鈴の音に惑う

 ある日を境にぱったりと鬼が出なくなり、そうして始まった柱稽古。正直、死んだ方がマシなんじゃないかと、何度か本気で思った。それくらいに過酷だった。
 あれは死ぬ、余裕で死ねる。柱って本当になんというか、人間離れしているというか……色々とおかしい。

 それでも、仲間達と三途の川を渡りかけながら。お互いを現世に引き摺り戻し合いながら。どうにか稽古を修了した矢先のことだ。

 突然足下に障子が現れたかと思えば、鬼殺隊の仲間共々何処か見知らぬ建物の中にいた。天井が逆転しているようなその場所は、至る所から異形の鬼が出て来る。そしてまた、頸の硬いこと。
 仲間がいなければ、こんな数の鬼は捌けなかった。柱稽古がなければ、もう死んでいたかも。鬼と対峙して始めて、稽古の成果を実感できた。柱って凄い。

「斬れ……ったあァァ! よっしゃアアア!!」
「次! もう次来てる!!」
「息続かねぇ!!」

 時折、建物自体が生き物の様に動く。壁が迫り出したり、床が抜けたり。血鬼術なのだろう。何処に使い手の鬼がいるかは、多分柱でもないと分からない。

 鬼は後から後から湧いて出る。人間の体力は無限じゃない。仲間と連携して、代わる代わる戦ってはいるけれど、疲労が蓄積されていくのを感じる。

「だー! クソ! キリがねぇ!!」
「ンでこんな頸硬ェーんだよ!!」
「死んどけ……、ッオイ!!」

 仲間の一人が発する切羽詰まった声に振り向く。大小歪に並んだ鋭い歯、醜悪な姿をした鬼が大口を開けていた。

 死んだ。──そう思った瞬間、その鬼は吹っ飛んでいった。

 巨大な鬼を吹き飛ばせるなんて、柱が駆けつけてくれたのか。壁にめり込んだ鬼は、仲間の一人が即座に頸を斬り落とした。

「ありが、」

 感謝を述べようとして、そこでようやく気がついた。柱なんかじゃない。鬼を吹き飛ばしたのは、また別の鬼だ。
 その鬼は上等な着物を身に纏った、際限なく湧く異形の鬼とは比べ物にならない、いっそ清廉な雰囲気さえ感じる鬼だった。

「お前達、鬼殺隊だろう。鬼を狩る組織だろう。どうしてそんなに弱いんだ。あんな雑魚に手古摺るな」

 他でもない鬼自身にそう言われ、腸が煮えくり返る気分だ。他の仲間もそうなのだろう。黙れ、一人が怒鳴った。

「この程度の鬼に時間をかけるな。間に合わなくなる」

 鬼の癖に偉そうに、まるで師のようなことを言う。
 目に数字は刻まれていないから、十二鬼月ではない。だが何なのだろう、この鬼は。

「技を磨け、洗練させろ。頸というのは──」

 手に力を込め、拳を握る。
 ……あれ? 刀を握ったはずなのに。

「──こう斬る」

 世界が反転した。

 ああ、あの鬼、人の刀を奪いやがって。
 早く取り返


◇◆◇



 無限城を鬼狩りがうろついている。春黎はどうにも未熟な鬼狩り達に苛立ちを覚えながら、殺して、喰って、彷徨っていた。「今は喰べる気がしない」という理由で、鬼狩りを一人引き摺りながら。

 春黎には、自分に関して分からないことが多々あるが、また一つ謎が増えた。童磨の下にいる間、一度も刀を握ったことなどないというのに、何故だか手に馴染む。
 扱い方を身体が覚えている、と言うのか。しかし人間を斬るのには辟易する。斬るべきものが、違うような。

 ともかく、あの方の為に鬼狩りを殺さなければならない。春黎は何となしに気配を辿り、目についた部屋の扉を開けた。


 春黎は運命を確信していた。夢にまで見た、……鬼は寝ないがそれほど望んだ、理想の女性が目の前にいる。
 いつの日か瞼の裏にいた女性、いつの間にか見えなくなってしまった女性。恐らく本人だ。何故記憶に残っていたのかは分からないが、きっと彼女を喰えばすべて解決するに違いない。

 満たされることのない飢えも、空虚な心も、いつまでも明瞭にならない記憶も、鬱陶しいことこの上ない幻視や頭痛も。何もかもが、目の前の女を喰いさえすれば。

 恐らくは初めて、春黎は心から童磨に感謝した。童磨でなければ、彼女は既にここにはいないだろう。行き違いになっていたかもしれない。この部屋に入ったのは何となく、ではあるが、童磨が留めていてくれたからこそ、出会うことができた。

「童磨、手を出すな。彼女は俺が喰う、俺が求めていた物だ」
「んー……それはいけない。あの子は俺が喰、」

 春黎は利き手に握っていた刀を振り抜いた。童磨はすぐ様飛び退いたが、その身体には真横に刀傷が刻まれる。

「手を出すな」

 唸るように言う春黎に、童磨は僅かに目を細める。
 春黎は未練なく童磨から視線を外し、鋭い歯を見せて微笑んだ。

「俺はずっと君を捜していた様に思うよ。君を喰えば、俺を悩ませる全てが解決するはずだ」
「そんなの、するはずない。貴方が何に悩んでいるか、私には分かる。私を喰ったところで何も解決しない」
「……何故そうも確信めいている? 俺と君は初対面だよな?」
「ッどうして!」

 悲鳴にも似た叫びだ。春黎の頭の奥がキン、と痛む。

「どうしてそんな、他人行儀に……! 鬼みたいに話すのよ! ねぇ!!」

 ──この女は駄目だ、早く黙らせなければ。
 衝動的な焦りを感じ、春黎は駆け出した。鬼の身体能力であれば接近など容易い。そして刀を振りかぶる。今までそうしてきたように、頸を斬るように。

「しのぶを守って」

 鈴を転がしたような、誰かの声が聴こえた。春黎の、刀を握る手を誰かが止めている。振り払ってしまえるほど弱々しい力で。

 しかし春黎は刀を取り落とした。頭が割れるように痛い。蹲り、女を見上げる。
 嫌悪、憎悪、怒り。そんな感情に紛れ、悲しんでいる。寂しがっている。うんと心が優しいのだろう、心配してくれている。

(……お願いだから、そんな顔をしないでくれ)

 あらゆる複雑な感情が入り交じった表情に、涙が溢れた。