
泣くも生きるも良い物だ
「予想通りやな」
柴は自分の携帯の画面を見ながらそう呟く。
「ちゃんと写ってます?」
「ばっちりや」
そこにはカメラマン柴がパシャリと撮った真正面を向く静姫の写真。
画面に写る彼女は親指、人差し指、小指を立てながら手首付近で両手を交差させていた。実に真顔である。
「なんでウィッシュやねん」
「ピースじゃ普通かなって」
「別にええやろ普通で……」
何故、二人が突然撮影を始めたのか。それは薄氷の効果はどこまでを対象とするかを確かめるためである。
柴が既に静姫を認識した状態で、改めて薄氷を発動させた場合はどうなるか……結果から言えばその状態でも薄氷はしっかり効くらしい。
静姫が薄氷を発動させた瞬間から、柴はどうしても彼女の姿を認識することが極めて困難であった。始めからそこにいると分かっているのにも関わらず、視覚的な静姫の解像度が強制的に低下していく感覚……どうしても彼女に対する意識が逸れてしまうようなのだ。
静姫は最初から居場所がバレていては気配を消しても意味がないと思っていたのだが、どうやらそれは彼女の勝手な思い違いだったようだ。それを確認できる人間がいなかったから気付けなかったのは当然ではあるが。
「薄氷は玄力で構成されている無色透明の膜やろうな。写真に写るっちゅうことはそれを纏っていることでシズちゃん自身が透明人間になってるわけやなさそうや」
「あくまで気配や音を体外へ出すことなく相手に存在を気取らせないようにする能力ってことですね」
静姫はそれを聞いて少しばかり安心した。なぜならば自分の姿が物理的に透明になっていた場合、その状態に気付かない自分の能天気さに絶望していたのは間違いない。流石に透明人間状態は瞬間移動やビーム出すレベルの異常事態である。
気配を感じさせないことに関してはまた別の要素があるのだろう。ただ無音になるだけで静姫の姿は丸見えなのだから、柴が彼女の姿を認識し難かったのは少々不自然だ。
おそらくだが、薄氷発動中に静姫の姿を直接見える範囲にいる者は、彼女を視覚的情報としての脳への電気信号を妨げられているのだろう。
「つまり、シズちゃんの薄氷は近距離、中距離の生物に有効。双眼鏡とか使ったりバケモン級の視力の奴……他に監視カメラ等なんかには効果なしってところか」
「はぁーなるほど。それほどチート能力ってわけでもないんですね」
「いや常時冷房機能はチートやろ」
「それはそう」
ひとまず、静姫の妖術は効果範囲内の生物にしか効かないということが判明した。
しかし、そこで彼女はうむむ、と頭を悩ませる。
「でも、それっておかしくないですか?」
柴が静姫は妖術を使えると察した一番の要因は、彼女が六平家に張られた結界を難なく通り抜けられたことである。静姫の妖術が生物のみ有効であるのならば結界は対象外であるはず。
しかし、柴の見解ではそれさえも薄氷の副次的効果だと言う……一体どういうメカニズムなのだろうか。
「シズちゃんは薄氷を纏って体外に自分の振動を逃がさんようにした」
「ふむふむ」
「つまりキミは自分以外の世界から完全に遮断された存在。いわば空気みたいなもんや」
「ほむほむ」
「そんでもって、結界ちゅうのは外敵存在から彼らを守るためであって、空気とかは通すねん」
「あ」
「つまりそゆこと」
結界は何も監視カメラのような機械的なものは存在せず、建築された要塞でもない。それで四方八方閉じ込めてしまえば中にいる人間は酸素が足りなくなってそのうち死んでしまう。
その点、静姫は結界が感知できるような体温や呼吸を体外に出さない薄氷を纏っていた。生物的な判断要素を遮断させていた彼女は、意図せずして結界に自分を空気と同じ存在と誤認させていたのだ。
