斜陽に燃ゆる言の葉木の葉
内空閑邸の庭には立派な紅葉の木が生えている。秋になると真っ赤に色づくそれが好きだと言う母の為に、父が時間と手間とお金をかけて植えたものだった。父は桜の方が好きで、そちらも同様の時間と手間とお金をかけている。桜にしろ、紅葉にしろ。立派であることは父の誇りらしく、この時期は来客が絶えない。
晄夏は、もちろん息子として挨拶はするし、なんだかんだと菓子折りを持って来てくれる御客人には好感を持っていた。浅草で人気の、とか。これは異国で仕入れた、とか。とかく色んな客人と共に色んな物がやって来るのだ。子ども心に興味を惹かれる物も、あったりなかったり。
ただ、客人がいる間は自宅で遊ぶことができないのは、不満だった。
(美味しいお菓子もあるし、紅葉は綺麗だし、カナエちゃん呼びたいなぁ……)
客人が来る時は大概長男として挨拶をしなければならないので、あまり遊びに行かないで欲しいと、父に言われていた。父は帝國大学の教授だ。顔が広い分、晄夏の将来を見据えて、挨拶と紹介をしているのだというのは分かっている。とは言え、退屈なのも事実だ。妹たちは友達と遊んでいるし。羨ましいことこの上ない。
仕方がないので自室で勉強したり本を読んだり。父は博識で、話が上手い。勉強で分からない所があれば分かりやすく教えてくれる。教えるのも上手いのだ。晄夏は父を尊敬しているし、憧れを持って勉強に励んでいる。
それはそれとして、最近はめっきりカナエと会っていない。母の付き添いで買い物に出かけた時に、一応姿だけは見かけたりするが、女友達と楽し気に話しているところに割り込むのは邪推だろうと、声はかけなかった。本当は話したかったし、遊びたかったし、何なら、本当に、目が合うだけでもいいのに。
カナエは誰に対しても優しいし、おしとやかで、可愛い。男友達の間でも、好きな女の子の話題になると、必ずと言っていい程カナエの名前が挙がった。胡蝶家の近くを通りがかる時に聴こえてくる琴の音。カナエが弾いているところを想像して立ち聞きしてしまうと言っている友達もいた。
俺はカナエと仲が良くて、琴だって聴かせてもらったことがある。──そう自慢したくなったことは何度もあるが、(いやいや、カナエちゃんは頼んだら聴かせてくれるさ……)と自重した。その度に、ちょっと情けない見栄を張ろうとしている自分に、握り拳で一発入れたくなった。
「はぁ…………」
窓枠を支えに頬杖をつく。明け放した窓からは、もう残暑を忘れてしまった冷たい風が吹き込んだ。
最近は、もう、すっかり。カナエのことを考える度に深い溜息が出る様になってしまった。溜息を聞かれると妹はにやにやと笑うし、母も「恋の季節ねぇ」だなんて微笑ましそうにするのだ。
確かにその通りだと思う。自分はカナエが好きだという自覚がある。一目惚れをしたあの日から、会う度、話す度に好きな部分が増えていく。妹たちにも良くしてくれるし、しのぶが自慢の姉だと誇らしげにするのも分かるというものだ。
穏やかな空気を纏っているところ、芯が強くて凛としているところ、優しい心を表す微笑み、無邪気な笑顔、女の子らしい長い睫毛と大きな目は万華鏡のようにきらきらしていて綺麗だし、柔らかな声音も──……。
「……っはぁぁー……」
恋煩いである。これはもう紛れもなく。
思い出を辿れば幸せな気持ちになる。それはカナエと過ごした時間が幸せであったことの証拠だろう。この時間がずっと続けばいいのにと、そう願ったこともある。
──カナエちゃんは、俺の事どう思ってるんだろう。
俺好かれてる気がすンだよね、告白しようかな。なんて浮足立っていた同級生がいたことを思い出す。結果はどうだったのだろう。学校の廊下で立ち話をしていたのを見かけた以来、彼の姿を見ない。
晄夏は考える。自分は、それはまあ当然、両想いだったなら嬉しい。きっと喜びのあまり跳び上がったり、走り出したりしてしまうだろう。いや、もういっそのこと、嬉しさのあまり泣き出してしまうかもしれない。男なのに情けないと思われるだろうか。
結婚……いやいや、さすがにそれを考えるのは早すぎる。まだお互い子どもなのだし。かぶりを振って思考を霧散させる。
(でも……)
いつかカナエも結婚する。自分もする。これからお互いに素敵な異性に巡り合う機会があることだろう。晄夏はカナエが好きだし、この恋が成就することを願っている。けれども、カナエが心の底から幸せだと感じるのなら、将来隣にいるのが自分ではなくても、いいかな、なんて。
(いや……いや! 俺がカナエちゃんを日ノ本一の幸せ者にしてみせるさ!)
