第弐拾弐話


 無惨の口から「殺した」と聞かされたばかりの甘露寺が、生きて姿を現す。晋之丞が呆気に取られていると、追い詰められていた炭治郎を救出したらしい伊黒が、弾き飛ばされた晋之丞の日輪刀を手に傍へ降り立った。

「なんだ、その死人でも見たような顔は。まさか俺と甘露寺が殺されたとでも思ったのか。見縊られたものだ」

 その憎まれ口は変わらない。甘露寺は生きている。伊黒も、鏑丸も。
 迷子が捜し人を見つけたような安堵を顔に浮かべる晋之丞に、伊黒は眉根を寄せて日輪刀を押し付ける。

「さっさと戦え」
「……悪い。助かった」

 表情を引き締め、ひと呼吸して冷静さを取り戻した晋之丞は、何故無惨が甘露寺と伊黒の二人を殺したなどと勘違いをしていたのか、と考える。
 死んだと認識していたはずの人間が生きている、その事実に苛立った無惨が「鳴女」という名の鬼を呼んだ瞬間、城全体が大きく揺れ始めた。

 無惨が現れた時と同じく──それ以上に短い間隔で、琵琶の音が響く。音が鳴る度に部屋の様相が変わり、移動圧で体が軋んだ。

(これは……地上へ向かっているのか? 誰のおかげかは知らないが……!)

 何度も足場が入れ替わる中で体勢を整え、晋之丞は冨岡と伊黒と共に無惨へ斬りかかる。

 ──水の呼吸・肆ノ型 打ち潮
 ──蛇の呼吸・壱ノ型 委蛇斬り
 ──炎の呼吸・肆ノ型 盛炎のうねり

 攻撃することで無惨の意識が城から逸れると、ほんの僅かでも無茶なたわみが治まるようだった。城ごと無惨を外へ叩き出そうとしている誰かと無惨の力が拮抗し、鬩ぎ合っている。
 何度目かの琵琶の音と共に、足場が消え失せ、その場にいた全員が下の階層に落下する。そこには無数の鬼殺隊士の遺体が転がっており、どこもかしこも血に塗れていた。

(鮫島、外山、三船……。駄目だ、見るな! 今は無惨に集中しろ!!)

 仲間の死体を避けながら無惨の攻撃を躱していると、城が激しく軋む。崩壊を予期した時、鈍い音と共にやって来た一際強い揺れの後、建物が急上昇を始めた。城がどの程度地下に存在するのかは分からないが、早く外に出てしまえと晋之丞は強く願った。

 際限なく空間が広がっているようにも思えたそこにも天井は存在し、晋之丞は城が地面を割る衝撃をその身に感じながら外へ飛び出した。

 朦朧とする意識を律し、自身の上に乗った瓦礫を蹴飛ばして体を起こす。無限城へ落とされる前にも見た空はまだ暗く、月と星は煌々と空を照らしている。

(外に出た、全員……十分過ぎる成果だが、市街地はまずい……!)

 鎹鴉が夜明けまでの時間を告げる。残り一時間半、太陽が昇るその時まで戦い続けなければならないのだと思うと、途方もなく長い。

 無惨はどこに、そう思う間もなく、瓦礫を吹き飛ばしながら無惨は姿を現す。鋭い犬歯を剥き出しに、背には新たに鋭い爪の付いた管を生やしていた。

「ほう。夜明けまで私をこの場に留めるつもりか。やれるものなら、やってみろ!!」

 地獄の窯が煮える音は、今しがた無惨が発した声と同じなのではないか。そう思えるほどの憤怒と共に、無惨は市街地への被害など微塵も考えることなく攻撃する。地を割り、建物を裂く斬撃を避けながら、その場にいた柱全員が無惨の懐へ飛び込んだ。

 ──炎の呼吸・漆ノ型
 ──蛇の呼吸・参ノ型
 ──恋の呼吸・弐ノ型
 ──水の呼吸・捌ノ型

 攻撃を躱しながら振るった刃が無惨を切り裂く。頸を斬っても死なないことは分かっていたが、切断は有効な攻撃手段であるはずだった。
 しかし柱四人の攻撃を受けても尚、無惨は無傷でその場に立っている。

