第弐拾話


 重い、重い、瞼を持ち上げる。全身を圧し潰されているかのような感覚に顔を顰め、小さく咳き込んだ。口の中に広がる鉄臭さを認識した時にようやく、逝きかけた黄泉からの帰還を果たしたのだと自覚した。なるべく負担をかけないようにと仰向けに安置されているにも関わらず、晋之丞の体を覆う皮膚が、その下に沈む筋肉が、それを支える骨が。等しく悲鳴を上げていた。

「燎……!」

 霞む視界の中どうにか焦点を合わせると、自身も重傷を負いながら、それでも懸命に晋之丞の手当てをする冨岡の姿があった。安堵の息を吐く冨岡に、晋之丞は柱合会議や柱稽古で感じた印象とは随分違うと、呑気に考える。

 上弦ほどの濃密な鬼の気配は近くになく、猗窩座はあの後消滅したのだと晋之丞は確信する。猗窩座が死ぬよりも先に失神していた為、その事実に胸を撫で下ろした。

「もう目覚めないかと思った」
「……鬼と、死ぬのは……本望じゃない。杏寿郎にも……止められた」
「……そうか」

 晋之丞は足の指先から順に、自身の体が言うことを聞くかどうかを確かめていく。ほんの少し動かしただけでも、全身が痺れるような痛みが走った。思わず呻き声を上げると、冨岡は「無理をするな」と制止をかける。

「最も重傷なのはお前だ」
「冨岡も……大概だろ」

 段階を経ながら、晋之丞は呼吸を徐々に長く深いものへと変えていく。肺の中に無数の針が生えた感覚、それを耐えながら繰り返していくと、晋之丞の頬にじわりと痣が浮かび上がる。

「フゥー……俺はいい、冨岡……自分の、処置をしろ。死ぬぞ」
「あ、あぁ……」

 柱の中で最初に痣が浮かんだ甘露寺と時透、彼らは上弦の肆・伍との戦いで怪我を負いながらも、尋常ではない速度で回復を果たした。そして先程猗窩座と戦っていた自分も、一時は気を失うほど追い詰められながら、痣が浮かんでからは更に戦うことができた。
 体感して分かる痣による回復速度。戦闘で受ける負傷と疲労を上回ることはできないが、戦闘外でも痣を出し続けていれば、多少は怪我の治りも早いだろうと考えた。これからの戦いに向けて、一歩でも多く動けるようになっておかなければならない。その一歩が命運を分けることもあるだろう。

 上半身を起こした晋之丞は、傷を縫合し、呼吸での止血を試みる。晋之丞が起き上がれることを確認した冨岡も、それに倣うように自身の処置を始めた。

「頭からの出血が多いな」
「あ? ああ……問題ない。竈門の傷も塞いでやらないと……」
「お前は動くな」

 互いに処置をし合いながら、止血では間に合わないと判断した冨岡が、傷を焼く為に戦闘で砕けた建物の破片を利用し火を起こす。やがて火種が大きくなると、折れた刀を炎に入れて熱し始めた。

「助かった」
「? 何の話だ」
「その刀……折れた刀で戦い続けるのにも限度があった。使うことはなかったが」

 冨岡は、戦闘中に晋之丞が寄越した日輪刀を、鞘に納めて晋之丞の傍に置いていた。そういえばそんなこともしていたと、今更ながらに思い出した晋之丞は、自身の刀を見ながら生返事をする。

「……まあ、使わなかったのは……何よりだ」

 猗窩座は最期の瞬間、何を考えていたのだろう。彼の過去も、考えも、まともに知ろうとも思っていなかった晋之丞が推測できることは何も無い。強さに執着していることぐらいは分かったが、それが何に起因するものなのかなど知る由もなかった。考えても仕方のないことだと分かってはいても、どうしても最期の笑みが瞼の裏にこびりついている。

