」という声が屋外から聞こえてきたことを好機と考え、彼女はサッと椅子から離れて廊下に隠れる。そして、頃合いを見計らいながら全員の死角をつくように視線を掻い潜り、柴の耳元で「にゃあ」と猫の鳴き真似をしたのだ。
 チヒロは絶望したように天を仰いで自分から視線を外してくれたので実に簡単に隠れることができたし、猫ということにして誤魔化そうとしていたのに、それを無碍にして正直悪かったと思っている。すまんかった、チヒロくん。閑話休題。
 そんなわけで『何度か』という彼の表現は正しくないのでは、と違和を覚えた。
 その静姫の様子に、彼女が何を考えているのか柴には簡単に想像できたようだ。彼は呆れたような表情で口を開く。

「いや、不思議に思うとるかもしれんけどな?シズちゃん、俺の前でよぉ〜頻繁に妖術使うとるで?ぽろぽろって」
「……え、マジ?ぽろぽろって」
「マジ。ぽろぽろって」

 嘘だろ、と静姫は口元を抑える。そんな妖術を使いまくってるのに気付いてないって自分は相当阿呆なんじゃなかろうか、と地味に絶望してしまう。
 あと普通に自分の得意分野を見せびらかすと、相手に対策されてしまうので絶対にやめた方がいいのに。能ある鷹はなんとやらというのに、このままでは能なし鳥頭になってしまう。迂闊。

「いんやぁ、柴さん……てっきりシズちゃんに「自分、妖術使えます。妖術師なれます」アピールされてるもんやと思うてたわ」
「それで私が出した選択肢が娼婦だったの……もしかして、びっくりしてました?」
「びっくりしてました」
「誠に申し訳ありませんでした」

 だから妖術師の存在を知らない自分に対して驚いていたのか、と静姫は静かに納得した。なるほどなぁ……。
 さて謝罪も済んだことやし、と柴はややずれた話を軌道修正させる。
 何故、静姫の妖術が『揺れ』……振動を操作するものと考えるに至ったか。柴は彼女にそれを説明することにした。
  
「まず先に、シズちゃん。キミはその妖術……気配を消し、音を立てずに行動できる状態やな。それを習得するに至った過程やきっかけ何か思い出せることあるか?」
「え?」
「きみはそれを妖術と認識してはいなくても、それが出来るという自覚はあった。その自覚を得られたとき……何をどうしようと考えていたか?思い出せることはあるか?」
「……」

 静姫は顎に手を当て、しばし思案する。
 何せ自分でも気付かないほどにその妖術を日常的に使っているらしい……それは最早、彼女自身の『癖』と言っても過言ではない。その癖ができてしまったきっかけを思い出すことは簡単ではない。

「あっ……!」
「おっ?」
 
 しかし、しばらく自分の過去を掘り返してみれば、一つ思い当たること……確かな『感覚』があった。
 そして、その感覚は柴の言う『揺れ』にも当てはまる気がするものだ。

「私が気配を隠したり音を立てないように行動するようになったきっかけは……まあ、言わないでも分かると思うんですけど……」
「おう端折れ端折れ」
「ありがとうございます。まあ自衛のためなんですけど、私は非力な女児。そもそも危険な目に遭わないように、トラブル自体をおこさない、ということ念頭に生活していました」

 そのために大切なことは、まず危険なものには関わらないようにすること……だけでは、実は足りない。厄介極まりないことに、危険なものとはあちらからこちらの領土を踏み荒らしてくる。だからこそ危険なのだ。
 大切なのは『勘付かれない』こと……そこに自分はいないものと同然の、空気のような存在でいなければならない。
 しかし、静姫にとってのネックはその危険なもの共同生活を強いられていたことだ。室内でそれを実行するにはかなり細心の注意を払う必要がある。
 だから、全てを徹底して外へと出さずに内側に留めておく必要があった。それは足音、服の擦れる音、呼吸音、鼓動音、瞬きの度に睫毛が戯れ合う音に至るまで……彼女が生きている上で発生する全てを。
 体の外に出さないように、溢れさせないように、悟られぬように……。
 そして、その感覚は予兆もなく静姫を襲った。
 
「私は『冷たい』と感じました。急に……」
「冷たい?」
「はい。おかしいとは思いました。当時はまだ茹だるような夏で、水浴びもしてないし冷たいなんて感じるわけなかったのに……」

