第拾伍話
煉獄槇寿郎は、元音柱・宇髄天元と共に、新たに鬼殺隊当主となった産屋敷輝利哉の護衛に当たっていた。かつては己の手足として振るっていた刀を、もう一度持つ時が来るとは思わなかった。久しく感じたその重さは、覚悟の証だ。
「燎隊士が上弦の参と対峙しています。既に戦闘中です」
「一人? 晋之丞の近くに他の隊士……柱はいる?」
「かなり離れていますが、別の階層に冨岡隊士と竈門隊士が。一番近いのはその二人です」
障子を隔てた先にいる輝利哉たちの会話に、槇寿郎は息を呑む。
(そうだ……あの子は立派に炎柱を務めている。今この瞬間にも、鬼と戦っている)
槇寿郎が最後に晋之丞を見たのは、息子である杏寿郎の葬式の時だ。
霊柩車を待つ間、自身の部屋に戻ろうとした槇寿郎は、杏寿郎の部屋で一人座っている晋之丞を見かけた。槇寿郎が何をしているのかと問うと、晋之丞は杏寿郎に借りていた物を返しに来たのだと言った。何を貸し借りしていたのかは、槇寿郎の知るところではない。
声をかけたことで、槇寿郎の方へ顔を向けた晋之丞は、いつもと変わらない様に見えた。
涙の跡も、目を擦った様子もなく、何かしらの不満を抱えているような仏頂面だ。葬儀も義務的に終わらせていた晋之丞に、槇寿郎は存外薄情なのだと思う。杏寿郎と晋之丞がどれほど仲が良かったかも、槇寿郎は知らない。だが長い付き合いではある。多少なりとも悲しむ素振りくらいは見せるものだと思っていたが、どうやら違うようだった。
「……通達は来たのか?」
「いえ、まだです」
鬼殺隊には代々煉獄家か燎家の人間が炎柱を務めるというしきたりがある。炎の呼吸を扱う者は他にもいるので、当然実力に応じてその辺りは変わる。なので必ずしも鬼殺隊に所属した時点で柱になれると決まった訳ではないが、次代の炎柱として一番可能性が高いのは晋之丞だと、槇寿郎は風の噂で聞き及んでいた。
いや、風の噂ではなく、杏寿郎が話していたのだったか。階級は甲、柱になる為の条件も既に満たしていると、槇寿郎は晋之丞本人に聞いた訳でもなく知っていた。
「なら今の内に、鬼殺隊など辞めてしまえ」
自然と口をついた言葉に、晋之丞が目を細める。
「出来るものなら、ずっと前にそうしています」
槇寿郎は驚いた。まさか晋之丞がその様なことを言うとは思わなかったのだ。自身の言葉にも、どうせ反論するのだろうと予想していた。戦うことをやめるわけにはいかないとか、鬼を斬るのが燎家に生まれた者の使命だとか、そう言って。
まさかこの子どもは戦いを厭っているのだろうか。そんなことは今まで爪の先ほども想像し得なかった。
「……杏寿郎も結局、大したものになれず死んだ。俺の息子だからな。俺が教えたお前もどうせ……」
「アンタ何を言ってるんだ」
先程まで実に静かなものだった晋之丞の、纏う空気が一変する。今にも槇寿郎に噛みつかんとするように、歯を見せながら晋之丞は口を開く。
「杏寿郎の何を見ていたらそんなことが言える? 本当に父親なのか」
「何だと……」
「俺はアイツを……見ていると、惨めになるぞ。己の情けなさを、見たくもないのに見せつけられているようでな」
晋之丞は立ち上がり、ギシリと食いしばった歯を鳴らす。
「杏寿郎程立派な人間もそういない」
槇寿郎が何も言えずに立ち尽くしていれば、晋之丞はすれ違いざまに「……死んで全て無駄になったというのは、同意しますが」と、そう言って部屋を出て行く。
少し離れた場所で、千寿郎が晋之丞に声をかけているのが聞こえた。
──情けないなど、とんでもない。
蹲り続けた自分は大人として、晋之丞にそう言い聞かせてやることが出来なかった。戦場にいる晋之丞に思いを馳せたところで、口にしなければ伝わらない。
晋之丞は杏寿郎と真正面から向き合ってくれていた。一番にそうすべきだったのは、父親である自分だろうに。
槇寿郎は晋之丞の努力を知っている。ひたむきに、人々の為に戦う道を歩み続けたのだ。その生き様が情けないことなどあるものか。
戦いを厭う心が何から来るものなのかは分からない。それでも使命を果たさんとする人間の、なんと勇ましいことか。
(晋之丞……どうか生きて帰ってくれ)
槇寿郎の切なる願いを、晋之丞は知らない。
槇寿郎が再び立ち上がって前を向けるようになったことを知らない。
それぞれ別の場所で、異なる形で戦いに身を投じているなど、考えもしなかった。
──考える隙もなかった。
直撃は避けたはずだ。受けた衝撃で肺に残っていた空気を吐き出させられたのがその証拠。まともに喰らっていたならば、息を吐いたと知覚するより先に死んでいる。
猗窩座の攻撃により背中を強く叩きつけられた晋之丞は、そのまま無限城の床を突き破って、下の階層へ落ちて行った。攻撃の余波で砕けた建物の多くが、晋之丞を突き刺し、その皮膚を切り裂かんとする。一部の畳などは、緩衝材の役目を果たそうとしていたが、結局のところ焼け石に水だ。
「晋之丞さん!!」
落ちていく最中、炭治郎の叫び声が聞こえた。
強かに打ち付けた背中を庇いながら、晋之丞は懸命に呼吸を整える。思うように息を吸うことも吐くこともできず、喉がヒュッ、ヒュッ、とか細い悲鳴を上げる。
(竈門……竈門、だけか? 受け身はとった、死んでない、生きてる……)
骨の髄まで響く激痛が、全身を苛んでいる。指の一本を動かすのも辛い、数段大きく脈打つ心臓が苦しい。
ぼんやりと、音が遠く聞こえた。手で耳を塞いでいる時のように、心臓の鼓動や血の流れる音が、周囲の音をかき消している気がする。辛うじて聞こえているのは猗窩座と炭治郎が戦っている音なのか、先程まで戦っていた自分の脳裏にこびり付いた記憶なのか。
(早く、はやく、戻って……頸を、猗窩座の、)
思考は正常に稼働しておらず、体も休息を求めていた。常ならばそれに耳を傾けるところだが、今日ばかりはそうもいかない。体の叫びを“猗窩座の頸を斬る”という意志──執念で捩じ伏せ、晋之丞は体を起こす。
刀を握り、振るうための右腕に、まともに力が入らなくなっていた。柄に添えられているだけの手でも、握ったのだと思い込む。
戦えない理由を数え始めたらキリがない。そんなものを一つずつ自覚した時には、二度と刀を握れなくなる予感すらある。だから真っ直ぐでお綺麗な意志ではなく、あらゆる感情をない交ぜにした執念で体を突き動かさなければならなかった。
(どれだけ下に落とされた? ここはどこだ、暗い……)
いくら猗窩座に啖呵を切ったところで、晋之丞は劇的に強くなったりはしない。なので増援自体はありがたかったが、故に焦っていた。他の誰でもない自分が、猗窩座の頸を斬らねばならないのだ。上弦を斬った功績など求めてはいないが、それだけはどうしても譲れない。
晋之丞が落とされた場所はとにかく暗かった。自分の姿ですら見えない程に。
(部屋に灯りがないのか……? いや……これは、俺の目……が)
プツン。
晋之丞の意識はそこで途切れた。