「そういうメカニズム!?」
「そういうメカニズムやねん」
「……やっば」
「やっばいねん」
薄氷発動中に脳の伝達信号の妨害が出来ていたことから、静姫の妖術はただ膜を纏うだけでなく振動を操作することだと判断できた。それだけで国家機密級の結界を無意識にスルーできてしまう能力まで手にしている。
しかも、自覚なしでだ。彼女がこれから自分の妖術と向き合い紐解いていけばもっと様々な応用技を扱える可能性は大いにある。
そもそも、妖術を扱うどうこうの前に体内に眠る玄力を呼び覚ますこと自体、特殊な訓練を受けなければまず不可能と言っていい。
手ほどきのようなものに、静姫には一切の心当たりはない。ただし、あえて言うなら凄惨な家庭環境がそれに当てはまる。彼女は無意識下のうちで生き残るために、玄力がどのようなものか知る前から独学でそれを身につけた。
エリート妖術師家系……例えば『漣家』という家系は八歳の頃には玄力の扱いを覚えさせ、漣家相伝の妖術『威葬』を十一歳までに習得させるのだとか。
それだけでも大した話だが、静姫の経験談を聞く限り彼女は八歳の頃に玄力の扱いどころか固有の妖術まで習得していたに違いない。
四十万静姫は疑いようもなく……『天才』に分類される人材だ。
「んで、そんな天才のシズちゃんには六平家に在駐し、妖術師として働いてもらおと思ってな。謂わば用心棒や」
「……それが私が六平家に滞在することに関しての対価ってことですか?」
「そそ」
確かに静姫の望む六平家の二人と対等の存在になるには、対価として金銭を払うよりも二人を守れるだけの力を持つ妖術師の方が妥当と言えるだろう。彼らにとっての利にもなり得る。
それは理解出来るのだが……依然として、静姫の顔は曇ったままだ。
「だけど、妖術を扱えたとしても変わらず私は非力な女児ですよ。二人の用心棒が務まるとはとても思えません」
静姫が妖術を使えるのは分かった。だが、彼女にはこの力で誰かを守れるなんて想像も付かなかった。
薄氷は自分が生き抜くために使ってきたものだ。生まれつきの固有の妖術が、今までの生活のために非常に便利な能力だったこと自体は幸運ではあったものの、気配や音を消すだの結界を素通りできるなんて力でどうやって二人の用心棒が出来るのだろうか。
天才だのなんだの言われても、その力で二人を守ることができないのであれば意味がない……卑屈な心が抜けきれない静姫は顔を伏せてしまう。
「あーええ。その辺は心配いらん」
「……?」
しかし、そんな静姫とは反対に柴はカラカラと笑いながら手をひらひらと振った。呑気な返答に彼女は不可解そうに小首を傾げる。
「ええか、シズちゃん。玄力を体内に巡らせることができる時点で、キミは非力な女児やない。キミは立派に闘える素質がある」
「でも、」
「まあ実感が湧かんのも無理はない。俺も何もすぐに妖術師になれー!言うてるわけやないしな」
柴はそう言いながら、ガタリと立ち上がり「ちょっとこっちおいで」と彼女を別の部屋まで案内する。どういうことなのか意味を汲み取れず言われるがままに柴について行けば、そこは物置だった。
彼は「ここら辺にあったはずやけどなぁ」とかなんとかぼやきながら辺りを漁り始める。
「お、あったあった。ほれっ」
「うわっ!」
目当てのものを見つけたらしい柴はそれをヒョイっと彼女の方へと放り投げる。静姫はワタワタと慌てながらもそれをパシッと受け取った。「急に物を投げないでください」と抗議しようとしたが、自分の手に収まったあるものを目にした静姫はハッとして言葉を飲み込んだ。
そこにあったものとは……?
