口にするもの
舌打ちをひとつ零し、床に落ちた腕を拾いながら距離を取る。
やはりと言うべきか、童磨は冗談みたいに強い。カナヲの手助けをしながら、盾として攻撃を受けている晄夏はぼろぼろだった。
(繋がらない……)
断面を合わせているのに、斬られた腕がなかなか戻らない。頸の切り傷は特に治りが遅く、血が垂れ流しになっている。呼吸による止血も同時並行で行っているが、再生速度は目に見えて落ちていた。
いくら血が流れたところで、死ぬことはない。だが問題は、体力を消耗することによって襲い来る飢餓感にあった。
ようやく自分を取り戻すことが出来たのに、また鬼になってしまう。頭の奥で誰かが、衝動に従えと囁きかけてくるようだ。
鬼となって、記憶を失っている間は楽だった。出来なかったこと、出来なかったことで取り返しのつかなくなったこと、悔しくて、悲しくて、やりきれない。そんなものを忘れてしまえるのは、楽だった。忘れてしまえば考えなくていい。考えていると、苦しくなるし辛くなる。不可解なことはあったが、辛いことは何も無かったように思う。
それはそうだろう、傷つける以外には人と関わらず、苦痛を感じる基準や心すらも忘れていたのだから。
力無く横たわるカナエの姿に悔しさを覚えた。後一歩、速く駆けつけていれば、もしかしたら。
忘れてさえいなければ、しのぶだって。悲しくて堪らない。もしかしたら。もしかしたら。
駆けつけるのも、思い出すのも、遅かった。間に合わなかった。たらればばかり想像しては、自己嫌悪に苛まれて蹲りたくなる。現実は苦い、童磨の顔すら見たくない、見ると二人を思い出す。逃げたい、何もかもから、逃げ出してしまいたい、楽な方に行きたい。
晄夏は繋がったばかりの腕で、自分の頬を思い切り殴りつけた。鼻血が垂れたが、拭えばすぐに止まった。
「弱音を吐くな。逃げるな。迷うな」
蹲っていても何も出来ない。楽をするのは悪くない、だが楽な方に逃げるのは駄目だ。
無理なことは無理だと、刀鍛冶のあの人も言っていた。過去ばかり振り返っていても仕方がない。どうして迷うんだ。晄夏は内心自分を奮い立たせる。
しのぶが何の考えも無しに喰われるはずがないんだ。仮に何も無かったのだとしても、斬れる確信があるはずだ。
「あれぇ? 猗窩座殿、もしかして死んじゃった?」
突然、童磨が驚いたように言う。上弦の参が、確かそんな名前だったろうか。晄夏は名も知らぬ鬼殺隊士に心が震えた。上弦の鬼の頸に刃を振るえる程、鬼殺隊は強くなっていた。鬼側も鬼殺隊の殲滅を目論んでいるとなると、いよいよ最終決戦じみているが、それほどに追い詰めているのだろう、鬼舞辻無惨を。
「一瞬変な気配になったけど、気のせいだよね。猗窩座殿が何か別の生き物になるような……死んじゃったからもうわかんないや」
困惑していたかと思えば、次の瞬間には口を開けて笑う。童磨は本当によく表情が変わった。
「えーと、何だっけ? あっ、そうだそうだ。君に名前を聞いたんだよね。春黎は……カナヲとか呼んでいたっけ?」
カナヲは身体に負った傷こそ少ないものの、平時と比べれば呼吸は随分と荒い。険しい顔で、強く刀を握り締めていた。
「私は……栗花落カナヲ。胡蝶カナエと、胡蝶しのぶの妹だ……」
「えっホント? 肉質の感じからして血縁っぽくないけど。春黎とも似てないよね、さっきの子は兄さん≠ニか言ってたけど」
よく分からないなー、と童磨は腕を組みながら首を傾げる。
「まあ、若い女の子はだいたい美味しいから、いいよ何でも! 春黎もそう思うだろ?」
「…………」
「おいおい、無視するなよ」
否定ができなかった、肯定はしたくなかった。晄夏は口元を引き締め、童磨を睨むが、童磨自身は全く気にしていないようだった。女の子と言えば、と猗窩座のことを話し始める。
「俺は言ったんだよ! 女は腹の中で、赤ん坊を育てられるぐらい栄養分を持ってるんだから、女を沢山食べた方が強くなれるって。だけど猗窩座殿って女を喰わない上に、殺さないんだよ! それを結局、あの方も許していたし、ずるいよねぇ」
鬼が狙う優先順位として、一に稀血、二に女があると思っていたが、喰わない上に殺さないことを徹底している鬼がいることに晄夏は驚いた。単に女嫌いなのか、何か訳があるのかは、分からないが。
猗窩座のことを特別扱いだと言う童磨は、しかし俯いて涙を流す。
「死んでしまうなんて……、悲しい。一番の友人だったのに……」
「もういいから」
嗚咽を漏らす童磨に、カナヲは言った。
「もう嘘ばっかり吐かなくていいから」