「えっ!? えっ!? あれっ? 斬ったのに斬れてない!?」

 甘露寺が驚き、戸惑うのも当然だった。他の鬼も無惨の血が濃い鬼程高い再生力を有していたが、それでも、斬られた瞬間から再生するなどということはなかった。通常、鬼の弱点として存在している頸にも、伊黒が刃を入れたがそれすらも無惨はなかったことにしている。
 攻撃を受け流した無惨が腕を振り上げる。懐に入り込んでいた四人に、間合いから出るまでの時間は残されていなかった。

 ──刹那の間に、無惨の両腕によって切り裂かれたのは、柱である四人ではなかった。

 下肢に染み込む温かな液体に、晋之丞は一瞬呼吸を忘れる。無惨の間合いから抜け出していた──否、逃がされていた。

「行けーー!! 進めーー!! 前に出ろ!!」

 誰かが叫ぶ。鬼殺隊士の多くがそれに続く。

「柱を守る肉の壁になれ!! 少しでも無惨と渡り合える剣士を守れ!!」

 それは死出の門出に相違なかった。

「今までどれだけ柱に救われた!! 柱がいなけりゃとっくの昔に死んでたんだ!! 臆するな、戦えーーっ!!」

 やめろ、そう咄嗟に叫ぶことが出来なかった。己を犠牲にしながら晋之丞を抱えて無惨から遠ざかった隊士の熱を感じ、喉が張り付いて声が出ない。死ぬことが分かっていながら、突貫していく隊士らが無惨に切り刻まれていく。

(やめろ……やめろ……!!)

 晋之丞を逃がした隊士の体が、溢れる血液で滑り落ちる。左の脇腹から右腰にかけてを切られた隊士は、離れた位置に下半身を置き去りにしてしまっている。息を呑むと、喉が引き攣った音を鳴らした。

「やめてくれ!!!」

 それは紛れもなく悲鳴だった。
 自分は痣が出てしまっているから。この夜を越えても、もう五年も生きられない命だから。お前たちがこの先、生きて築くはずの未来に俺はいないから。その命は決して血で彩っていいものじゃない。無惨如きにあるはずだった時間を使うな、使わないでくれ! ──悲鳴に込められた嘆きを、誰もが受け止めはしても受け入れはしなかった。

 晋之丞は生きるしかない。これ以上の犠牲が出る前に無惨を抑え、倒し、朝を迎えるしかない。残された時間を誰に恥じることのない輝かしいものとすることこそが、散った隊士への手向けだ。

「即死できた者は幸運だ。即死ができなくとも、私に傷をつけられた者は終わる」

 あれを見るがいい、と無惨が視線を向けた先。そこには大量の血を吐きながら倒れる炭治郎の姿があった。右目は赤黒い肉に覆われ、苦悶の表情で喉元を押さえている。

「私は攻撃に私自身の血を混ぜる。鬼にはしない、大量の血だ。猛毒と同じ、細胞を破壊して死に至らしめる。──竈門炭治郎は死んだ」

 悲嘆に暮れている場合ではない、晋之丞は無惨へ立ち向かう。

 炭治郎が使用する“ヒノカミ神楽”なるもの。炎の呼吸と若干似ているようで全く違うそれが、鬼を斬るにあたって凄まじい威力を誇っているのだと、晋之丞は猗窩座と戦っていた時に知った。故に、階級が柱ではなかったのだとしても、炭治郎を大きな戦力だと認識していた。その抜けた穴は大きい。
 だがそれ以上に。晋之丞が猗窩座の頸を斬ることができたのは炭治郎のおかげだ。あの時猗窩座の動きを止めてくれたから、杏寿郎の仇を討つことができた。感謝してもし足りない、返しきれない恩がある。僅かでも助かる道があるのなら生きて欲しい。

 たとえ炭治郎がこれ以上戦えなくとも、無惨は必ず倒す。

此岸からの橋渡し

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