「……刀?」
「正確には木刀やな」
「ぼく……?」
それは木製の刀だった。静姫がその美しさに心を奪われた刀に形はよく似ていたが……光を眩く弾くこともなさそうな茶色の材質で表面はツルツルしており、とても何かを斬れる代物とは思えない。
こんなものが存在するとは、と静姫はどこか新鮮な気持ちでポンと軽く放り上げてはパシッと受け止めるを繰り返していた。
真剣の存在を知っていながら木刀を知らないことはとてもアンバランスのような気がしないでもないが、現在の日本は刀社会。真剣を下げながら街を往来する者が多い中で、彼女が木製の刀があることを知らないのは無理もないかもしれない。殺傷能力という点では間違いなく木刀の方が弱く、自衛の為に持ち歩くのであれば多くの人間は真剣を選ぶだろう。
しかし、何故その木刀を柴は静姫に渡したのだろうか。静姫が柴に尋ねる前に彼は口を開く。
「静姫ちゃんがその妖術使うて闘う場合、近接戦闘になる可能性は非常に高いやろな」
「近接戦闘?それが木刀となんの関け、い、が……っ!ま、まさか……!」
「そのまさか、やで」
柴は静姫に向かってビシッと指差した。
「シズちゃん。これから俺は長い時間かけてキミを容赦なくごっしごし鍛えに鍛えまくり……立派な剣士にしたる」
「剣士……私、が……!?」
__『自衛の為とは分かっているんです。それでも私の今までの認識の刀とは、暴力という手段をいとも簡単にしてしまう力。拳よりも危険な武器。容易に人の命を奪えてしまう物なんだって……』
静姫は先ほど六平家に居た時、確かに刀のことをそう言い表していた。自分の手を誰かの命を奪い、血で汚したくないと言っていたのに剣士になるなどと彼女は断固として拒否しそうなものだ。
「な、なる!なります……!私、なりたい!剣士に……!立派な剣士になりたいです!」
だが、静姫は柴から受け取った木刀をギュッと抱くように握り込み、体を前に突き出すようにそう答えた。
頬を桃のように赤らめさせ、瞳は雲ひとつない冬の夜空のようにきらきらと輝かせており、その表情は例えるなら恋する乙女のよう。なるほど、これが六平家の二人に見せていた工房での彼女か、と柴はひっそり納得する。
刀を恐ろしいものだと理解していると同時に、静姫はその刀に魅了されている。あの美しい刀を振るうことの出来る剣士になれたなら、どれほど幸福なことだろうか。
この瞬間のみではあるものの……静姫は「妖術師になる」だとか「六平家の二人を守る」だとかの思考を外に追いやり、ただただ「剣士になれる」という可能性に胸を躍らせて高揚しきっていた。
「おい、落ち着き」
「う!」
想定通りと言えばそうなのだが、あまりの大興奮っぷりにこのままでは話が続けられないな、と判断した柴は少々呆れながら静姫の額にツイっと人差し指を置いた。そして前のめりになっていた彼女の体勢を元に戻すようにぐいっと押しのける。
「ええか、シズちゃん。剣士になるん言うんやったら覚悟せなあかんことが沢山あるで」
「か、覚悟……?」
「まず、人を守れるように刀を振れるようになるまで血ィの滲むほどの辛い辛い訓練を積む必要がある」
「っ!」
「そのやわこくてちっさい手の皮がズルズルに剥けて血みどろになっても痛みに耐え抜きながら、しかと握りしめて延々と重たい刀を振り続けなくてはならない」
そして、忘れてはならないのは……刀は「人を殺すための道具」であること。
静姫が刀をどれほど美しく尊いものだと思っていたとしても、その事実が揺らぐことはない。
彼女が妖術師であり剣士として生きることになれば、二人を守るという手段の一つで人を斬る日が必ず訪れるだろう。
「それでもキミは刀を握れるか」
「……」
柴の真剣な眼差しに、静姫は手に持つ木刀をより一層握りしめて俯いた。そしてすぅ、はぁ……とゆっくり深呼吸を繰り返す。
柴は待った。ただ、静姫の次の言葉を黙って待ち続けた。
何故なら、彼女は落ち着き払っていたからだ。先ほど柴に「人を殺してもらう」と言われた時の慟哭の気配は一切なかった。
静姫はたった今、自分が刀を握ることに関して今までのことを振り返り、自身の中の答えを探っている最中だ……それに水を差すべきではない。
「……柴さん」
しばらく経って、静姫は顔を上げて柴をまっすぐ見つめながら口を開いた。
「私は自分の手を血で濡らすことがとても恐ろしいです」
「……そうか」
「でも、私は……人を殺すという選択肢を、一度でも、たとえ未遂でも選んでしまった人間です」
だからきっと、遅かれ早かれ私はいつか……人を殺してしまうでしょう。
「だったら、せめてその時に……たとえ、正解じゃなかったとしても、それを正しいと私自身が信じて刀を振りたい。そのためなら、私はいくら汚れても構わない……今更になって、それが恐ろしくない、なんて嘘をつく気はありません。でも、それでもその恐ろしさごと、人の命を抱えていきたいという覚悟なら、あります。今は柔らかくて小さくて、その重荷を抱えることの出来ない手かもしれない。でも私は、このまま生きていけば、いずれ大人になります。その重荷を抱えることのできる大人になってみせます」
