第肆話
「俺は訪問を許した覚えはない。兄上が相手をしてやれよ、入り損なった鬼殺隊の話をよくよく聞かせてもらえ」
「晋之丞! お前は、どうしてそう……」
明之丞の声を振り払うように、客間の前を早足で通り過ぎようとする気配を察し、炭治郎は思い切って部屋を出る。襖を開けると、ちょうど目の前に明之丞と同じ朝焼け色の髪をした人物が立っていた。黒い隊服に身を包み、突然顔を出した炭治郎をじろりと横目で睨めつける。顔つきは明之丞とよく似ているが、その表情は正反対だ。千寿郎が気難しい、と言っていた理由が分かる気がする。
「燎晋之丞さんですか?」
「何の用だ。千寿郎まで使って、他人様の家へずかずかと」
「俺は階級・癸、竈門炭治郎と言います! 煉獄杏寿郎さんから、貴方に──」
「杏寿郎……だと?」
炭治郎の言葉を遮り、眉間に刻まれる皺を深いものしながら、晋之丞は炭治郎に向き直る。
「無限列車での任務は聞いている。癸の隊士三名と乗客二百人を、十二鬼月から守ったと。……その隊士の一人がお前か」
「……はい。それで」
「──あの生き損いはつくづく先見の明というものに欠けているな」
そう、晋之丞は吐き捨てた。炭治郎が思わず閉口すると、晋之丞はさらに言葉を続ける。
「兄上が言っていたが、杏寿郎から俺への遺言があるらしいな? ……下らん、聞く価値もない。ようやく腐れ縁が切れたんだ、余計なものを部外者が持ち込むな」
先ほど感じた何かが焦げ付くような匂いが、晋之丞から発せられているのだと炭治郎は気づく。その痛々しい匂いはどんな感情を内包しているのだろう。口から発せられるのは自分自身の心を誤魔化す為の言葉か、本当に本心からの言葉か。
晋之丞と今日初めて会ったばかりの炭治郎には測り兼ねる。だが、どちらにせよ、「聞く価値もない」と一蹴したそれを許せる訳がなかった。
「煉獄さんは貴方を朋友だと言っていたんですよ。それなのに、どうしてそんな言い方ができるんですか?」
「ハッ、朋友? 笑わせるな、虫唾が走る。所詮煉獄と燎という姓に縛られていただけだ。そうじゃなけりゃ、アイツと関わる訳ないだろうが。アイツが俺を朋友だと言ったのなら、それはアイツが勝手に思っていただけだ。俺はアイツが嫌いだからな」
嘘じゃない、嘘を言っている時の匂いがしない。炭治郎は愕然とする。
晋之丞はフン、と鼻を鳴らすと、客間にいる千寿郎に視線を移す。
「千寿郎、アイツが死んだ今、お前と俺の接点は無くなった。煉獄と燎の忌まわしい継承が途切れたからな。俺はアイツの継子にはならなかった、お前も俺の継子にはならない。もう手紙も何も、送らなくていい」
「……晋之丞、さん……」
「竈門炭治郎とか言ったか。二度と俺の前で口を開くな」
晋之丞はそのまま、また早足で玄関へと向かう。明之丞が腕を掴んで止めようとしたが、晋之丞の腕はするりと明之丞の手を抜けた。追いかける為に一歩踏み出した炭治郎の隣で「晋之丞!」と大声を出した明之丞が咳き込んで蹲る。炭治郎は足を止め、明之丞の丸まった背中を擦る。
ガラガラと玄関の引き戸が開く音が炭治郎の耳に届く。晋之丞が杏寿郎のことを何と言おうと、炭治郎は杏寿郎の言葉を届けなければいけない。
「煉獄さんは! “約束を守れなくてすまない”と! 貴方を心から友達だと思って、あの時俺に、この、言葉を」
晋之丞からの返事の代わりに、炭治郎の声を撥ね付けるように玄関の戸が閉まった。
か細い呼吸をしながら、明之丞が身体を起こす。
「大丈夫ですか?」
「ああ……炭治郎君、弟が、ごめんね……」
「いえ……」
客間で座り直し、長く息をついた明之丞は悲しげに言う。
「昔から、ああなんだ。人と関わるのが極端に……苦手というか。どうも……攻撃的でね。杏寿郎に対しても、よく悪態をついていたが……」
「そう、なんですか」
「千寿郎君も……気にしないでくれ、と言うのも、難しいかもしれないけど」
千寿郎は眉を下げ、力なく首を横に振った。二人に申し訳なさそうにする明之丞に、炭治郎は「不躾かもしれませんが……」と断りを入れ、問いかける。
「明之丞さんは、鬼殺隊ではないんですよね? さっき晋之丞さんが“入り損ねた”って言っているのが聞こえて……」
「ああ……そうだね。間違いでは、ないんだろう……。僕は昔から肺が弱くてね、呼吸を……身に付けられなかったんだ」
燎家は代々鬼殺を生業としているんだが、と明之丞は説明する。
燎家に生まれた明之丞も、当然鬼殺の道を歩むはずだった。順当に剣技や呼吸を身に付けていれば、槇寿郎の継子となり、杏寿郎を指導することになっていただろうとも。
「晋之丞は身体が人並みに、丈夫だったから……。鬼殺隊として……世の為、人の為に……強い剣士になるべく、厳しく育てられた。そして……今や炎柱だ」
弟が炎柱まで至ったことに、明之丞は誇らしげだった。だからこそ、ひと呼吸ついた後に表情を曇らせる。
「何が……不満なのだろう」
晋之丞に対する羨望と疑問。その二つが明之丞の持つ感情であると炭治郎は匂いで感じ取る。明之丞は鬼殺隊に入り、誰かの為に戦うことを名誉だと思い、自分もそうであれたらと心底思っているのだ。
その日、結局“ヒノカミ神楽”や“日の呼吸”についての情報は今一つ得られなかった。あまりにも丁寧に炎柱の書が保管されていたせいで、そっくりそのまま書き写されていた蚯蚓文字を、満足に解読できなかったのだ。
夕焼けが照らす帰路で、千寿郎が口を開く。
「昔……兄上と晋之丞さんが鬼殺隊に入って間もない頃の話なんですが」
杏寿郎と晋之丞と千寿郎は、朝から燎家で鍛錬を行っていた。二人の階級は未だ癸であったとはいえ、その打ち合いは千寿郎にとって圧巻だったことを覚えている。
夕暮れが近づく頃、杏寿郎の鎹鴉が任務を告げた。鬼殺へと向かう兄の背中を見送り、途中鬼に襲われてはいけないからと、千寿郎は自宅まで晋之丞に送ってもらった。
「丁度この道を歩いていた時です。赤くなった空を見ながら、晋之丞さんが……“お前の兄上は凄いな”って言ったんです」
千寿郎にとって、杏寿郎は自慢の兄だ。晋之丞の称賛が自分のことのように嬉しかった。
その時、晋之丞には「誰にも言うなよ」と口止めをされていた千寿郎だが、今はそれを忘れたことにする。
「悪い人ではない……いえ、晋之丞さんが悪い人であった時などないんです。今日のことも、何か理由があるんだと思います」
「そっか……。じゃあ、俺が次に晋之丞さんに会った時、きちんと理由を聞いてみるよ! 答えてくれるまで!」
「はい。……あ、でも頭突きはやめてください」
強硬手段の一つとして頭突きを考えていた炭治郎は、きゅっと口を噤んだ。