第拾話


 柱稽古が始まった。

 元音柱・宇髄天元による基礎体力向上訓練。
 恋柱・甘露寺蜜璃による地獄の柔軟。
 霞柱・時透無一郎による高速移動の稽古。
 蛇柱・伊黒小芭内による太刀筋矯正。
 炎柱・燎晋之丞による反射訓練。
 風柱・不死川実弥による無限打ち込み稽古。
 岩柱・悲鳴嶼行冥による筋肉強化訓練。

 刀鍛冶の里での戦闘で負った傷を癒していた炭治郎は、他の隊士よりも少し遅れて柱稽古に参加した。

 順調に稽古をこなしていき、伊黒に終始嫌われていたことを悲しく思いながら、次の稽古場である炎柱邸へと向かう。
 鎹鴉の案内に従いながら辿り着いた炎柱邸の門は、客人を拒むように閉め切られていた。一瞬留守なのかと思った炭治郎だが、門に貼り紙があることに気づく。

「“死スル覚悟持チシ者、即刻風柱ノ下ヘ行カレタシ”……? 凄い達筆だ……」

 入るなとも留守だとも書かれてはいない。炎柱邸の中からは、独特な匂いが漂ってきていた。何の匂いか首を傾げつつ、炭治郎は門を開ける。

「ごめんくださーい! 竈門炭治郎です!」

 炎柱邸はシンと静まり返っていて、炭治郎の声に応える者はいない。やっぱり留守なのだろうかと首を傾げたその時、建物の陰から人が現れた。
 恐らくは最初白かったであろう襦袢を、真っ赤に染め上げている。足を引きずるようにしながら歩くと、地面に赤く小さな水たまりが出来上がった。

「だっ大丈夫ですか!?」
「ああ……炎柱様ならさ、あっちにいるよ……」

 全身を赤く染め上げながら、その鬼殺隊士らしき人物からは血の匂いがしなかった。怪我をしている訳ではないと安心したものの、一体ここで何が行われているのだろうかと、炭治郎は息を呑む。
 炭治郎が炎柱邸に来た際に感じた匂いの発生源は、どうやら道場の中らしい。炭治郎は意を決して扉を開ける。

(さ……殺人現場……!?)

 床は真っ赤。倒れている隊士たちも真っ赤。唯一立っている晋之丞は、入口に背を向けて、やはり真っ赤に染まった木刀に筆を滑らせている。炭治郎に続いてやって来たらしい隊士が「ヒィエ!!」と白目を剥いた。

「ここでの訓練を不要だと思う者は去れ。最後通告だ。訓練を望む者はそこの棚にある服に着替えて来い」
「はっはい!!」
「お前たちはいつまで転がっているつもりだ? 次が来たぞ、早く掃除しろ」
「は、はい……」

 炭治郎は床に広がる赤い液体を踏まないようにしながら、晋之丞が示した棚から服を取り出す。綺麗に整頓されて置かれていたのは、白い襦袢だ。肌ざわりがいい。先程白目を剥き、今はガタガタと震える隊士を横目に服を着替える。服を真っ赤に染めた隊士達が雑巾がけをする姿は、怪談話を再現した光景に思えた。

 道場が綺麗になると、晋之丞は赤く染まった木刀を持ち、炭治郎他綺麗な襦袢を纏った隊士達に振り返った。

「俺の稽古は至って簡単だ。俺が斬りかかるから、お前達はひたすらに避け続けろ。木刀も貸し出してやる、防ぐのもありだ」

 隊士の幾人かは、晋之丞が言った通り「あれ? 思ったより簡単な稽古かも?」と思った。晋之丞の下まで辿り着いた時点で、柱稽古は終盤に差し掛かっている。今までの辛い稽古を修了した経験が、余計にそう思わせた。

「人間の急所はいくつかあるが……」

 晋之丞は言いながら、布を巻いて人型を模している新品の打ち込み台に、勢いよく突きを放つ。

 あまり聞こえたくないような音と共に、木刀が打ち込み台を貫通する。人で言うところの胸部──心臓がある辺りに突き刺さった木刀が抜けると、塗られていた液体が糸を引いた。

