第拾漆話


 猗窩座に対して、堂々と正面切って宣言する炭治郎を、晋之丞は“強い”と思った。上弦の参相手に立ち回っていることもそうだが、その正義感とそれを支える心が。
 杏寿郎も同じことを感じ、見出したからこそ、命を賭して守ったのだろうか。

「晋之丞さん、頭から血が……それに手も」

 改めて晋之丞を見た炭治郎は、その重傷さに泣き出しそうな顔をする。
 晋之丞の全身に刻まれた裂傷。服の下には打撲痕、さらにその下にある骨や内臓は確実に痛めつけられている。柄を握る手が震えていた。

「額が割れただけだ、血は止まってる。これは武者震いだから気にするな」

 これ以上は戦うべきではない、止めるべきだと炭治郎は分かっている。この場にいたのなら誰だってそう思うだろう。けれど、鬼殺隊士であるから口が裂けても言えない。そんなことは晋之丞自身が一番よく理解しているからだ。それでも戦わなければならない理由があるから、こうして立っている。ならばその意志を尊重する他ないのだ。

 その時、口を閉ざしていた猗窩座が突然自身の背後を振り払う。誰かが不意打ちを狙っていた訳でもない、そこには本当に何も無かった。猗窩座自身も己の行動に驚いている様子で、ゆったり振り向くと晋之丞と炭治郎を睨めつける。

「やはり不快だ」

 言うが早いか、猗窩座は動き出す。

 ──破壊殺・砕式 万葉閃柳
 ──炎の呼吸・弐ノ型 昇り炎天

 晋之丞は炭治郎を後ろに追いやりながら、振り下ろされる猗窩座の拳を下から斬り上げる。今度は皮一枚を残すことなく、確実に猗窩座の腕を切断した。恐るべき威力を誇る拳が一つでも少ない内に、攻撃を畳みかける。炭治郎もすぐさまそれに続くが、数の不利がありながらも猗窩座は攻撃を躱し、防ぎ、急所を穿つ拳を繰り出す。

 背中に目でも付いているんじゃないのか。そう思うほどに的確な動き。晋之丞は攻防の最中、舌打ちを漏らす。
 猗窩座と接敵した時から思っていたことだ。猗窩座は晋之丞がどの方向から攻撃しても感知し、急所を狙ってくる。一人に集中しているからかと思えば、そうではない。こうして二対一で戦っていても、それは変わらなかった。

(武を極める奴はそうなるのか? 厄介なことこの上ない! だが……)

 体が軽い。先程よりもずっと早く、ずっと強く、型を繰り出すことができる。

 晋之丞の変化は、晋之丞本人よりも戦っている猗窩座の方が感じていた。首筋から左頬にかけて浮かび上がる、揺らめく炎のような痣。それが出てからというもの、変わらず羅針は闘気を感知しているにも関わらず、攻撃が当たらない。自分ばかりが刀傷を増やしている。
 治るのだから問題ないという考えは出来なかった。治ろうが治るまいが、一太刀浴びせられるごとに怒りを通り越して憎悪が募る。

 一度杏寿郎と戦い、炎の呼吸を見ているだけに、猗窩座は晋之丞の剣技により惑わされていた。臆病であるが故に、生きたいと望む心が生み出した揺らぎ。ただ癖づいて直せなくなっただけの、極めるに至れない障害だったはずのそれは、今や晋之丞だけの刃となっている。
 何人も手に掴むことは叶わない炎が揺らめき、人を逸脱した鬼の身を焼き、いずれは頸にまで至らんとする。

 ──認められない、そんなものは。猗窩座はいっそう鋭く拳を放つ。攻撃を掠めて晋之丞が血を流すごとに、死の気配を感じるようで胸が空く思いだ。

(コイツが柱の位を得ているのは何かの間違いだ。強くない。炭治郎のように時を経るのならともかく、コイツはこれからも強者になり得ない、研鑽するだけの時間など既にない!)

 弱者は弱者、この短い時間で変われるものか。そんな簡単に人が強くなれて堪るものか。

 ──ヒノカミ神楽 円舞

 炭治郎が真正面から振り下ろした刀を、猗窩座は両の手のひらで挟んで受け止めた。折られる、と戦慄した炭治郎が頭突きをしても、顎を蹴り上げても猗窩座は手を離さない。
 刀を折られるのは命取りだ。唯一の武器が無くなるのは不味いと、晋之丞は猗窩座の背後から両足を斬る。それと同時に、猗窩座の両腕を斬った者がいた。

「義勇さん!!」
「冨岡……!?」

 背中に大きな傷を負った冨岡が合流する。

「俺は頭にきてる。猛烈に背中が痛いからだ、よくも遠くまで飛ばしてくれたな、上弦の参」

 いたのか、と晋之丞は冨岡の存在に驚く。恐らくは自身が下の階層に向かって落とされた時にも、炭治郎の近くにいたのだろう。炭治郎とは違い、声を発していなかったので気づかなかった。

