第漆話
長きに渡り、鬼の根城にされていた吉原遊郭に、安穏が訪れた。
酷く破壊された建物、命を失った人々、生きてはいるが大怪我をした人々。鬼殺隊と上弦の陸との戦闘により負った被害は決して小さいものではないが、目下に脅威となる存在はいない。
晋之丞が隠達による事後処理の指揮を執っていた時、楼主と思しき男が、脂汗を浮かべながら声をかけてきた。
「あの……あの……。仇、妻の仇は……討ってくれたんでしょうか……」
何の話か分からなかった。それもそのはずで、遊郭で情報収集をしていたのも、実際に鬼と戦っていたのも晋之丞ではないからだ。仇というのは上弦の陸のことなのか、そもそもこの男は鬼の存在を承知しているのか。
どう答えるべきか迷いはあったが、足取りも覚束ない上、よく見れば顔が真っ青な男に、晋之丞は真偽はどうあれ肯定してやった方がいいと判断する。
「……ああ。討ったのは、俺ではないが」
固く握りしめた着物に縋る様に、男はその場に蹲った。嗚咽混じりに「ありがとうございます」と繰り返す男。その姿に、何も知らない自分が、事の真偽も分からないのに答えてしまってよかったのだろうかと思う。感謝されるべきは宇髄を筆頭にした、上弦の陸を討伐した人間だろうに、と。
指示を仰ぎに来た隠に男を任せ、その場を離れる。
東の空が明るくなり始めていた。
晋之丞の主観だが、この吉原遊郭に住む人々は普通の人よりも胆力がある。これから皆で協力し、手を取り合って、復興していくことだろう。やがて鬼の存在は昔話になる。
──そうあればいいと理想を描いたのが、一ヶ月程前の事だ。
半年に一度行われる柱合会議。晋之丞はそこに炎柱として初めて参加する。
本来九人いるはずの柱は、遊郭での戦闘により左手と左目を失った宇髄が引退したことで八人となり、規定数を満たしていない。この一ヶ月の間に、新たな柱は選出されなかった。
(……早く着いてしまった)
会議に参加する為に訪れた産屋敷邸。やって来るのは初めてではなかったが、いつ見ても綺麗な場所だ、と庭を見て思う。手入れが行き届いた木々は青々と茂り、敷き詰められた玉砂利は陽の光を受けて白く輝いている。少し雲が多いが、空と合わせて清廉な雰囲気が漂っていた。
初めて参加する会議に遅刻しては心象が悪いだろう。そう考えて早くに出たのだが、晋之丞は一人でポツンと広い和室で正座している。柱が揃っていない上、定刻にもなっていないので耀哉は当然来ない。他の柱も来ないので、日付を間違えたのではという考えすら出てくる。
体感三十分。実際の時間は五分程度。晋之丞のいる部屋に気配が近づき、襖を開けて大男が現れる。
「ん? お前は……」
「初めまして。燎晋之丞です。岩柱の悲鳴嶼さんで相違ありませんか?」
「如何にも」
少し離れたところに腰を下ろした悲鳴嶼は、その双眸から静かに涙を流し、数珠を摺り合わせる。
「燎……そうか。煉獄の跡を継いだ、炎柱だな。どれほどの付き合いになるかは分からぬが、共に励むとしよう……」
杏寿郎から又聞きしていた悲鳴嶼行冥という男。筋骨隆々で、背が高く、涙脆い。晋之丞は鬼殺隊最強と謳われる悲鳴嶼と会うのは初めてだったが、その姿に感慨深ささえ覚える。至極端的に感想を述べるならば(そりゃ強ぇわ)であった。生まれ持った体躯が、並々ならぬ努力に裏打ちされる。日輪刀がなくても鬼の頸を取れそう、と不躾なことを考えた。
次にやって来たのは風柱の不死川だ。二度程、任務を共にしたことがある。一度目は不死川がまだ
「よォ、元気そうだなァ」
「ああ。お前はまた傷が増えたな」