「攻撃されたら不味い場所、致命傷になり得る場所を俺は狙う。この赤いのは絵具だが、お前らの血と思え。その服を汚さずにいられたら修了にしてやる」

 なるほど! と炭治郎は元気に納得した。他の隊士達は己が見た惨状と、自分の未来を即座に理解した。

 稽古が始まってすぐ、炭治郎は全身血塗れ……もとい、絵具塗れになった。それは他の隊士達も同じことで、自分が着ていた襦袢の洗濯をしながら、疲労困憊といった様子でぶつぶつと不満を呟いている。

「避けたと思ったのに避けられてなかったんだよな、俺」
「分かる……防げなかったもんな」
「絵具で足下悪くなるしさ……」

 攻撃が来ると察知した瞬間、体を動かさなければならないのだというのは、どの隊士も稽古の中で理解した。思考時間が勿体ない。どう防ぐか、どう避けるか、考えている内に攻撃を受けてしまう。つまり無意識下で最適解を導き出さねばならないのだ。
 晋之丞の太刀筋は伊黒の様に変則的な曲がり方をする訳ではない。真っ直ぐ振り下ろされたと思った攻撃は、そのまま真っ直ぐ下りてくる。なのに防げないし、避けられない。

 なんで当たるんだ避ける以前の問題じゃねぇかと、上手くいかないストレスで自棄になった隊士が斬りかかっても、晋之丞に攻撃は当たらなかった。その隊士は顎を殴られて気絶させられていた。

 使っているのが木刀と言えど、本人は絵具が付けば良しとしているらしく、打撃によるダメージもほとんどない。基礎体力向上訓練を行っているので、決められた時間内で行われる打ち合いが苦になるかと言われれば、体力的には問題ないはずだった。
 しかし隊士達は皆疲労困憊である。心なしかげっそりしている。それは何故か。

「あの絵具がよくねぇよ、絶対。俺……腹斬られた時死んだって思ったわ」
「痛くないんだよな、痛くないけど……」

 精神的に来ているのである。避けきれなかった、防ぎきれなかった晋之丞の攻撃が当たる時、着ていた服が真っ赤に染まる。飛び散った絵具はまるで傷口から噴き出した血液のように見える。晋之丞は稽古が始まる前に「致命傷になる場所を狙う」と宣言しているので、攻撃を受け、絵具が付く度に、隊士達の頭に死が過る。

「ここいたくねぇよ……」
「俺も……」
「がっ頑張ろうぜ! 避けりゃいいんだから!」
「どうやって避けんだよアレ……」

 洗い終えた襦袢に対して、綺麗になってしまったとさえ思いながら、隊士達は再び道場へ向かう。しくしくと泣きながら床掃除をする他の隊士の姿を見て、悲しくなった。

 その日の夜、魘されている様子の隊士に蹴飛ばされ、炭治郎は目を覚ます。すぐにもう一度眠ろうとしたのだが、やっぱり蹴飛ばされたので、水でも飲もうと布団からもぞもぞと這い出た。
 ヒヤリとした夜の気配に包まれる廊下を歩いていると、玄関の戸が開く音を耳にする。そちらに足を向かわせれば、隊服を着た晋之丞がちょうど帰ってきたところだった。

「おかえりなさい、晋之丞さん」
「……ああ、ただいま。まだ起きてたのか」
「目が覚めちゃったので、水でも飲もうかと思って。そしたら晋之丞さんが帰って来たんです」
「そうか。…………」

 少し考えた様子の晋之丞は、炭治郎に「ついてこい」と言って、厨へ向かう。小さい鍋に牛乳を入れて温め、蜂蜜を溶かしたものを湯呑に入れて差し出した。自分の湯呑には白湯を入れて、椅子へ腰かける。

「それを飲んでさっさと寝ろ」
「ありがとうございます!」

 一口飲めば、ほのかな甘みが口に広がる。胃から全身に熱が伝わり、炭治郎はほうっと息を吐く。

 初めて燎家で出会った時と、今炭治郎の目の前にいる晋之丞は、随分と匂いが違っていた。冬の夜明け前に雨が降りそうな時……そんな匂いだ。静謐で、明之丞と似ている部分はあるが、やはり全く違う。

「晋之丞さんはこんな時間に何を?」
「夜間警備の帰りだ。今日も鬼は出てないが」
「そうだったんですね、お疲れ様です」

 湯呑を傾けた晋之丞は、白湯を飲み干すと長く息を吐いた。

「……悪かったな」

血の池の白魚

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