ラムネ瓶と心の壊しかた


 例えるなら。京羅さんにとっての私は綺麗な硝子玉。
 綺麗だとは言っても宝石では決してないし、職人に作られた精巧なものでもない。どこにでもあるありふれた……ラムネ瓶の中にあるエー玉のような存在だ。
 そこらへんのビー玉となんら変わりはないというのに、ラムネ瓶の中にあって一工夫しなくては決して手に入れられないから、だから心をくすぐられて手にしたくなってしまった……そんなところなのだろう。
 実際にどうなのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。私が彼に執着された原因の真偽はさして問題ではなかった。
 私がこんな目に遭うことに『概念的』などという曖昧な言葉ではなく、明確な理由があるのだと思って心の安寧を図りたいだけなのだから。
 月白と翡翠の色で整えられた埃一つないクラシカルな部屋で、私はそんなことをぼんやりと考えながら目を覚ます。
 寝転んだまま目線の先の両手を見れば、そこではラメやパールをふんだんに使った、まるで白花を閉じ込めたかのようなネイルチップが私の爪を彩っていた。
 肌だって私のような子供では手に入らないような値段のハンドクリームで保湿ケアをしっかり施され、自分のことながらまるでシルクを撫でるかのようなきめ細かいものになっている。
 それは明らかに働く女の手ではなかった。
 そういえば、初めて京羅さんに会ったあの日、彼は私に聞いていて卒倒しそうな悍ましい役割をいくつか並べたがその中に『女中』はなかった。京羅さんは完全に私を愛でる対象の物としか見ていなかったのだろう。
 つまり、突然未来を閉ざされた私は「将来はしっかり働いて自分で稼いだお金で好きな物を買ったりしたいな」なんていう何の変哲もない些細な目標さえも失い、ただただ寵愛を受けるだけの物体に成り下がったのだ。

「……」

 私はその身を起こし、改めて自分の左手を眺めた。相変わらず可憐なネイルチップが施されているが、小指の爪だけが少し歪んでしまっている。
 仲間外れのようなその不恰好な爪の形を見る度に、私の記憶は……あの時に引き戻されてしまうのだった。
 


「やっ、いやっ……!」

 きみをくれないか、という京羅さんの提案を私は震えながらも拒否した。
 当然のことだ。誰が「欲しくなった」という理由だけで、ついさっき名前を知ったばかりの自分を昏睡させ拉致した犯罪者の物に成りたがるというのだろうか。
 彼もそのことを予想していたらしく、拒絶されつつも怯える私に優しい微笑みを絶やすことなく「まあ、そうだろうね」と返した。
 私には、京羅さんの考えていることが分からない。分かるわけがない。

「帰して、ください……私を、家に……」

 恐ろしくなった私はベッドから降りて逃げようとするが、自分の体が思うように動かない……私の腕に刺さっている点滴がどういった効用のものなのか、知らなくてはいけないのに考えたくもなかった。

「すまないね。きみのお願いは出来る限り叶えてあげたいのだけれど、それは聞けない話なんだ」

 私は泣きそうになりながら何故かと問おうとしたが、彼は自身の隣に黒々としたモヤと共にテレビを出現させた。悍ましい泥のような物体が一体なんなのかはよく分からなかったが、おそらく世間で噂の『妖術』といったものだろう。
 私を捕らえた人物が妖術師だという現実にさらに絶望したが、その考えはすぐに彼方に飛んでいくこととなる。

「きみが良いタイミングで目覚めてくれて助かったよ」
「え……?」
「全部終わった後だから説明がスムーズに出来る」

 京羅さんは「ちょうど放送されている頃だよ」と言いながらテレビをつけた。リモコンで操作され映ったチャンネルは全国で放送されているニュース番組で私も家でよく見ていた。何故、今この瞬間にニュース番組なのだろうと彼の言葉の真意を汲み取れないままに私は淡々と語るニュースキャスターの言葉に耳を傾けた。

『本日のニュースです。昨夜未明、●●県■■市▲▲町のビルにて女性の遺体が発見されました』
 
 女性の遺体が廃ビルで発見された事件。いつもならそんな物騒な事件があるたびに「怖いね。やっぱりなんでもない普通の日常が一番だね」だなんて家族と平和ボケした会話をしていた。そして会ったこともない人の不幸に心を傷めながら、いつも通りご飯を食べるだけで終わってしまう。
 それなのに……いつもと違う、異質なことがあった。

『遺体の女性は○月□日から一週間ほど行方不明となっていた薄雲硝子さん、十七歳。遺体は損傷が激しく数十箇所の刺し傷があり、このことから警察は誘拐殺人と判断し事件について引き続き捜査を……』

 何故、私の顔写真がニュースの映像に使われているのだろうか。
 何故、『薄雲硝子』という私の名前がニュースに映っているのだろうか。
 何故、私の家族や友達が涙を流しながらインタビューを受けているのだろうか。
 何故、何故、何故……私が死んでいることになっているのだろうか。
 