両頬を叩いて、恋心に気合を入れる。
その時、外から妹の声が聞こえた。二階から外を見下ろすと、そこにはたった今思い浮かべていたカナエ本人が、晄夏に向かって手を振っていた。思わず立ち上がって、着物の裾を踏み、後ろにひっくり返る。クスクスと笑っているのは妹と……カナエの隣にいたしのぶだろう。
すぐさま体勢を立て直して、家の中を駆ける。今この瞬間ばかりは客人に対する気遣いなど吹っ飛んでいた。草履を乱雑に足に引っ掛けて、玄関を飛び出す。
「か、カナエちゃん!」
妹たちとしのぶは姿を消していた。気遣いか。曲がり角から顔を覗かせているのが見えた。気遣い……か? 晄夏は内心首を傾げる。
「えっと……元気にしてたか? どうして家に……?」
「最近、晄夏君忙しそうだったから……。迷惑だったら、ごめんね」
「迷惑なんかじゃ!」
咄嗟に出た否定の言葉は、自分が思っていたよりも大きな声で飛び出した。口を押さえ、足下に視線を下げる。
「ごめん、大きな声出して……。会いに来てくれて、嬉しい。すごく、嬉しいよ」
「それなら、良かった」
顔に熱が集まるのを感じる。晄夏はカナエのことが好きだったが、こうして面と向かって話している時に見せる、カナエの表情が特に好きだった。相槌と共に表れる、やさしさで編んだような表情。
「す、少し、待っててくれ。すぐ戻る!」
その場から逃げるように踵を返して家に戻る。台所に立っていた母からは少しお小言をもらったが、母は晄夏の顔を見ると、慈愛に満ちた顔で嘆息した。
代わる代わるやって来る客人が持ってくる、食べきれない量の菓子を風呂敷にまとめ、晄夏はカナエの下へ戻る。
「これ、よかったら家族で食べてくれ」
「こんなに? いいの?」
「うん。たくさんあるんだ、食べきれないくらい。だから貰ってくれるとありがたい」
「そういうことなら……。ありがとう」
晄夏から風呂敷を受け取ろうとしたカナエは、晄夏の「あっ」という声で手を止める。
「送ってくよ、陽が落ちるのも早くなってきたし。その……もう少し、話していたい……から」
俯き加減に言う晄夏。ちらりとカナエを窺えば、カナエも淡く頬を染めながら頷いた。
「よかった。私も、思っていたから……」
「……!! そっ……か」
曲がり角で様子を窺っていた妹の千代子は「しのぶは先に帰ったからね!」と告げて家に入って行く。帰ったら一言二言言わなければ、と晄夏は心に決めた。
「本当はこれ……紅葉を見ながら皆で一緒にって、思ってたんだけどな」
「外から見てもすごく綺麗な紅葉だから、今年は無理でも来年、一緒に見られたらいいな」
「そうだな、来年」