第拾捌話


 斬られた。よりにもよって、忌み嫌った弱者の手によって。
 猗窩座の頸から行き場を失った血が溢れ出す。

 晋之丞の手の内は全て把握したと思っていた。炎の型は壱から玖までで、その全てを己は既に見たものだと思っていた。何故今まで隠していたのか、それともこの瞬間に生み出したのか。
 否だ、猗窩座は己の考えを否定する。晋之丞が猗窩座の頸を斬った際に放ったのは、既知の技だ。杏寿郎が最期に使用し、晋之丞が出会い頭に繰り出した玖ノ型。それをただ反転させて放っただけに過ぎない。

 刀の持ち方を変え、鏡合わせのように反転させて放った奥義は成立し得るのか。──新たな奥義として確立しているからこそ、頸を斬られたのだと、頭の片隅で理性が囁いた。

 信じられない。認めたくない。

 己が漠然と感じ、数百年かけても至れていない領域に、炭治郎がこの短時間の戦闘で至ったことが信じられない。
 紛れもない強者であった杏寿郎に比べて情けのない太刀筋が、野に放たれた火種が大火になるが如く、生きる為に極められ、昇華されたことを認めたくない。

 猗窩座は斬られた頸をくっつける為、両手で頭を支えて傷口を押し付ける。一度頸が斬られたからなんだというのか、治ってしまえば己は負けていないと歯を食いしばる。
 冨岡が折れた刀を投げつける。刀は猗窩座の頭を貫通し、その衝撃で傷口が塞がる前に頭は落ちた。

 地面に落ちた頭部が崩れる様に、晋之丞は安堵する。

(斬った、猗窩座の頸を……)

 瞼が重く落ちていく。意識が遠退いた瞬間のことだ。
 ──まだだ! 戦いは終わっていない!!

 どこかで誰かが叫んだ。ひどく焦った声に晋之丞の意識は覚醒し、猗窩座を見る。既に頭部を失ったはずの体は、しかし崩壊が始まっていなかった。

 猗窩座の体が地を踏みつける。肉が盛り上がり、頸の断面を塞ぎ始めた。猗窩座は一番近くにいた炭治郎を狙い、壁にめり込むほどの蹴りを食らわせる。

「竈門……!」

 意識を失った炭治郎への追撃を狙う猗窩座に、晋之丞と冨岡は同時に動き出した。

 ──炎の呼吸・壱ノ型 不知火
 ──水の呼吸・肆ノ型 打ち潮

 猗窩座は二人の攻撃をほとんど防御することはなかった。しかしそうする必要がないのだというのは、その再生力を見れば明らかだ。急所である頸を斬り、既に頭部を失っているはずの猗窩座の再生速度は凄まじく、加えて技の威力も一向に落ちていない。

 冨岡と晋之丞の視界は暗闇に飲まれ始め、前後の認識さえも曖昧になっていく。攻撃を受け、膝をついた晋之丞はすぐに立ち上がることが出来なかった。

「……使え……!」

 晋之丞は最後の力を振り絞り、冨岡に自身の刀を投げ渡した。意志ではどうすることもできない体の限界を迎えている自分はもう動けないが、冨岡がまだ動けるのなら折れた刀よりも折れていない刀を持った方がいい。そう考えた。
 囁きよりも小さな声に乗った意志を、冨岡は赫い日輪刀と共に受け取る。

「俺は……まだ……、生きてるぞ……!!」

 頸のない猗窩座の体が、冨岡の闘気に反応して振り返る。

「炭治郎と燎を殺したければ、まず俺を倒せ……!!」

 晋之丞の視界はほとんど暗闇に飲まれている。瞼は閉じていないはずなのに、誰の姿も見えない。気絶しているのかいないのか、それを証明できるのは自分が思考している事実だけ。本当は現実の続きを夢に見ているだけで、ただの妄想であったとしても、猗窩座が死ぬその時までは気絶してなるものかと、意地で顔を上げていた。

