嫣然嘲弄

 校舎内での攻防の末、虎杖は順平が凶行に走った訳を聞いた。
 その中で順平は、虎杖にしてみれば不可思議な事を問う。

「なんで虎杖君は映画に詳しいの? だっておかしいじゃないか。そんな人が、都合よく僕の前に現れるなんて……!」

 今更気にするようなことだろうか、虎杖はそう思った。だが順平が酷く不安げな顔をし、更に言えば互いに芽吹いたことを感じたはずの友情でさえも、空虚な偽りだと口にした。そんな寂しい考えがあるものか。誰も信じられなくなってしまいそうな順平を繋ぎ止めるため、虎杖は正直に話す。

「映画三昧だったのはさ、呪力のコントロールを覚える訓練の為に、先生に観せられてたんだよ。叫びたくなるくらい興奮する映画でも、眠たくなるくらいつまんねぇ映画でも、常に呪力を安定させられるように……って」
「え……じゃあ、本当に、偶然だったの?」
「おう。だからさ、そんな俺のこと疑ってかかんなくても大丈夫だって。下らん嘘はつかん」
「そっ……か、そう、なんだ……」

 順平は、ぽつりと呟く。

「先生の勘違いだったんだ、よかった」

 先生? 虎杖は反芻しながら首を傾げる。順平は一転して表情を明るくすると、興奮した様子で「すごく綺麗なヒトなんだ!」と言う。もう母の死など脳裏のどこにも無いような、それこそ空虚な勢いに虎杖は押される。

「オイ、順平、」
「良いヒトなんだ! 虎杖君にも会って欲しいよ、本当に、目を奪われるから。世界中のどこを探してもあんなに綺麗なヒトはいないって確信する。僕の全てを肯定して──」
「順平!!」

 明らかに様子がおかしい。虎杖が肩を揺さぶると、順平は呆けた顔をした。短い時間ではあったけれど、まるで夢でも見ていたかのような。

 その時、微かな靴音を鳴らして順平の背後から何者かが現れる。

「はじめましてだね、宿儺の器」

 青灰色の長髪、そしてつぎはぎの傷跡が目立つ顔。人間らしい見た目と話し方、だが気配に違和感を覚えた次の瞬間、虎杖は廊下の壁に叩きつけられた。そこでようやく気づく。キネマシネマで起きた事件の引率として共に行動していた一級術師・七海が言っていた“つぎはぎ顔の人型呪霊”であると。

 異常事態であることくらいは認識しているだろう。しかし順平は、虎杖が必死に懇願してもその場から逃げ出そうとはしなかった。それどころか、「真人さんは悪い人じゃ──」とまで口走る。
 静かに歩み寄る真人の右手が、順平の肩に置かれた。

「順平はさ、まぁ頭いいんだろうね。でも熟慮は時に、短慮以上の愚行を招くものさ。君ってその典型!!」

 弾むような明るい声色だ。真人が不機嫌そうにしているところを順平は見たことがないけれど、今はそれが背筋が凍り付くほど恐ろしく思える。頭の奥で鳴り響く警鐘を、順平は理想で否定し続ける。
 ──そんな、ありえるはずがない。あれだけの言葉をくれたのに。

「順平って君が馬鹿にしている人間の、その次位には馬鹿だから」

 ──そんな、そんな! だって先生は僕を!!

「だから、死ぬんだよ」

 そう囁かれた時。肉体が異形へと変貌する刹那。順平はようやく思い出したのだ。
 発言と本音の不一致。そんな歪みを抱える人間から生まれた呪いこそが、先生であると。人間を呪う為に生まれた存在が、綺麗な本音を語る訳がないというのに。

「さぁ、ROUND2だ」





 儚が外村を虎杖の下へ導いた時、既に順平は人としての造形を失っていた。そして廊下の端から端まで響き渡る呪いの呵々大笑。

「ンー、少し惜しかったようで。まぁいいや」

 ぽんぽん、と励ます様に外村の背を叩く儚。全身を揺らしながら荒い息を繰り返す外村は、獣の如き叫び声を上げて虎杖目掛けて突進する。

 突然現れた肥満体型の男を虎杖は知っていた。順平に初めて出会った際、彼の家の前にいた教師だ。正気を失い、手にしたナイフを散々に振り回して一直線に向かって来る。
 その錯乱した様子を見て、虎杖は数日前を思い出した。七海と共にキネマシネマへ向かった時の事。

 残穢を辿っていた道中、現場には入らない手筈になっていたはずの警察官が数名なだれ込んできた。七海の制止を無視し、ありったけの罵声を二人に浴びせる。錯乱状態にあることは明白で、ドカドカと大きな足音を立てて建物の屋上へ向かう警察官らを、虎杖は七海と共に追った。
 止めますよ──と七海は言ったが、二人が屋上の扉を潜った時、既に警察官は全員改造人間の手によって殺されていたのだった。