「……」
柴は黙ったまま、静姫の答えを聞いていた。彼女の言葉一つ一つを聞き逃さないように……そして、噛み締めるように。
そんな彼を見ながら静姫は木刀を抱えたまま、片手を柴の方へとゆっくり伸ばしては手のひらを広げた。
「だから柴さん。私の両手を沢山、沢山のものを抱えられるくらい強く、大きくしてください。望んだものを手に出来るように。もう二度と何も取り零さないように」
その手のひらを見た柴は静かに一度目を閉じる。その瞼の裏に何が映し出されているのか、静姫には想像もつかない。
そしてゆっくり目を開いて、ふわりと優しく笑い……
「これからよろしゅうな」
それに応えるように、パシリと音を立てながらその手を握った……交渉成立の握手である。
「ほんじゃまあ、これから六平家戻るかぁ」
「あ……」
「にしても、どう誤魔化すか……?薊にはなんとか連絡取れるとしても、あの二人には滞在許可おろせん言うてもうたし……」
「ちょ、ちょっと待って下さい柴さん……!」
「おっそうや。ギャン泣きのシズちゃんに柴さんが音を上げたってことにしよか……よし泣かそ。歯ァ食いしばりぃや〜?」
「いや本当にそれはちょっと待っていただけますかね!?」
六平家に戻る前に静姫は柴に聞きたいことがあったのだが……その肝心の柴がゴキッボキッと拳を鳴らし始めたことで、そんなものは一瞬にして吹き飛び彼女は恐怖に慄いた。ちょっと本当に怖すぎてかの有名なDaisukeダンスポーズを取りつつ音速で退いたくらいだ。
手をちょいちょいと上下に振って「ワハハ冗談やて〜」と笑う柴だが、それがあと三秒遅かったら静姫は薄氷を使って柴家から逃亡していたかもしれない。本当にこの人は心臓に悪いな!若くして心筋梗塞になったらどうしてくれる!
ま、まあこの人のあまりよろしくない悪ノリは今回が初めてというわけでもないし……と静姫は咳払いしながらも気を取り直して、自分の胸の内の疑問を彼に投げかけることにした。結構慣れかけているようだが慣れない方が良いように思う。
「し、柴さん。一個聞いていいですか?」
「ええで?俺も散々質問しまくったわけやし」
「……なんで、ここまでしてくれるんですか?」
「おん?」
「私、ここまで柴さんに好遇してもらえる覚え、ないです」
本来なら許されない六平家の滞在許可。自分でも気づかなかった妖術の才能と、その能力の詳細。そして、妖術師への勧め……剣士としても鍛えてくれる担い手も引き受けてくれるときた。
「私、最初から死ぬ気だったから、剣士になるなんて思っても見なかったんです。それなのになんで、柴さんはなんでこんなに沢山のことを教えてくれるんですか」
先ほどの柴の本音で言えば静姫は彼にとってはどうでもいい存在のはずで、それでも可能な限りで譲歩してくれるのは六平家にとって自分が大切な存在になっているからであって……それなのに、それ以上にここまで道を敷いてくれるのは一体何故なのか、彼女は不思議でならなかった。
そんな、どこか不安そうな静姫を見て「ああ、この子はどこまでも無償に対して恐れを抱くのだな」と柴は再認識した。
「まあ『都合の良い男』なんて言われたままも癪やしな。それもキミみたいなガキンチョに」
「わ、ぁ……そういえばぁ〜、そんなことも言ったよう、な。その説は、その、あの……すみませんでした……」
「いぃや〜?謝られたって柴さんは結構根に持つで〜?せやから逆にビシバシしごいて柴さんの代わりに用心棒してもらおって思うてん。利用したろ〜ってな?せやからこれからは地獄見せたるわ。気絶しても血ぃ吐いても容赦せんからな。覚悟しときぃよ」
「お、押忍……」
どうやら、先ほどまでの横柄な態度を取り続けていた彼女に、柴はある程度の鬱憤が溜まっているようである。それについては心当たりしかなさすぎた。
人生終わったようなもんくらいに考えていたから余計に無礼を働いていたような気もする……今際の際でもヤケになるもんじゃないな、と静姫は反省した。
「あとはまあ、そうやな。単純に腹立つねん」
「えっ?」
柴はガリガリと雑に自分の頭を掻いた。その脳内にはとある二人の少年少女が浮かび出されている。
__『俺も、すぐにはなれなくても……シズが一目見た瞬間に美しいと思わせる刀を作るから』
「……お前が、言うたやろ。楽しみにしてるって。チヒロくんの打った刀」
「!」
最初に恐ろしい女だ、とは思った。
自分の我儘を、エゴを、自分本位の生き様を……何もかもを賭けて全うしようとするこの女を。
柴は今までの人生で一人たりとも見たことはなかった。
……ただし、彼女をこのまま恐ろしいだけで終わらせるつもりも柴には毛頭なかったのだ。
「あーんなキラキラした綺麗な約束事しておいて、お前は楽になりたい死にたい言うて、その約束を一方的に反故するとこ。その一部始終を俺に見せてくるのごっつ腹立つねん」
「そ、れは……」
柴は、もう分かっている。きっと静姫はこの先、チヒロの人生を壊すのだろう。
