血が導く決断
童磨のことは嫌いだが、鬼狩りという共通の敵と戦っている以上、殺すべきではない。そもそも数字を与えられている童磨に自分が敵うとも思えない。上弦の鬼をあの方の許可なく殺すのも、許される行為ではないだろう。
目の前の女、恐らく、この女の名は『しのぶ』だ。しのぶ、しのぶ。鬼狩り、童磨と戦えているのなら、階級は柱。柱は殺さなければ、あの方の邪魔になる。だが、どうしてだろう。喰うべき存在だと思っていたのに、全くそんな気が起きなくなってしまった。この子を傷つけてはいけない。俺はこの子を守るべきなのだ。ああ、どうか、どうか幸せに──……。
敵前でいつまでも蹲っている訳にはいかない。春黎は刀を握り直し、立ち上がった。両の目からは勝手に涙が流れ落ちる。敵がいる、けれども、その敵が何なのか分からなくなってしまった。
何故しのぶを守るべきだと思う? あの方の為に鬼狩りを殺さねばならないのに。
現に春黎は鬼狩りを殺した。何人も、何人も、殺したし、喰った。それがあの方の為になるからと。
(……あの方って誰だ?)
否、疑問に思うべくもない。あの方の名は鬼舞辻無惨。鬼の始祖だ。鬼舞辻無惨の血を、童磨経由で得ることによって春黎は鬼になった。鬼になった時のことは、思い出せない。
「あ、……あーっ、もしかして春黎と君って、知り合いだったりする?」
春黎の様子が急におかしくなったので、不思議そうな顔をしていた童磨はしのぶにそう問いかけた。しのぶは額に青筋を浮かべ、低く「
「兄? 全く似てないけど……まあいっか。そういえば、花の呼吸を使う女の子を殺し損ねたのは、春黎のせいだったなぁ。俺のことをずぅーっと追いかけまわして、足が速いのなんの」
ズキン、と頭が痛む。春黎は二人の人間の声を聞いた。一人は幼い少女だ、誰よりも足が速いのだと警告している。誰のことを指しているのかは分からない。しゃがれた声も聞こえた、老人だ。誰かに、何かを教えている。聞いたことのある説明だ、自分は老人が話すものと同じ知識を持っている。
「殺してやる≠チて、あはは、馬鹿だよね。そんなことできる訳がないのに」
「黙れ……」
「あと他にも何か言ってた気がするけど、どうでもいいから忘れちゃった。呼吸に足が耐え切れない、しかも頭まで悪い。俺は春黎が可哀想で、可哀想で……」
だから鬼にして、飼ってやったんだ。
さも「優しいだろう?」とでも言いたげな童磨は、屈託なく笑っていた。
──蟲の呼吸・蜻蛉ノ舞 複眼六角
激しい怒りをバネに、しのぶは童磨に連撃を繰り出した。その素早い攻撃に童磨は目を丸くする。
「いやあ君、本当に速いね! 春黎相手なら良い勝負だったろうに」
瞬間、しのぶの身体から鮮血が吹き出す。
しのぶが倒れ行く様は、コマ送りのようにゆったりと見え、春黎は絶叫した。
「カナエ!!!」
駆け寄ろうとした春黎の身体に、幾重もの氷が突き刺さった。童磨の血鬼術である蔓蓮華≠ェ、肉や骨を縫うようにして体内で絡み合い、その場に押しとどめている。腹には一際太い氷柱が一本、爪先が床に掠る程度に持ち上げられた。せり上がる血を口から吐きだし、童磨を睨む。
「邪魔をするなよ」
淡々と告げた童磨は、くるりと表情を変えてしのぶに声をかける。
「毒じゃなく、頸を斬れたらよかったのにね。春黎は出来なかったけど、それだけ速かったら勝てたかも」
しのぶの心情などいざ知らず。童磨は残酷に指摘する。
「あー無理かあ。君、小さいから」
もっと身体が、ほんの少しでもいいから大きければ。しのぶが散々思い続けたことだ。
姉は自分よりも上背があり、恩人である悲鳴嶼は大きく、強く、逞しい。
「し……のぶ、……しのぶ、!!」
晄夏は速かった。頼もしかった。どんな時でも駆けつけてくれた。姉が上弦の弐と対峙した時だって。
しのぶは思う。鬼となっても、晄夏は自分の為に駆けつけてくれたのだろうと。記憶が無くても、結局晄夏が自分を傷つけることはなかった。今も必死で──……。
(姉さんと、同じことを思ってるから)
その時、しのぶには凛とした姉の声が聴こえていた。柱として、自身を厳しく叱責する声が。
姉の手の温もりを、肩に感じた気がした。泣くことも、諦めることも決して許してくれない姉は、どこまでも優しく。
「あの人がきっと助けてくれる。何より、しのぶならちゃんとやれる。頑張って」
──蟲柱・胡蝶しのぶは立ち上がった。