 目障りだ、ぼんやりと思考した猗窩座は動き出す。傷口を塞いでいた肉が、今度は頭部を象り始めていた。
 再生した目が、自身を見据える晋之丞を捉える。

 自分の命を優先する、醜い、保身に走る、逃げる。戦い始めた頃から今殺してやろう、すぐ殺してやろうと、そうしていたはずなのに死んでいない。しぶとい。生き汚い。殺してやる。今度こそ。何度だって。

 ──破壊殺・滅式

 猗窩座が拳を振りかぶった時、目を覚ました炭治郎がその顔面を殴りつける。頸を斬ろうとして握ったはずの刀が、手からすっぽ抜けてしまったからだった。

 殴った程度の攻撃で猗窩座は止められない。だが、炭治郎の拳をきっかけに、猗窩座の脳裏にひとりの男と、己が嫌う“弱者”の姿が過る。

 正々堂々やりあわず、井戸に毒を入れる。
 辛抱が足りない。すぐ自暴自棄になる。“守る拳”で人を殺した。

 何百年もの間、無意味に人の命を奪い続けた。そうして手に入れられる強さなどありはしないのに、己が求めていたものでもないのに、守りたい人も守るべき人もどこにもいないのに。

(そうだ。俺が殺したかったのは──)

 猗窩座は己に問いかける。
 燎晋之丞という男は、本当に弱かったのか?

 杏寿郎と初めて戦った時、炎の呼吸というのは高い威力を誇る技だと認識した。真っ向から己を斬る為に刀を振るう姿と弛まぬ努力を積み上げた剣技に敬意を抱いた。
 晋之丞と初めて戦った時、己の認識とは違う太刀筋に違和感を覚えた。ただ未熟なだけではないと気づけたのは、羅針があったからだ。逃げ惑い続けた故の癖だと軽蔑した。

 杏寿郎の炎の型が正しくて、晋之丞の炎の型は間違っている。──本当にそうか?

 晋之丞が己の頸を斬ってみせた技は美しかった。結局自分はひとつの考えに囚われ、視野狭窄に陥っていただけだ。杏寿郎の持っていた炎と、晋之丞の持っていた炎は違う。各々が違う強さを極めていたことに、この瞬間まで気づくことが出来なかった。

 炭治郎は咄嗟に、一番近くにいた冨岡を庇う。猗窩座の滅式を受ければ無事では済まないと知っていた。

「晋之丞さん!!」

 晋之丞は膝をついたまま動けないでいる。猗窩座の攻撃範囲内だ、炭治郎は助けなければと思うも、間に合わない。

 次の瞬間、猗窩座は自身に向かって滅式を繰り出した。炭治郎が起き上がって晋之丞がいた方向を見ると、晋之丞は猗窩座から離れた場所に追いやられている。

(よかった、無事だ! 避けたんだ……)

 晋之丞は横たわったまま、頭だけ動かして猗窩座を見る。自分で自分を攻撃した猗窩座の体はボロボロだが、それでもまだ己の足で立ち、どこかへ向かおうと歩き出す。炭治郎でも冨岡でも、晋之丞でもない。誰もいない方向へ。

(アイツ……)

 理解できないことが起きた。
 猗窩座が技を放とうとし、炭治郎が冨岡を庇う。晋之丞自身は指の一本すらも体を動かせず、死を待つ身だった。せっかく頸を斬ったのに、ここで死ぬのかと恐怖が体を支配した瞬間、猗窩座の攻撃圏内から晋之丞を弾き出したのは、他でもない猗窩座自身だった。

 凶器ではない蹴りで晋之丞を追いやった猗窩座は、微笑んでいた。その笑みは炭治郎に向けられていたと思う。

(俺を、庇った? アイツが、あれほど俺を殺したがっていた奴が?)

 猗窩座の中でどのような心境の変化があったのかは、誰も知ることができない。だが猗窩座は笑って己の死を受け入れた。

(どうして……)

 お前も杏寿郎も、笑って死ぬんだ。晋之丞は猗窩座に向かって叫び出したかった。可能なことならば、形容し難いこの感情を刀に乗せて、体を切り刻んでやりたかった。分からない。分からない!

 自滅を選べるのなら。
 その潔さがあったのなら。

(どうして…………)

幾重もの結び

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