「ええか。これからチヒロくんはキミのために刀を作るかはさておき、キミのこと思いながら刀を作るのは明白や」
「……」
これから彼女が六平家で過ごそうが、今この場でチヒロの前から姿を消そうが、その運命は変わらない。
「そんでもって、キミはどう抗おうが刀の魅力には勝てんと思った……っちゅうか、さっきも速攻で食いついたしな」
「そう、ですね……」
出来ることならそれは止めてやりたかったが、もうその歪みの歯車は動き出しており、柴にはどうすることも出来なさそうだ……チヒロはこれから絶対に、どうしようもない苦味に思い悩み、眠れぬ夜を過ごしながら少しずつ大きくなっていくのだろう。
「だったら、キミには刀を握るに値する人間になってもらわなアカンねん。毎日ふかふかの枕に頭埋めながら昼寝して、のんびり暮らす暇なんかあらへんよ。あの二人のために生きるって誓ったんなら……チヒロくんに自分の苦しみを癒してもらいながら生きるつもりなら、キミもそれだけの責任を負う必要がある」
「責、任……」
ならば、その分だけ静姫にも同様に苦しんで悩んでもらい、立派な人間にしてやるのが自分の務めだと柴は考えたのだ……一人の少年の人生を壊した、その責任を取れるだけの人間へと。
「それを投げやりにすんの、見たないねん。俺が」
静姫は意識はしていなかったのだろう。自分のことで一杯一杯で、自分の苦しみから逃れようとすることが、あの時にチヒロと交わした約束を台無しにしてしまうことを。もしかしたら、無意識のうちにその約束は果たすことができないと諦めていた可能性だってある。
自分の道はあの二人と必ず分かれてしまうと。あの二人と同じ道を歩む覚悟が足りていなかったのかもしれない。
本当に彼女はいろんなこと考えすぎて、本当に大切なことに気付けないのだろう、と柴は呆れる。
きっと『あの事』にも気付けていないだろう……せっかくだから教えてやるかと柴は口を開いた。
「あと、ついでに教えてやるとな。シズちゃん」
「ついで……?」
「キミはなんの罪を犯さんように死に物狂いで生きてきて……ほいで、なーんにも悪くない自分がとんでもない不幸に見舞われても、それでも他人の不幸を願ったりせえへんような子やねん」
柴は静姫にカマをかけた、と言った。
それは「人を殺してもらう」と、六平家に住めるという条件をチラつかせ、その代償に人の命を踏み台にできるか試したのだ……自分の欲望のために、誰かの不幸を許せるか、と。
しかし、静姫はそれを断固として拒否した。天秤にかけることすら考えもせずに髪を振り乱して発狂したのだ。
たとえそれが、自分の手を汚したくないという理由からくるものだったとしても、柴はそれで十分だと思った。その日、自分が生きるか死ぬかの日々を生き続けて、それでも他人を慮ってやれるのなんか余程の聖人君子くらいでもなければ無理な話だ。
「もしも、あん時に「はい分かりました人を殺しますー」なんて言われてたら、俺は家政婦しとけとでも言うて、ずっと六平家でおさんどんさせとこ思うてたんやけどね」
自分の関与する話で人の死を酷く恐れている今の静姫に……自分か、もしくは仲間が死んでもおかしくない妖術師になれと言うのは酷な話かもしれない。
しかし、そんな彼女だからこそ『六平家を守れる戦力』としての重さを理解し、同時にその覚悟を持てるのではないか、と思い至ったのだ。
「自分でどう感じるかは知らんけどな」
ただ、己の欲望を満たすために刀を振り他人を不幸に陥れるのは腐りきったただのクズだが……少なくとも今の彼女はそうではない。
「キミは自分で思ってるよりも……ずっとずっと心の綺麗な人間やで」
そこまで言いきった後では、もう静姫に言うべきことは何もないな、と柴はんんーっと背伸びをする。
さて、今はそんなことよりも「どうやって六平家に違和感ない言い訳考えよっかな」と彼が頭を悩ませていると……。
「?」
何故か、いやに静かだったのだ。
それは薄氷によって、静姫の姿を認識するのを無理やり阻害されている感覚とは違う。
どうしたのだろうか、と自分よりも随分と背の低い彼女のつむじを見ていると……。
「エ゛」
「……うっ、ふぅうっ」
ダムでも決壊したか?と思うほどに静姫はその目からボタボタと涙を溢れさせていた。ひっくひっくと声をしゃくり上げては肩を何度も上下に揺らしている。
ちなみにだが、通常モードの男というものは女の涙に滅法弱い。そして、それが大人と子供の立場であれば効果は覿面と言えるだろうか。
「お、おい、どしたんいきなり!腹でも痛いんかっ!?」
「うぅう、うぅうう〜〜〜っ!!」
先ほどのやり取りとは一転して、柴は慌てふためきながら静姫に駆け寄り顔を覗き込んだ。もうこれは埃で服が汚れるのもかまわず膝をつく案件である。
彼女といえば、その小さな両の手のひらをがっつり顔に押し付けて、本格的にわんわんと声を上げて泣き始めてしまった。
どうやら、本当にギャン泣きさせてしまったらしい。い、いやそんなつもりは全くなくてですねっ……!?