 炎の呼吸とは違う、水の呼吸特有の風が逆巻くような音。猗窩座へ向かって駆けだした冨岡の左頬に、渦巻く水の流れを描いたような痣が浮かぶ。

「竈門! 冨岡! そいつの頸を俺に斬らせてくれ!! どうしても俺がやらなきゃならない!!」

 晋之丞の叫び、懇願を、二人は聞き届けた。
 殺さないようにと手加減ができるほど、猗窩座は弱くない。だから炭治郎も冨岡も全力で、猗窩座の頸を斬りにいく。そうしてほんの僅かでも隙が生まれた時には、お前が頸を斬るのだと、晋之丞への意志を込めて刃を振るった。

 痣者三人を相手にしながら、尚も猗窩座は圧倒する。戦いが長引けば長引く程に、人間だけが体力を消耗していく。

(斬れ! 頸を! それ以外のことは考えるな!)

 捌ノ型、壱ノ型、跳んで、肆ノ型。連続で型を繰り出しながら、冨岡と炭治郎と共に入れ替わり立ち替わり、攻撃を繰り返す。
 猗窩座が晋之丞に対して決定打を与えられないと憤っていたように、晋之丞もあと少しが斬り込めないともどかしさを感じていた。傷だけが着実に増えていく、人間の体は瞬く間に治癒したりしない。

(せっかく体が動くのに。今この瞬間を逃したら、俺は動けなくなる)

 猗窩座が狙って攻撃をしていたのか、本能でそうすべきだと理解していたのかは分からないが、晋之丞は既に、刀を振るう為に一番大事な腕、右腕がほとんど上がらなくなっていた。最初に猗窩座の攻撃で痺れた時から、変に庇いすぎたのかもしれない。

「っ……!?」

 その時、踏み出した晋之丞の足から力が抜ける。ガクンと座り込んだ晋之丞を視界に捉えた冨岡は、当然だと考える。

(燎は俺と炭治郎が来る前から猗窩座と戦っていた。痣が出ているとはいえ、ここまで戦い続けられたことが奇跡に近い)

 晋之丞の体に蓄積していた疲労は、気絶した段階で限界を迎えていた。それでも戦い続けられたのは痣の恩恵に他ならない。

 鉛を飲んだように体が重く、肺がひどく痛む。呼吸をすると、全身に広がる血管が内側から傷つけられているようだった。他の音が聞こえなくなるほど心臓の鼓動がうるさい。酸素を取り込むことを肺が拒み、思わず咳き込むと胃の内容物まで溢れ出した。

「もう水の型は全て出し尽くしたようだな」

 猗窩座が冨岡に迫る。

「もう充分だ、義勇。終わりにしよう。よくここまで持ちこたえた!!」

 冨岡が振り下ろす刀を、猗窩座は真横から拳を以て叩き割る。然らば、と突き出された右腕が、冨岡の腹部を穿つ。
 ──そう、少し離れた位置から見ていた晋之丞も、拳を放った猗窩座本人も思った。

 冨岡に攻撃が当たる直前、炭治郎が猗窩座の腕を斬り落として止めていた。炭治郎の発する呼吸音は普段と異なっており、それの影響か髪と目の色も変化している。

 炭治郎の変化を一番重く受け止めた猗窩座は、今すぐ殺さなければならないと技を放つ。

 ──術式展開 終式・青銀乱残光

 この場にいる自身を除いた全員の命を奪うために放たれた技。まばたきよりも早いそれを、晋之丞は軋む体で受け止める。動かなければ死ぬ、強迫観念にも近いそれがどうにか回避行動を取ったが、到底避けきれるものではなかった。傷ついた体に畳みかける攻撃、ついには地面に突っ伏する。

(動け……動け動け動け!!)

 幸いだったのは、痛みが意識を飛ばすことを許してくれなかったことか。
 猗窩座が冨岡に語りかけている。内容は聞こえない。だが放置しておいても死ぬものと己のことを捉え、起き上がる時間を与えてくれるのならば僥倖だ。

 晋之丞が顔を上げると、炭治郎が猗窩座の背後に立っていた。理由は分からないが、猗窩座は炭治郎に気づいていない。

 ──今だ、と晋之丞は確信する。

 刀を左手主体に持ち替える。立ち上がった晋之丞に、猗窩座は生理的嫌悪感を覚えたような目を向けた。

「何故死んでいない……」
「いくぞ、猗窩座!!」
「!?」

 術式を展開しているにも関わらず、炭治郎の闘気を感知できないことに猗窩座は動揺した。感知できないのではなく、闘気がないのだと気づいた瞬間、炭治郎の刀が猗窩座の体を貫通し、その場に固定する。

 迫る闘気、晋之丞に振り返ると、既に刃が猗窩座の頸に触れていた。

 ──炎の呼吸 玖ノ型・鏡反かがみがえり 星火燎原

 赤く染まる、炎を纏ったかの如き刃が猗窩座の目の前を横切っていく。

(……? 斬られていない?)

 猗窩座が知覚したのはほんの小さな傷。しかし、その傷は瞬く間に燃え広がり、猗窩座の頭部と体を切り離した。

星火は今、天へと至らん

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