第陸話
晋之丞は十二鬼月との接敵経験がない。実際に目に数字を刻まれた鬼を見た事がなかった。
十二鬼月に名を連ねる鬼は、他の鬼と比べても非常に強力なのだと言う。それは血鬼術であったり、生命力であったり。長い時を生きているからこそ、生に対する執着も強い。
(上弦の陸……上弦……。ここ百年余り討伐記録はなかったはずだが……)
鴉からの報告によると、上弦の陸と対峙しているのは音柱・宇髄天元と三人の隊士。階級は共に庚。竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助──奇しくもあの日、無限列車にて煉獄杏寿郎と共に鬼の討伐に当たっていた三人だった。炭治郎の名前を聞いた時、晋之丞は炭治郎には鬼を引き寄せる何かがあるのではないかとすら思った。主に呪い方面の。
柱である宇髄はともかく、他の三人は既に死んでいてもおかしくはない。上弦の鬼には今まで何人もの柱が殺されている。宇髄一人で戦い、頸を斬るのは困難を極めるだろう──晋之丞は足に力を込め、遊郭の入口、大門の上へ跳び上がる。
風に乗り、激しい剣戟の音が聞こえてくる。吉原遊郭は夜の街だ。夜闇が辺りを包もうとも、建物にはいくつもの灯りがともり、交戦場所を探すのに目を凝らす必要はなかった。
屋根を足場として駆け、無惨に倒壊した家々を飛び越える。
戦況の把握をしなければ、と思ったその時、鬼のものと思しき頸が宙を舞う。その頸は一つではなく二つ。その時点でも多少混乱した晋之丞だが、血鬼術の気配を即座に感じ取り、近くにいた隊士を両腕に一人ずつ抱えて飛び退く。
晋之丞が離れた直後、頭部を失った鬼の体から放たれた血鬼術が辺りを滅茶苦茶に破壊する。動くのがほんの一瞬遅ければ、身体をバラバラにされていた。
「おい! お前ら意識はあるのか!? 上弦の頸は斬ったんだな!?」
地面に降り、咄嗟に抱えた隊士──善逸と伊之助を寝かせ、軽く頬を叩く。二人とも酷い怪我を負っていた。善逸は両足を骨折し、伊之助は胸部に刺し傷がある。どう贔屓目に見ても心臓があるはずの位置だ。加えて伊之助はその刺し傷の周りが爛れていた。
「いっ痛い痛い! 痛いよおお! 何これ何が起きたの? ていうか誰だよおおお!」
「救援に来た燎だ。……チッ、心臓は無事なのか? コイツは……」
「うえええどうしようどうしよう! 伊之助の心臓の音が弱くなってる! 俺も足痛いしこれどうなってんの? どうなってる?」
「お前の足は折れてる。この皮膚……毒か? 胡蝶を呼ぶにも……。オイ! 猪頭、聞こえるか! 意識があるなら呼吸で出来る限り毒の巡りを遅らせろ! 少なくとも俺の目の前では死ぬんじゃねぇ!」
生憎と、晋之丞には毒や薬物に関する知識がない。伊之助の処置をしようにも、止血するのがせいぜいだ。どうすれば、どうすることも……諦めかけた時、背後に鬼の気配を感じ、晋之丞は振り向き様に刀を抜く。
「あっ……晋之丞さん!」
「……?」
炭治郎が瓦礫を飛び越えながらやって来ていた。否、正確に言うならば瓦礫を飛び越えているのは炭治郎を背負う小さい女の子だ。捻った布を噛んでいる。気配は鬼だ。
晋之丞は耀哉から聞いた“人を喰わない鬼”の話を思い出す。二年以上人を喰っていない事実がある。人を喰わない代わりに、眠ることで体力を回復する。元水柱と現水柱を含めた三名の命が懸けられている──。
「善逸と伊之助を助けてくれたんですね!」
「……いや、そこの猪頭は……」
うえええっ、と声を上げて泣く善逸の隣で、伊之助は静かに横たわっている。上弦の陸・妓夫太郎と戦っていた炭治郎は、伊之助が毒を受けて衰弱しているのだとすぐに気がついた。毒を受けたという事実は同じ、だが自分は生きている。
「伊之助! しっかりしろ、伊之助……!」
どうして自分は平気なのか。どうして自分だけが。炭治郎がそう叫び出しそうになった時、禰豆子が伊之助の体に手をかざす。
