隣合う

 鬼となってから、これほど感情を剥き出しにすることはなかった。
 喉奥が裂けて血が出る程に叫ぶ。怒り、憎しみ、嫌悪。他者を害する為に存在しているような負の感情が際限なく湧き上がる。殺してやる。口数が多い童磨が何かを言っている、だが晄夏の耳には何も届かない。そも、口から出る咆哮が全て掻き消していた。

 憎らしい。殺してやる。殺さないとならない。彼女の命を奪った全てが憎い。殺してやる。彼女を、彼女たちを奪った。殺してやる。殺してやる。殺してやる。

「ま、待って! 私が斬るから、身体が、裂けちゃう……」
「…………カナヲ、か?」

 世界が正常な色を取り戻した。ぎちぎちと軋み、悲鳴を上げていた身体から過剰な力が抜ける。
 カナヲが氷を断ち、晄夏はようやく自由の身となった。身体中に、特に腹に大きな穴が空いているが、氷が無くなったことでじわじわと再生を始めていた。

 危なかった。カナヲが来なければ、鬼としての残虐な本能に支配されていたかもしれない。倒すべき相手を見誤ってはいけない。鬼殺隊は味方、鬼こそが敵だ。人を守り、鬼を滅する。

「すまない、カナヲ」

 晄夏は昔と変わらない声音でそう言った。拘束されていたから、晄夏だから。カナヲは晄夏を解放したけれども、迷っていた。抜き身の刀は当然童磨へ向ける。仇だから。でも、晄夏はどの立場にいるのだろう。
 晄夏の気配は人を喰った鬼そのものだ。それもかなりの数を喰っているはず。死んではいなかった、鬼になっていた。けれど禰豆子とは違う。敵か味方か、味方と信じたい、味方であってほしい。

「えっ、また春黎と知り合い? 妙な縁もあるものだね」
「下手に喋るなよ、童磨。どれがお前の遺言になるか、分からないぞ」

 頸に突き刺さっていた日輪刀を逆手に握る晄夏。童磨は落胆したように肩を落とす。

「……あーあ。折角少しは賢くなれていたのに」
「頭の悪さは否定しない。俺はすぐ頭に血が上る、冷静さを欠いてお前を殺し損ねた。……俺が、決着を付けるべきだったのに」

 もしもあの時、自分が童磨の頸を斬れていたら。
 しのぶはカナエが願う通り、鬼殺隊を辞めて何処かで幸せに暮らしていたのではないか。カナヲが刀を握ることも無かったかもしれない。何より、この数年の間で童磨が殺した人々は、殺されずに済む。

 後悔はしてもしきれない。失った命は二度と帰らない。

「……ひとつ、良い事を教えてやる。女ばかり喰う癖に、どうやらお前は知らないようだから」
「?」
「女は強かだ」

 童磨は不可解そうに眉を寄せて目を丸くする。その様子を見て笑う晄夏は、どうもカナヲの記憶にある好青年然とした人物とは違う。言ってしまえば、芝居に出てくる悪役のような、悪い顔をしていた。

「特に妹というのはな、この世のどんな生物より強いんだ。俺は勝てた試しがない」
「春黎が弱いだけでしょ?」
「……さて、それはどうだろう」

 カナヲは思い出す。きよ達に「ダメです!」「いけません!」「寝てください!」と、正座させられていた挙句に竹刀まで没収されていた晄夏を。アオイやしのぶ、実の妹のゆかりにも説教されている姿を見たことがある。落ち込む晄夏を慰めていたのはカナエだった。

「俺の妹たちは皆賢い。そして強い。上弦の弐なんて馬鹿げた強さのお前相手に、何の対策もしていないと思うか? そう思えるなら、随分おめでたい頭だな、童磨!」

 高揚しているらしい、というのは童磨にも分かった。突然、泣いたり怒ったり笑ったり。一体全体どういう心境の変化があったのか。童磨の下にいる時の春黎は、いつだって仏頂面だったのに。
 人間だった頃の記憶を取り戻したみたいだから、ついでに頭がおかしくなったのだろう。童磨は優しいので、愚かさに同情して鬼にしてやったのだ。

「鬼狩りを殺すのが俺たちの役目だよ。あの方の指示には従わないと」
「知るか、そんなもの」

 ああ、これは駄目だ。
 童磨は晄夏とカナヲの頭上に氷柱を作り出す。晄夏は咄嗟にカナヲを抱えて飛び退いた。

「大丈夫だ」
「……!」
「大丈夫、カナヲならやれる。必ずアイツの頸を斬れる。俺も助けるから」

 そう言ってカナヲの背を軽く叩く晄夏は、カナヲに語り掛けるというより、自分に言い聞かせているようだった。
 昔の晄夏なら、頭を撫でていただろう。カナヲは一抹の寂しさを覚えたが、同時に確信する。

 ──晄夏は味方だ。