「あーあー!もうびっちゃびちゃやんけ。ほらこっちおいで」
「ぅう゛っ!えっえぇええ〜〜〜ッ!うえぇえええん……!」
「おお〜よしよし……!」
柴は初めに静姫をこの家に連れてきた時と同じように抱え上げた。今回は嘘泣きではないようで、容赦なく彼の服にどんどん涙を飲ませている。
いや確かに散々言ったような気もするが……おそらく泣くきっかけになった最後のセリフはそんなショックな言葉でもなくないか……?
そんなふうに彼女が泣いている原因を考えながら落ち着かせるためにゆさゆさと揺らしながら彼は物置を離れる。今はタオルだタオル。このままではそのうち服の含水量が限界を迎えてしまうであろう。
椅子に座らせようかとも思ったが、思いのほか静姫がぎゅうっと柴の服にしがみつき、とてもじゃないが放してくれそうな状態でもないためそれも断念……とりあえずタオルだけ押し付けてこのまま抱えていようと、洗面所に置いてあるタオルを手に取ったその時だった。
「も゛うッ……死゛ぬ゛しか、な゛いんだど思゛ってだ……!」
「お、おお……?」
ガラガラの濁声ではあったものの、そこでやっと静姫は泣き声以外の言葉を発したのだ。
「も゛うッ……!絶゛対゛に゛ッ……!二人には会゛え゛ないんだっで思゛ってだ……!」
「お、おおー大丈夫やでー。会えるでー」
「あっ会え゛ッ……!ぅう゛ぅううう〜〜〜ッ!!」
「よーしよーし。会えるからなー。けど、もう少し泣き止んでから行こな?慌てんでも大丈夫やからなー」
「うぅうッ!う゛ぇっ!ううう……!」
どうやら、静姫は今になってずっとずっと張り詰めていた緊張がブツリと切れたしまったようだ。
よくよく考えてみれば当然かもしれない。淡々としてはいたものの、彼女は今日が自分の命日だと思っていたのだ。六平家への滞在許可を出された直後もどこか信じられない心持ちでいたはず。
ここまで、入念に交渉材料を揃えようと五日前から思案していたのだ。もしかしたらこの五日間は彼女にとって、死んだ後に少しだけ見れる夢物語だったという認識だったのかもしれない。
それが柴の「心の綺麗な人間」だといわれて、それが夢じゃないのだとはっきり分かってどうしようもなく安心したのだろう。
「……大丈夫やでー。夢やないでー」
「ゆ、夢゛じゃッ……!」
幸福は希死念慮には勝てない。
静姫はずっとずっと死にたかった。
でも、それと同時に……
「生きてええんやで、シズちゃんは」
静姫はずっとずっと生きたかったのだ。
「う、うぅう〜〜……ッ!」
「ああ、もうしゃあないな。ほらっちーんや。ちーんせえ」
「ぢ、ぢーん……」
「ははは、下手やなあ。今まで泣くのずっと我慢しとったんやなあ……これから涙の拭い方も覚えような?」
そうやって、呆れつつもはにかんで笑う柴は……誰が見たって静姫の保護者の笑顔であった。