鬼殺隊に所属する以上、負傷というものは避けられない。服に隠れて見えない位置かそうでないかの違い程度で、隊士は誰しも傷跡がある。それにしても不死川の傷跡は多かった。胸元を大胆に見せているので、余計にそう思うのか。
人喰い鬼が特によく好む、稀血という存在。喰えば普通の人間を五十人、或いは百人喰ったのと同等の力を得られる。不死川はそんな稀血の中でもさらに類稀な存在だった。酒気を帯びているかのように鬼を酔わせる稀血を、不死川は鬼殺に利用している。
使えるものは何でも使う。その精神自体は感心するが、その為に敢えて傷を負うのはどうなのか。不死川に会う度、晋之丞はいつもほんの少し眉を顰めていた。
「ん……あれ、多分知らない人だよね。何でいるの?」
不死川が来てからしばらく、また一人柱がやってくる。長い黒髪にゆったりとした隊服。霞柱か、と晋之丞は聞き及んでいた特徴と目の前の人物を照らし合わせる。
「燎晋之丞だ」
「? ……俺は時透無一郎……。ここにいるなら、柱なのかな。増えたんだっけ、減ったんだっけ……」
自分の名を名乗る時も、時透はまるで独り言を呟いているようだった。地に足がついていない。ぼんやりしている。まさか寝起きか? 晋之丞はそんな馬鹿げたことを考えた。
少しして、きゃらきゃらと楽し気な声が耳に届く。
「こんにちは! あっ、晋之丞さん! お久しぶりね、また会えて嬉しいわ!」
「甘露寺……と、胡蝶」
「こんにちは、燎さん。何です? 私はおまけでしょうか」
天真爛漫という四字熟語が似合う甘露寺蜜璃と、静かに微笑む胡蝶しのぶ。連れ立って部屋へ入る二人は、別々に行動していたはずが、何と産屋敷邸に着いたのが同時だったという。それが何だか嬉しくて、お話しながら来たのだと教えてくれたのは甘露寺だ。
何を隠そう、晋之丞はしのぶが苦手だ。しのぶ本人というより、彼女のような女性が。
今まで周りにいた人間は、良くも悪くも正直で、思ったことを真っ直ぐ伝えるタイプだった。その筆頭が杏寿郎であるし、弟の千寿郎も杏寿郎と比べれば大分控えめな性格はしているものの素直だ。類は友を呼ぶというが、杏寿郎の教え子であった甘露寺も非常に純粋な性格をしている。
だから、綺麗な笑顔の下で何を考えているのか分からない。腹に一物結構な物を抱えている。思っていることと口に出していることが違いそう。──そんな女性が苦手だった。多少の偏見と苦手意識を募らせ、晋之丞は胡蝶の前では多くない口数が更に減るようになった。
そんなことを知ってか知らずか、甘露寺はにこにこと晋之丞に話しかける。
「あのね、この間行ったお店は伊黒さんが教えてくれたんだけど……」
「ああ」
「……で、喧嘩は駄目よって叱ったら……」
「そうか」
「こんなこと、ちょっと不謹慎かな? って思ったけど、伊黒さんったら……」
「へえ」
伊黒の名前凄い出てくる。
自分が見聞きしたこと、体験したことを話す甘露寺は実に楽しそうだ。口を挟むつもりもないが、そんなことをする暇がない程、色んな話が飛び出してくる。甘露寺は途中途中「晋之丞さんにも行って欲しいわ」「晋之丞さんがいたらなあ」と言う。
何故こんなに懐かれているのか。晋之丞はさっぱり分からない。楽しそうに話しているしいいかと考え、言及もしない。
「ねえ、晋之丞さん。晋之丞さんは……」
襖がまあまあな勢いで開き、甘露寺は言葉を止める。そこに立っていたのはある意味話題の渦中にいたと言える伊黒だ。
「燎貴様……」
「なんだ」
伊黒は無言で晋之丞に人差し指を突き付けた。伊黒の首元に巻き付いていた蛇の鏑丸が、するすると腕を這って指先へ向かう。
「やめろ、その生き物を近づけるな!」
晋之丞は蛇が苦手だった。