 そして何より……
 
「きみの遺体が見つかったというニュースだよ」

 何故、目の前のこの男はそんな慈しむような表情でそんな言葉を吐けるのだろうか。

「なん、なん……ですか、これ……」
「実はきみはここ一週間ほど、行方不明者ということで世間を賑わせていたんだ」

 いつも通りの放課後でいつも通りに帰宅するはずの普通の女学生である私が一向に家に帰ってこない。
 心配になった家族がいつもの通学ルートを辿ってみれば私の携帯電話が落ちて壊れていた。
 ここまで見て事件性があると判断した家族はすぐに警察に捜索願を出し、それから一週間経った現在……私の遺体が発見されたらしい。

 何を言われているのか全く分からない。

「なんで、だって、私生きて……」
「そうだね。実のところを言うと、あの遺体はきみではない。きみの遺体のふりをしてくれた赤の他人だよ」
「は、え……?何、を言って……」
「いやぁ手配するのは苦労したよ。きみと同じ身長、同じ体重、同じ骨格、同じ血液型にエトセトラ。そういうのを探し出すのを生業としているお得意先に大枚をはたき、さらにはきみとそっくりの顔に整形させたんだ。正直、きみをここに連れて来るよりもその前の準備の方が骨が折れたよ。だからこそ、私はとても嬉しいんだ……ちょうど全てやり遂げて達成感に満ちているこの時に、きみが目覚めてくれて」

 ……違う。違う、私が聞きたいのはそんな事じゃない。

「わ、たしの身代わりを用意して……なん、の罪も無い人を、こ、ろした……って事、ですか?」
「その通りだよ。顔は潰さずに足がつかないように殺してくれたらどうしてもいいと依頼を出していたのだけれど、報告によれば強姦もされたそうだ。流石にご家族の意向でそこまで報道はされなかったみたいだが」

 京羅さんは、否定してほしかったその事実をなんてことのないように肯定する。あまつさえ、彼のせいで死んだ名も知らぬ女性の更なる不幸を特に興味もなさげにつらつらと述べてのけた。
 ……彼女の死は、私のせいではない。それは分かっている、私のせいなんかじゃない、私に微笑みかけるのを未だやめないこの人のせいだ。
 でも、きっかけは私だ。私が、彼に見つかってしまったことが……。
 私がいたから、人が死んだ……私はその事実が耐えられなくて、気付かないうちに目の淵から涙が溢れ出してしまった。

「なんで、そん、なことを……なんで、人を殺してまで……!?」
「だってきみには家族や戸籍があるだろう?」
「……は?」

 言っている意味がわからない。私に家族や戸籍があることで何故、人を殺す必要があるのか。
 シーツにぼろぼろと雨を降らしながら困惑する私に、京羅さんはうっかりしたような表情で「ああ、きみには馴染みのない話だったね」と言った。

「噛み砕いて説明しよう。まず、実際に被害に遭った女性はね、君と違って家族も戸籍もなかったんだ」
「戸籍が、ない……?でも……!だから、なんで……それがなんだって、言うん……」
「だからこそ、余計に探すのが大変だったのだけれど、その点だけは外せなかったんだよ。何故なら……」

 そんな人間が行方を眩ませたところで、誰も探しやしないだろう?

「でも、実際に被害に遭った彼女と違ってきみには戸籍もあるし家族だっている。だからこそ、ニュースで騒がれるようになったんだ。たった数時間程度、連絡を取れなくなったくらいで、きみの身を案じ探し出そうとしてくれる、愛情深いご家族のおかげでね」
 
 優雅に微笑みながらそう軽く言ってのける彼の瞳に私の顔が写っている。
 鏡合わせのような向こう側の私は、信じられないものを目の当たりにしているように開かれていた。
 私はそこで漸く、彼の言っていることの意味を分かり始めてしまっている。

「そんな大切な大切な娘が行方不明となって長い時間が経ち、警察が捜索を打ち切ったとしてもきみの家族はずっと探し続けるんだろうね。もちろんご友人だって同じことさ。もしかしたらここに辿り着いてしまうかも……だから、こうするしかなかったんだよ」

 おそらく、普通に生きていれば脳裏に浮かぶことすらもしないような。
 そんな考えに触れることなく命を終える人生を歩みたかったと願うほどに。
 恐ろしいことを。

「きみのご友人や家族はそれはそれは悲しむだろう。何日も何ヶ月も涙に溺れるだろう。一生の心の傷を背負って生きるだろう。でもね、それでもきみと親しかった人達はもう二度ときみを探そうとはしないんだ」

 何故なら、きみの死体はもう見つかってしまったのだから。

 答え合わせだった。
 それは間違ってて欲しかった、私の思い浮かんだ考えと同じことだった。
 私はもう、誰にも探されない。外から助けてもらえない。自分の力でここを出るしか逃げる方法はない。
 
 こんなにちっぽけで弱い普通の子供の力で?