 改造人間と警察官の遺体を解剖した家入は「改造人間の方は手遅れだ」と告げた。身体の形を無理矢理変えられたことによるショック死が直接の死因であり、術師本人でもなければ元に戻すことも叶わないと。では、錯乱状態の警察官はどうかと言われれば。

「肉体に関しては手付かずだ。まぁ、恐らく……精神に干渉する術式なんじゃないか」

 意識を落としてしまえば無力化することは可能。つまるところ、改造人間とは違い、取り返しのつく人間であったのだ。

 虎杖は、一瞬見せた順平のおかしな様子は、錯乱人間を作り出した術師が原因であると、この瞬間確信した。盲目なまでに絶賛していた“先生”なる人物、「綺麗」「美しい」と繰り返していたその相手こそ。

 外村の背後。微笑を浮かべる赤髪の人物。ああ、確かになと順平の言葉に頷いてしまえる程の見目を有していた。

「ゆ……うじ……、な……んで?」

 順平が事切れる。感傷に浸る間もなく、外村が虎杖に襲い掛かる。振り上げられたナイフを持つ腕を掴むが、虎杖の膂力を以てしても押し切られそうになる。

「へぇー、儚に呪われた奴ってあんな風になるんだ」
「呪っただなんて。彼は必死に生徒を守ろうとしているだけではありませんか」

 理性を失い、怒り狂って虎杖を殺すことしか考えていない外村を見て、儚は上品に嗤う。真人は「もう少し早ければイイもの見れたのに」と、思い出し笑いで肩を震わせた。

「はー、それにしても、すごいよアレ。魂の代謝が異常だ。頭の血管切れるんじゃない?」
「真人からはその様に見えるんですね」
「先生はどう感じてる?」
「誰かの為にいかれる正義感の強い人間だなと」

 呑気に話す呪霊をよそに、虎杖は外村を鎮めようと考えを巡らせる。だが外村は打撃を食らわせても怯むことはなかった。高専へ入学する際に戦わされたぬいぐるみを彷彿とさせる。しかしあれはそもそも痛覚が存在しない呪骸、外村の場合は人間が生きていく上で必要なストッパーを意図的に外されていた。
 火事場の馬鹿力とも言う異常な力、痛覚の無視、虎杖を殺す為だけに振るわれるナイフ、他者を傷つける事に対する抵抗は理性と共に奪われている。

 勢いよく振り下ろされるナイフを、虎杖は寸での所で躱す。素人故に攻撃自体は単調だが、押さえ込まなければと思うと手加減をせざるを得ない。しかしそれでは、いつまで経っても止められそうになかった。

 虎杖が歯噛みをした時、突然外村は動きを止めた。焦点の合わない黒目がぐるんと裏へ回り、泡を吹いて倒れる。

「あっ」
「え?」
「死んだ」
「えっ」
「ホントに頭の血管切れちゃったみたい」
「まあ……。早く止めて差し上げないから」

 現実を理解するより早く、虎杖は脊髄反射で地を蹴った。
 超人的な瞬発力で、まずは真人に渾身の拳を叩きこむ。

 突然吹き飛ばされた真人に儚は驚き、その場から動くことはできなかった。そうしている間にも儚へ向けた虎杖の拳は迫る。──が。

「殴れます?」
「ッ──!!」

 儚は艶やかな笑みで、ただ問いかけた。

 利が伴う理由でもない限り、磨かれた宝石に傷をつけようと思う人間はいない。空にかかる虹を煤色に染めようとする者も、夜闇に瞬く星々を潰そうとする者も、美術館に飾られる名画を泥に浸そうとする者も。
 その様があまりにも完成されていたものだから、傷つけてはいけない、穢してはならない──状況の一切を鑑みない理性が虎杖の拳を鈍らせる。決定的な隙が生まれてしまった。儚は素早く虎杖から距離を置き、殴り飛ばされた真人に声をかける。

「無事ですか?」
「もちろん。効かないよ、魂の形を保ってい──」

 その拳の威力を証明するように、真人の鼻から血が流れ出す。攻撃が効いていることの証明だ。どういう理屈であるのか、儚には分からない。分かることと言えば、虎杖悠仁をまともに相手してしまえば自分は確実に祓われるであろうという事。

 長く息を吐き、虎杖は改めて真人と儚を見据える。腹の底から積怨の籠った声が溢れ出す。

「ブッ殺してやる」
「祓う≠フ間違いだろ、呪術師」