対価の訳などなく
年末は家族揃って自宅で過ごし、年明けに父の実家がある横浜へ向かう。滝野川村と比べると、圧倒的に人の数が多く、街も発展している。和服よりも洋服を身に纏う人が目につき、港には大きな船が何隻も停まっていた。
祖父母は晄夏たちの帰省を大層喜び、あれもこれも買ってやろう美味しいものを食べさせてやろうと張り切るので、晄夏は嬉しいけど困る……と祖父母をなだめなければならなかった。「子どもなんだから遠慮するんじゃない!」と怒られてしまったが。
得意気な祖父が「まだあっちにはないだろう!」と言い、晄夏と妹二人を連れてやって来たミルクホールで注文したのは、黄色くてふわふわした生地にあんこが挟まった洋菓子である。牛乳と一緒にテーブルに並べられたそれを見て、三人は首を傾げる。
「爺ちゃん、これは? かすていらに……あんこ?」
「これぞ! 横浜で大……ひっそり広まりつつあるシベリヤだ! 美味いぞぉ」
祖父はどうやら孫三人の不思議そうな顔を見て大満足らしい。自分の分のシベリヤを手に取って、大口を開けて食べて見せる。三人は祖父がシベリヤを嚥下し、ニカッと笑うまでを見守り、フォークを手に取って恐る恐る口に運ぶ。
ふわふわのかすていら、そしてあんこ。甘いものと甘いものの融合でくどいかと思いきや、饅頭や大福とも違う味は子どもの味覚に合致した。目を輝かせて、二口目三口目と口に放り込み、牛乳も一緒に飲めば満腹感と多幸感に包まれる。
(カナエちゃんにも食べさせてあげたいなぁ)
何をしていても晄夏の思考にすかさず入って来るカナエの存在。恋の病とはよく言ったものである。
「滝野川村はどうだい、住みやすいか? 友達はできたか?」
「うん! しのぶって言うんだけどね……」
待ってましたと言わんばかりに、千代子は友達との思い出話を祖父に話して聞かせる。祖父は笑顔で相槌を打ち、時折大袈裟な反応をしながら先を促した。当然のように話の流れで晄夏の想い人の話題になる。祖父は晄夏本人の口から聞きたがったので、晄夏は照れながらカナエがどんな女の子で、どんなところが好きなのかを話して聞かせた。
ついでに、千代子が想いを寄せる上級生の話も零し、晄夏は顔を真っ赤にした千代子に割と強めの殴打をもらう羽目になった。
ミルクホールを出て、街を散策する。末の妹は晄夏と手を繋ぎ、小さな足を精一杯動かしながら兄に着いて行く。祖父が友達にお土産を買ったらどうかと提案し、晄夏と千代子は元気よく頷いた。とにかく孫を甘やかしたい祖父は、あの子達が欲しいものもたくさん買ってやろうとだらしなく頬を緩めた。
「お兄ちゃんから離れちゃ駄目だぞ」
「うんっ」
末の妹にきちんと言い聞かせ、きらびやかな装飾品が並ぶ店を覗く。祖父は「友達にお土産を」と言ったのに、自然とカナエへのお土産を考えていた自分に気づき、晄夏は自分自身への気恥ずかしさで唇を噛み締めた。もちろん男友達にもお土産は買っていくつもりだった。ただ、優先順位が自然と決まっていただけだ。
髪飾りなんかは趣味に合わない物をもらっても困るだろうか。カナエはどんな物が好みなのか。
ウンウン唸りながら必死で考え、櫛を一つ、購入する。一番最初に目について、他の商品を見た後でもやっぱり気になって、千代子に励まされながら決断した物だ。祖父には「ありがとう」と誠心誠意感謝を述べた。
「晄夏は男だからな。いつか歳をとった時、儂みたいにたくさんの稼ぎでたくさん孫に与えてやりなさい」
「ああ、でも、俺が稼ぎ頭になったら爺ちゃんと婆ちゃんにもたくさん贈り物をするから、長生きしてくれよ」
「そりゃ楽しみだなあ!」
がっはっはと豪快に笑う祖父は「良い物をやろう」と懐から紫色の小さな巾着を取り出す。
「藤の匂い袋だ。鬼避けにな」
「鬼?」
「怖〜い人喰い鬼がどっかに潜んでるかもしれんからなぁ」
蝶が人外めいた存在なのだと語ってみせた時と同じ声色で、祖父は晄夏たちを脅かす。
鬼なんて、蝶の話よりも信じ難い。千代子は本当にいたらどうしようと、祖父の狙い通りに怖がっていたが、晄夏は半信半疑どころか全く信じていなかった。涙目になる千代子を落ち着かせ、元気づけるように言う。
「俺が長男なのは、家族を守るためだぞ? きっとな。だから大丈夫だって」
「絶対だよ? 絶対鬼が来ても守ってね!」
「大丈夫。絶対傷つけさせないから、な?」
鬼なんて作り話だろうに、と晄夏が思っていると、手を繋いでいた末の妹が「にぃに」と晄夏に呼びかける。目線を合わせる為にしゃがめば、末の妹は、今いる場所から大きな道路をひとつ挟んだ露店を指していた。
「お、
「うん」
「それなら爺ちゃんにお願いしないとな」
こくりと頷いた末の妹のお願いを、祖父はすぐに了承した。ぷかぷかと浮かぶ赤い球紙鳶を買ってもらい、末の妹ははしゃいでいる。
「よかったなぁ」
「うん!」
走り出した妹を晄夏は目を離すことなく追いかける。紐を握っていれば、宙に浮くそれが着いてくるのが楽しくて仕方がないらしい。人とぶつかったり、転んだりしないように、と晄夏は気をつけていた。
その時響いた、まるで雷のような音。見れば末の妹目掛けて馬車が突進している。考えるより先に晄夏は走り出した。
何が気に入らなかったのか。馬は御者の言うことを聞かずに暴走している。
「ゆかり!!」
妹の名を叫ぶ。ガシャン、ガラガラ、ゴロゴロ。そんな音が聞こえたと思えば遠ざかっていく。晄夏は妹を見た。砂埃で服は多少汚れたものの、怪我はないようだ。よかった。