「おか、しい……」
「ん?」
「おかしいっ……!頭、どうかしてる……」

 私は突きつけられた無理難題の現実を前にして、ついに京羅さんに泣きながら暴言のようなものを吐いてしまった。
 彼に逆らっては自分の身が危ういかもしれないというのに、私の心はそうせざるを得なかったのだ。

「きみの言うことは大いに分かるよ。私もこんなに手間暇かけるまわりくどいことをしてまで何かを強く強く欲しがったことはなかったし……そんな手法をとるような富豪は大変だなと思っていたのに、それが今やこのザマさ」
 
 それでも京羅さんは眉ひとつ変えずに私に微笑みかけるのをいつまでもやめない。
 聞きたくもない自論を吐きながら、彼は困ったように笑い、自身のこめかみをつん、と人差し指で軽く突いた。
 
「どうやら、私は頭がどうかしてしまったようだ」

 そう、あっけらかんと言う……この男は、私の人生を潰すことをそんな言葉で済ませる気でいるようだ。
 納得出来るわけがなかった。
 そんな理不尽から、私の全身は自然にわなわなと震え始めるのが分かる。

「もぉいやぁ……!嫌っ!私、帰ります……!帰してください!みんなの元まで……」
「別に構わないよ」
「……っな」

 京羅さんは先ほど言ったこととは、真逆のセリフをさらりと吐いた。あまりに軽い口調で私は呆気に取られる。

「今なら帰っても問題ないよ。まあ、時間が経ったとしても大丈夫だけれど……今の方が何かと都合が良いからね」
「それは、どういう……」
 
 きっと良くないことが起こる。
 そんな嫌な予感から私のこめかみからひたりと汗が滴るのが分かった。
 最早、今の私は彼の言葉を手放しに喜べるほど能天気にはなれない。

「きみの家族構成は両親と兄が一人だね?」
「……家族が、どうしたと」
「こんな筋書きはどうかな?……『女としての尊厳を弄ばれた挙句、無残にも殺された愛してやまない娘、妹の遺体が発見された直後、あまりの辛さに耐えきれずに哀しみの末に一家心中』というのは」
「……しん、じゅう?」
「ああ、行方不明の方がいいかな。なるべく家族と一緒にいたいのだろう?剥製にしてもいいし、内臓だけ抜き取ってホルマリンに漬けて部屋に飾ればずっと一緒に過ごせるさ。意外にもそういった趣味で人間を買う富豪は少なくないんだよ。まあ、ご友人の方はオーソドックスに『下校中に暴走するトラックに撥ねられ即死』で済ませてしまいそうだけれど」

 私は今、何かを考えることを出来ないような、ものすごく間抜けな顔をしているのだろう。
 一家心中。行方不明。剥製。内臓をホルマリンに。オーソドックス。トラックに撥ねられる。
 そのどれもの意味を知っているのに、私の脳はその情報を処理し理解するのを一度やめた……理解したくなかったのかもしれない。

「きみが今も生きていることを知られると困るのは、何も私だけじゃないんだ。今回のことはいろんな知人の手を借りたからね。きみが家に帰ったことで、薄雲硝子さんが生きてることを知った者達の命の保証は……残念ながら出来ないね」

 京羅さんの「それでも家に帰りたいかい?」という問いかけに私は、ゆっくりふるふると首を横に振ることしかできなかった。

「そうか。賢明な子で助かったよ」

 違うのだ。私の「家に帰りたい」というのは何も生家に戻りたいということだけではなくて。

「そこで一つお願いがあるんだが……」
 
 勉強は嫌いだったけれど、友達と一緒に図書室でテスト勉強するのはなんだかんだ楽しかった。
 就職した兄が最近、結婚を前提に交際しているという恋人を家に連れてきた。姉と呼べる人ができるのが嬉しかった。
 母が最近、裁縫に力を入れるようになった。昔から得意だったことを改めて始めるのは楽しいといっていた。今度好きな色の布を買おうと買い物に誘ってくれた。
 父が少し前に「ちゃんと勉強はしているか」と聞いてきた。少し心がささくれて「やってるに決まってるじゃんテスト前なんだから」と素っ気なく返してしまった。なんてことのない些細なことかもしれないが、今になって私はそれについて謝りたいとひどく後悔している。

「もう二度と私に『元の家に帰りたい』と言わないでほしい。仕方のないことなのかもしれないが、きみの里心がついている姿を見てしまうとすごく寂しくなってしまう。寂しさのあまりに勢い余って思わず……」

 そんな、いつも通りの日常に丸ごと戻りたいという願いなのであって。

「きみの部屋に悪趣味なインテリアを増やしてしまいそうになるよ」

 ……どうやら世間で死人となった私は、最早この場所でしか呼吸を許されないみたいだ。
 寧ろ亡者と化した者は生者の世界を夢見ることすら烏滸がましいことなのかもしれない。
 
 そう、思うことにした。



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