報いを知れと嗤う咎
あの子の名前はカナエじゃない、しのぶだ。昔から顔立ちはよく似て、二人とも美人だったが、今では纏う空気までそっくりだ。まるで生き写しのように。
どうして忘れていたのか。ようやく自分を取り戻した晄夏を、凄まじい後悔が襲う。
人を殺してはならなかった、喰ってはいけなかった。ましてやしのぶを喰えば、全てが解決するなどと。人を殺したところで、人を喰べたところで何も解決はしないのに。
俺の飢えが満たされないのは、自分が無力だったからなのに。
「しのぶ……! しのぶ!!」
しのぶは立ち上がった。立派な柱だ、血の滲む様な努力をしたのだろう。彼女は強い人間だ。
だが致命傷を負っていることには変わりない。しのぶの背後から童磨が迫っている、晄夏はしのぶの下へ駆けつけんとしたが、身体を貫く無数の氷が邪魔をする。
ひとつの記憶を取り戻せば、連鎖的に今までの出来事を思い出すことが出来た。晄夏の脳内で、せせらぎの様な声が聴こえる。ずっと聴いていたい、心地良い。
「晄夏、君は強い子だね」
氷のせいで晄夏の体内は冷え切っていた。筋肉は強張り、上手く動かせない。単純に鬼としての力量差からか、晄夏が踏ん張るだけでは、童磨の氷は壊す事ができなかった。
「己の身と心を削ってまで、大切な人を守ろうとすることは、誰にでも出来ることじゃないんだよ」
晄夏は息を吸い込んだ。肺に穴が空いていることなど関係ない。鬼なのだから、すぐに治る。空気を裂く呼吸音を、深く、深く。
「会ったばかりの私にも伝わる想いは、きっと晄夏が守りたいと願う人にも伝わっているよ」
ようやく足のことなど気にせず戦えるようになったのだから、鬼を斬る為に全力を出さないでどうする。早くしなければ、しのぶを守らなければ。晄夏は片腕を振り抜き、氷を砕いた。血を流し過ぎているからだろう、鬼の本能が鎌首をもたげる。
「よく頑張ったね」
お館様、晄夏は心中で懺悔する。
ごめんなさい、お館様。生きて帰れなかった。鬼にまでなってしまった。産屋敷邸が襲撃されることも知っていたのに、伝えられなかった。あろうことか思い出すことすら出来なかった。俺はお館様に認められたのに、柱として認めてくださったのに、裏切るような真似をしてしまった。
(罪は償います。俺が犯した罪は計り知れない。けど、今は……!)
晄夏は身体を捩り、床に足を付けると無理矢理前進を試みた。ぶちぶちと肉が千切れる音は童磨の耳にも届き、煩わしそうに視線を晄夏にやった瞬間、しのぶが動く。
──蟲の呼吸・蜈蚣ノ舞 百足蛇腹
自分で決めたことは、必ずやり遂げる。
子どもの頃、試験で百点を取ると宣言して、猛勉強の末にちゃんと百点を取った。
師範は己を誰よりも強い剣士にすると言ってくれた、だから努力を怠ることなく鳴柱になった。
必ずやり遂げる。出来ないことなんてない。
カナエの幸せを守ると決めた。カナエの幸せには、しのぶが必要不可欠だ。
カナエにとっても、俺にとっても大切な存在だから、守らなきゃいけない。
──ましてや、鬼になんて、決して奪わせてはいけない。
「えらい!! 頑張ったね!」
しのぶの技により、天井まで突き上げられた童磨が、大粒の涙を流しながら両腕でしのぶを抱き締める。
「俺は感動したよ!! こんな弱い女の子がここまでやれるなんて! 姉さんより才も無いのに、よく鬼狩りをやってこれたよ。今まで死ななかったことが奇跡だ!」
ふざけるな、と晄夏は叫ぼうとしたが、それよりも強く歯を噛み締めていたせいで出来なかった。
「全部全部、無駄だというのにやり抜く愚かさ! これが人間の儚さ、人間の素晴らしさなんだよ!」
無駄なことなんてあるものか。しのぶは強い。
しのぶの努力は何一つ無駄じゃない。人が為すことに、無駄なことがあるものか。必ず繋がっていくんだ。
晄夏は咆哮し、自由な片腕に刀を持ち帰ると、童磨に向かって投げつけた。無理な体勢で行った為にまた肉が千切れ、骨が割れる。
童磨は真っ直ぐ己に向かって来た刀を扇で弾き返した。
衝撃で折れた日輪刀の切先は、不運にも晄夏の頸に突き刺さる。焼け付くような痛みだ。無理な駆動が祟ったのか、晄夏はまた血を吐きだした。
刀に持ち主の念が宿っていたのだろうか。晄夏が投げた刀は、確かに晄夏が鬼殺隊士を殺して奪った物だった。
「君は俺が喰うに相応しい人だ。永遠を共に生きよう! 言い残すことはあるかい? 聞いてあげる」
アアア、黙れ黙れ!! お前が相応しくないんだ、しのぶはもっと、もっと、尊い子なんだ。
しのぶを助けなければ、すぐに駆けつけなければ。
そんなことすら出来ない人間が、一体誰を助け、守れるというのか。
「地獄に堕ちろ」
不本意ながら、鬼となってから散々聴き慣れてしまった嫌な音、決してしのぶの身体から発せられたものだと信じたくないそれを、晄夏の耳は捉えていた。
目の前が紅く染まる。