凍て解けの鬨

 童磨の顔が溶けだし、膝をついてからは早かった。倒れる身体を支える為に付いた腕がずるりと崩れる。

(これは……)

 比喩でなく、童磨の身体が崩れている。溶けた腕が再生する様子はない、上弦の弐故に、驚異的な再生力を誇る童磨が。

(毒、だが、いつ摂取した? しのぶが打ち込んだ毒はその場で分解していたはず。なら……)

 御子の動きは止まり、その身体には亀裂が走り、次の瞬間には砕け散った。

「師範の毒が効き始めた! 伊之助、頸を狙って!!! 一気に追い込む!!」

 まさかしのぶ自身が毒であるとは、童磨も晄夏も、想像だにしていなかった。

 懐に仕込んでいたのか、否、しのぶがそんな生半可なことをするはずがない。毒そのものになる為に、どのような手段を用いたか。もし、想像したことが間違っていないのであれば。

(しのぶ……頑張ったんだな。そこまでの覚悟を、してくれたのか)

 ありがとう、大丈夫だ、必ずやり遂げる。

「往生しやがれ、ド腐れ野郎!!」

 永い時間を生きた鬼が、そう易々と命を捨てることはない。死にたければ陽の光を浴びればいい。そうしないのは、どこかで生き続けることを願っているからだ。
 それは果たして、本人の願いなのか、鬼舞辻無惨の意識を刷り込まれているのか。

 ──血鬼術 霧氷・睡蓮菩薩

 カナヲと伊之助が頸を斬らんとした直後、天井を押し割る程巨大な仏像が現れる。
 氷で出来たその仏像が振り下ろす手は重く、橋を粉々に叩き割り、高い水飛沫を上げる。

(俺一人を相手にする時は見せなかった! こんな大技使うまでもなかったからだ!)

 確実に追い込んでいる。後はカナヲと伊之助が頸を斬ればいい。
 呼吸で足に空気を送る、壱ノ型を使う時以上に。

 大技ではあるが、童磨が使う術にしては精度が低い。晄夏が渾身の力を込めて蹴り上げれば、その氷を充分に砕くことが出来た。

 強膜を朱く染めたカナヲが童磨に迫る。その刃が童磨の頸に食い込んだ時、仏像がカナヲの背から凍える息を吹きかけた。カナヲの伸ばした腕が凍り付いたが、仏像の頭にはビシリと大きな亀裂が走る。

「斬れ!!!」
「ぬおおおお!! 獣の呼吸思いつきの、投げ裂きィィィィィ!!」

 伊之助が投げた刀がカナヲの刀を押し込んだ。

 あの日晄夏が通せなかった童磨の頸に、カナヲの刃が通る。
 よかった、終わった。晄夏はようやく心の底から安堵した。


 童磨の身体は他の鬼と同じように、塵となって崩れていく。術者が斬られたことにより、仏像もただの氷塊となった。

 母の仇を討った。伊之助は炭治郎の言葉を思い出していた。
 伊之助のお母さんはきっと、伊之助のことが大好きだったと思うよ。>氛汪ヤ違っていなかった。母は。

「母ちゃん……」

 カナヲは、終ノ型を使った弊害で右目がほとんど見えなくなっていた。片目だけで見る世界は距離感を掴むのが難しい。しのぶの髪飾りを探したいのに、なかなか見つからない。水の中に落ちているはずなのに。

「カナヲ」

 目の前にしのぶの髪飾りが差し出される。カナヲがそれを受け取ると、晄夏はカナヲの手を引いて橋まで連れて行った。
 疲労と安堵から、足の力が抜けてしまったカナヲと視線を合わせるように、晄夏はしゃがんでいる。カナヲは、晄夏が見慣れた姿をしている気がした。隊服と羽織、目も口も変わらない。

「……わた、し……」
「うん」
「……っごめん、なさい。私、あの時っ、泣けなくてごめんなさい」

 カナエ姉さんが死んだ時、泣けなくてごめんなさい。
 晄夏義兄さんが死んだって聞いた時も、泣けなかった。

 カナヲは堰を切ったように、己の心中を口にする。

「みんな泣いてたのに、私だけ泣かなかったっ。と、とても、動揺して、いたけどっ、体中……汗を、かくばかりで……涙は、出なかった」
「うん」
「だっ、だけど、だけど誰も、……誰も私を責めなかった。みんな優しかった。だからいっぱい……心の中で、言い訳してた……」

 晄夏は時折相槌を打ち、カナヲの言葉を急かすことはなかった。カナヲが話せるまで、静かに待っている。

「泣くと、蹴飛ばされるの、踏まれるの。引き摺り回されて、水に浸けられるの」
「…………」
「動きを、よく、見てないと、悪いところに当たって……、……次の朝には、冷たくなってた兄弟が、何人もいた。ずっとそうしてきたから、泣かないようにしてきたから。急に……泣けなかったの、……ごめんなさい」

 ごめんなさい。カナヲは再度そう言った。

「でも私っ、今度はちゃんとできたよね? 頑張ったよね……? 姉さんたちに言われた通り、仲間を大切にしていたら、助けてくれたよ……! 一人じゃ、無理だったけど、仲間が来てくれた!」

 カナヲは晄夏を見上げる。眉を下げて、優しく微笑んでいた。

「がんばったね、カナヲ」
「がんばったな、カナヲ」

 三人分の声と共に、頭に温もりを感じた。晄夏はカナヲに触れていないが、確かに撫でられた気がした。声の主は、きっと。

 カナヲの目から涙が溢れ出す。
 それは確かに、心から大切な人を想ったからこその涙だった。