いくら人を喰わないのだと耀哉が言ったとて、鬼が何をするか分からない。晋之丞が刀を向けようとした時、服の裾を善逸が泣きじゃくりながら引っ張った。邪魔をするなとでも言いたげな行動に、眉を顰める。
次の瞬間、伊之助の体が炎に包まれた。
「血鬼術……!?」
やはり斬らねば、と刀を握り直した時に気づく。炎に包まれた伊之助からは肉が焼け付く不快な匂いはせず、よくよく見れば爛れた皮膚が徐々に治っていた。晋之丞はついに混乱を極め、「はあ……?」と間抜けな声を零す。
「禰豆子の血鬼術は鬼だけを燃やすんです。だから多分……敵の毒も飛ばせたんじゃないかと……」
「……鬼が、鬼だけに効く血鬼術を……? 意味が分からん……」
毒が消え、意識を取り戻したらしい伊之助は「腹減った。なんか食わせろ!!」と言う始末。猪頭と言い、なんだお前は。足が痛い全身が痛いと泣き叫ぶ善逸も、改めて見ると珍妙な格好をしていた。着物は女物だし、短い髪は縛ってある。まるで女装でもしていたかのように。
「なんだコイツら……意味が分からん……」
晋之丞のぼやきは善逸の嗚咽にかき消された。
刀を鞘に納め、一度大きく溜息を吐いた晋之丞は炭治郎に問いかける。
「宇髄はどこだ。生きてるのか?」
「生きてます、生きてます! あっでも毒が……!」
「その鬼だけ宇髄の所へ先に行かせたらどうだ。お前ら三人は重傷なんだ、気休めにしかならないが応急処置くらいした方がいい」
「いえ、俺は大丈夫です! 呼吸での止血を、煉獄さんに教えてもらいましたから!」
言うが早いか、炭治郎は禰豆子に背負われて宇髄の元へ向かう。
全集中の呼吸を用いた止血は確かに有用だが、炭治郎が負った傷はどう見ても止血が間に合う程度のものではない。自分自身のことすら判断できていないのか、杏寿郎がどんな傷でも止血できるなどと嘯いたのか。──後者はない。晋之丞は浮かんだ考えを即座に否定した。
であれば残るは前者だが、これもどうなのだろうと思う。戦いの後で多少気分が高揚しているのかもしれないし、ただ単に、自分よりも他人を優先する質なのかもしれない。二度顔を合わせたばかりの晋之丞には、炭治郎のことは分からないが。
伊之助と善逸の処置を終えた晋之丞は、聞こえてくる声を頼りに宇髄の元へ向かう。晋之丞が着いた頃には既に、炭治郎はその場から離れているようだった。
「本当に生きてるとは……重傷だな、宇髄」
「天元様のこと勝手に殺さないでください!! ていうか来るのが遅くないですかあ!?」
「毒は抜けてるらしいな」
「無視されたあ!」
「ああ、竈門妹がな。その様子だと血鬼術の事は知ってんのか」
「さっき猪頭の奴に使ったところを見た」
なるほど、と頷いた宇髄はその疲労を表すかのように長い溜息を吐く。
「お前が四半刻でも早く来てりゃあな……」
「無茶を言うな。そもそも俺は別の隊士の応援に行った後だったんだ。……しかしまあ、上弦相手に全員生還か」
「いや、全員じゃあねぇ」
「?」
宇髄は視線を向けた先。瓦礫が積み上がるその場所は、元は人々が生活していた。今や見る影もないが、想像には難くない。
「この吉原の人間が何人も死んだ。俺達が生き残っただけだ」
「…………お前。それは──」
その時、羽音を立てながら晋之丞の肩に鎹鴉が留まる。宇髄たちに向かって少しの間頭を低くするその姿は、まるで礼でもしている様に見えた。
「報告! 報告! 蛇柱西門、隠北門。共ニ現着!」
「伊黒か。伊黒……じゃあ俺は隠の陣頭指揮でも執ることにする。あの三人も蝶屋敷に運ばなきゃならないしな」
「オイ、オイ待て。アイツのことだ、絶対ネチネチ言うに決まってる。見捨てんな」
「…………」
晋之丞は鎹鴉の案内に従い、北門へ向かう。背後で宇髄が何事か言っていた気はしなくもないが、文句を言う元気があるなら大丈夫だろう。