 晋之丞が黄泉の国へ逝くことを良しとしなかった杏寿郎は、死を怖くはなかったと言っていた。本当にそうなのだろうか、強がっていただけではないだろうか。──もう死んでしまったから、生きたいと願いを口にすることは無駄だと諦めていただけではないだろうか。
 怖くはなかったのなら、虚しくあったりはしなかったか。きっと晋之丞の考えることは、そう思っていて欲しいという願望に過ぎない。いくら後ろ向きな感情を思い浮かべたところで、杏寿郎の顔には微塵も遺っていなかった。晋之丞としては、頸を斬られても尚戦い続けようとしていた猗窩座の方が余程共感できる。死を拒むだけの執着を、誰しもが持てる訳ではないけれど。

 眉間に深い皺を刻み、晋之丞が険しい表情で黙りこくっていると、目を覚ましたらしい炭治郎が起き上がり、「わぁっ!!」と驚きに声を上げる。視線の先には刀を熱している冨岡が。

「どうしたんですか!? 刃毀れですか?」
「止血しても血が止まらない。傷を焼く」
「えっ……」
「お前の左上腕の傷も止血しているが、まだ出血が止まらなければ焼くから脱いでこっちに来い」

 自身の左腕を押さえながら返事をする炭治郎は、冨岡の行動に若干引いているようだった。

「骨に異常はないか?」
「えーと、えーと……はい!! 打撲だけです」
「敵襲に備えて注意を怠るな」
「はいっ!!」
「そう気負うな、座れ」
「は、はい」

 冨岡の言葉を受けて、刀を構えた炭治郎は、晋之丞がじろりと横目で見ながら言うと、その場に正座し、息を吐いて気持ちを落ち着ける。

「確約はできないが、恐らく上弦の近くに雑魚鬼は設置されていない。本能的に避けているのか、本人らが厭ったのかは知らないが。猗窩座がいなくなった今、血の匂いを嗅ぎつけて寄ってくる可能性もあるが……それなら俺たちはとっくに喰われているだろう」
「そ、そうですね!」
「今は休息に努めろ。この時間もそう長くは取れない」

 晋之丞に言われ、炭治郎はその重傷具合を思い出す。猗窩座との戦闘において、当然のことながら一番最初に動けなくなったのは晋之丞だった。今は額や腕に包帯を巻き、ほとんど口以外を動かすことなく座っている。

「そうだ! 晋之丞さん、怪我は大丈夫ですか!? 最後の攻撃も、避けられたみたいで本当によかった……」
「…………。ああ、多少骨に罅が入ってる部分もあるが、痣を出し続けていればその内治るだろ」
「いつから痣が出ていたんですか?」
「猗窩座に落とされた後に」

 何でもないことのように言う晋之丞に、炭治郎は(やっぱり凄いこの人……)と左頬を見ながら思う。痣が出て、それを出し続けられるようになるまで炭治郎は柱稽古のほぼ全てを費やしていた。剣士として鍛え続けた時間がまるで違うとは言えど、今も痣を出し続けている晋之丞に尊敬の念を抱く。

「わかっていると思うが、この戦いは序盤だ。最終目標は無惨。しかし次また、上弦の壱や弐と戦うことになるかもしれない」
「……はい!!! 気を引き締めていきます!」

 冨岡の言葉に炭治郎が頷いたその時、飛んできた鎹鴉が上弦の弐の撃破を報告する。別の場所で、同時進行していた上弦の鬼との戦闘で、確実に勝ち星を挙げているのは喜ぶべきことだった。

「冨岡、竈門……礼を言う。お前達がいなければ猗窩座の頸を斬れなかった」

 そう言って晋之丞は二人に向かって頭を下げる。

「晋之丞さんが最後まで諦めなかったから、勝てたんですよ」

 炭治郎の言葉に目を瞬かせた晋之丞は、眉を下げて穏やかな表情を浮かべながら息を吐いた。

 ふと、晋之丞は炭治郎が目覚めるまで腹の上に乗っていた鴉を思い出す。

「お前の鴉、手紙を付けてないか?」
「え? あっ本当だ! 誰からだろう……」

 忘れてんじゃねぇ、早く受け取れと言わんばかりに炭治郎の手をつつく鎹鴉。その足に括られていた手紙を開くと、差出人は千寿郎だと分かる。煉獄家に保管されていた炎柱の書、その修繕を経て読み解くことのできた“日の呼吸の使い手”についてが書かれていた。

生者の行進は続く

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