 そして、その冷えは体の芯から染みるようなものではない。謎の柔らかい薄い膜が静姫の皮膚に張り付きつつも包み込むようなもの。
 ずいぶん昔のことだったため、長らく忘れていたのだが、彼女も突然のその感覚に正直驚いていた。
 しかし、その氷のようにひんやりとした感触は夏場の火照った体にはとても心地よく、不思議に思いつつも悪い気は全くしなかった。
 それと同時に静姫は『成った』と直感した。何がどう成ったのかまでは当時は上手く言語化できなかったが……とにかく何か、好機が訪れたのだと。
 そして、その直感は正しかった。その薄い膜を皮膚に纏わせることに慣れていけばいくほど、静姫が今まで危険なものと認識していたものが、彼女をまるで空気のように扱いだしたのだ。
 ただし、常時その状態でいることは疲れるので、ずっと纏い続けることはできない。母とも一緒に行動することもあったし、お世話になっていたパン屋にいるときはその状態を解除しなくてはいけないからだ。
 それでも危険なものが傍にいる間、その状態でいることは静姫にとっては造作もないことだった。

「きっとそれは普通ではない、とはなんとなく分かっていたんですけど……」
「あまりに頻繁に使いまくって慣れた結果、それが癖になってもうた、と」
「はい、多分。すごい無意識に使ってる可能性はあるかと」

 柴がなんとなしに「夏場は冷たい膜に包まれてるのは心地良えやろけど、冬はどうなん?」という疑問を投げかけるが、静姫にとってそれはあまり問題ではなかったらしい。

「薄い膜を纏ってる間、私は春夏秋冬関係なしに少し体が火照っていくのを感じました。かっかする熱い体がひんやりとした氷に纏われてる感覚って……なんか、すごく快適すぎて……」
「なんやそれごっつ気持ち良えやつやん」
「いっや、もう本当に……」

 柴は以前、夏場に冷房をガンガンに効かせた部屋で布団に包まって昼寝をした時を思い出す。
 あれほど快適な空間は早々ないだろう。そりゃあ日常的に妖術をフル稼働させたくなるのも頷ける。それを?電気代ゼロで?いつでもどこでも?
 柴は今この瞬間、静姫のことが心の底から羨ましくなってしまった……いかんいかん、と柴は咳払いしその邪念を消し去る。
 妖術使役中の静姫の体温上昇……それは振動を内側に閉じ込めることに対する弊害だろう。
 スズメバチを殺すミツバチの熱殺蜂球の原理と少しばかり似ているだろうか。
 振動を放出せず体内に閉じ込めておくことで静姫の体温は上昇するが、その振動を閉じ込めておく膜自体が冷気となり彼女が自身の熱で苦しむのを抑えることが出来る。
 ただでさえ玄力を体内に巡らせる事で身体能力の向上という恩恵を受けられるのに、振動を閉じ込めておくことで体温を上昇をさせ、さらに身体能力を底上げすることまで望める……派手さはないが、確実に強みになる能力だ。

「シズちゃん、よう覚えとき。それは間違いなくきみの妖術や」
「……そうか。これが、私の妖術……」
「妖術っちゅうもんは何度も言うが固有のものであり、その能力はこの世でシズちゃんだけが使えると思ってくれて良え」
「私だけの、妖術……」

 静姫は己の両手をぐっぱっと握ったり開いたりを繰り返す。
 彼女はこの瞬間、確かに手に入れた……一枚のカードを。
 静姫だけの、唯一無二の『切り札』を。
 
「そんでもって、今からその妖術をしっかりシズちゃんのものやと確立させる必要がある」
「と、言いますと?」
「そら勿論、名前や。その妖術の使い手であるシズちゃんにはその力に名付けてやる義務がある」
「名前、か……」
「さあ、シズちゃん……きみ自身が切望した切り札に、なんと命名する?」
「……」
 
 己の心臓が確かに動いている証である音。
 それを静姫はずっとずっと……消していると、殺していると思っていた。
 でも本当はそうではなかった。それは自分の体の中に押し留めているだけで、なくなってなどいなかった。
 柔く優しい膜を纏いながら彼女は確かに、その内側で生かされ力を蓄え続けていたのだ。
 
「……決めました」

 それが静姫の力だとするのならば。
 これ以上にぴったりな名前はないだろう。

「私の妖術の名前は……『薄氷』です」

 その名は『薄氷』……それは冬の終わり頃、密やかに水面に春の兆しを表すもの。
 静姫は白銀を愛しながらも、春の訪れを待ち望む……薄氷を纏いし妖術師となる。