嚆矢の火花
「真人。あれの様子はどうだ?」
漏瑚が問うと、真人は「あれ?」と首を傾げた。
「儚のことだ。何人呪った?」
「あぁ、先生ね。さぁ……俺だって四六時中一緒にいる訳じゃないし、少なくとも俺は呪ってるところ見た事ないかなー」
顔を顰める漏瑚。頭の天辺、火山の火口のようになっている部分から火の粉が飛び散る。「暑いんだけど」と生意気にも文句を垂れる真人を無視し、漏瑚は唸る様に言う。
「仮にも特級! 呪力を持たぬ人間を呪う程度、造作もないことであろうが……!」
夏油という呪詛師が漏瑚の前に現れるより早く、呪霊一派は顔見知りであった。今ほど行動を共にしていた訳ではなかったが、それでも大掛かりな計画を進めるにあたり、互いの事を知っているというのは大きい。
漏瑚は決して、儚という呪霊を頭ごなしに否定する気もないし、疑ってかかっている訳でもない。ただ、少しばかり測りかねているのだ。その理由の大部分が、呪詛師・夏油の紹介であるという点。
呪霊が徒党を組む事となったきっかけ──夏油が漏瑚に接触したように、何処ぞに潜んでいた儚を探し出し、呪霊側の戦力増強のつもりで連れて来たのかと思えば、儚は何の攻撃手段も持たない非戦闘員。もちろん何も出来ない足手纏いではないけれど、計画を実行する為に必要な人材であるかと言われれば、そうではないだろう。
「そんな気にすることないんじゃない? 俺達の知らない所で楽しんでるだけかもよ」
「フン、だといいがな」
協力関係にある夏油は、一切信用も信頼もできない。その夏油に紹介された呪霊の嗜好が、呪いとして忌むべき人間となれば。小言の一つや二つ、苦言の三つや四つ、文句の五つ六つ七つ──言ってやりたくなるというもの。
「あれが万が一にも人間を助ける様な真似をすれば、儂が燃やしてくれる!」
感情に呼応しているのか、先程よりも勢いよく、ボッボッと漏瑚の頭頂部からマグマが噴き出す。真人は「ありえないでしょ!」とケタケタ笑う。
「いくら見た目が綺麗で、人間に近いって言っても、儚は歴とした呪いだ。人間の味方になんてなれるはずもないよ」
「……うむ……」
「まぁ気持ちは分かるけどね! 先生と話すのは色々楽しいんだけどさあ、ノリがイマイチっていうか……」
拗ねたように口を尖らせる真人。漏瑚が言っているのは“そういう事”ではなかったが、それが分からない程真人も浅慮ではないだろうと口を噤む。
真人の言う通り“ありえない”のだろうが──可能性の話。
儚が既に夏油の術式の支配下にあり、呪霊側の諜報として潜り込ませられているとしたら。
人間と呪霊が腹を割って話すことなどない。夏油自身、底の知れない胡散臭い輩だ。何が痛手になるか、いつ足下を掬われるか分からないのだ。
術式の支配下になく、完全に自由な状態であったのだとしても、“人間に寄った思想”であるが故に予定外且つ予想外のことをしでかせば、どうなることか。
────とはいえ。
「今宵、儂が五条悟を消せば、何の問題も無い」
呪術界最強の抹消を目論む漏瑚は呪力に満ちあふれている。一つ目で弧を描き、黒々とした歯を見せつけるように笑うと、拠点を出て夜闇に紛れた。
どう転ぶかな、と真人が考えていると、漏瑚が出て行ってから数分後に扉が開く。姿を見せたのは先程まで話題にのぼっていた儚だ。真人が片手を挙げると微笑みで返す。
「さっきまで漏瑚がいましたか? いつもより少し暑いですね」
「おぉ、ご明察。五条悟を殺しに、今さっき出て行ったところ」
「五条悟? ……傑は確か、封印を予定しているはずでは」
「その夏油に乗せられちゃったんだよね。無事に帰ってくればいいけど」
◇
五条悟を強襲した結果、漏瑚は首だけになって帰ってきた。花御が助けに入らなければそのまま祓われていただろう。漏瑚を唆した夏油本人に悪びれる様子はなく、さらにはふざけて漏瑚の頭をサッカーボールにする始末。サッカーやろうぜ、お前ボールな! ……などと言いだしたのは、果たして誰であったか。真人にオーバーヘッドシュートを決められた漏瑚は怒り心頭、しかし怒る為の体力もほとんどないという状態だ。
「漏瑚がこれほど追い詰められるとなると、五条悟は相当な実力者なんですね」
ぼくには想像も尽きませんが。そう言う儚に、逆さに置かれたバケツの上に首だけを乗せられた漏瑚は、フンと鼻を鳴らす。仮に儚が戦ったとして、領域展開をするまでもなく──できるかどうかさえ定かではないが──五条に祓われるであろうというのは、あまりにも想像するに容易かった。今にして思えば、積極的に人を呪わず静かに過ごすというのも、ある意味賢い選択かと、ほんの少し弱気になっている漏瑚は考える。呪術師・呪詛師に見つからない様に隠れることで、今まで生きながらえてきたのだろうと。
「傑の方針と発言は間違っていなかったと、そういう訳ですか」
「……まあ、概ねな」
「少々憂欝ですね。いずれ相まみえる可能性があるのだと思うと……。……六眼でしたか? あれで睨まれただけで死んでしまわないかな、ぼく」
いくら弱いと言えど、さすがにそれはない。その事実を分かっている上で儚は冗談めかして言うが、漏瑚は神妙な顔で黙り込んだ。「あれ、漏瑚?」予想していた返答がなく、儚は焦りを見せる。
「そんなに?」
「貴様は……脆弱だ、逃げる手筈くらいは用意しておくことだな」
「そうですね。それが許される状況であれば」
漏瑚がきょろりと目玉を動かして儚を見ると、嘘偽りの無い、一等美しく人間らしい笑みを湛えていた。
「ぼくが何かをしたところで無駄でしょうが……誰かを助ける為に動く、そういった衝動や感慨なら持ち合わせていますから」
慈愛。
正しくその言葉が相応しい表情と言葉、声色。“呪い”という、ある種歪んだ存在であるというのを忘れそうになるそれに、思わず漏瑚は見惚れる。目が離せなくなったのは、儚との初対面以来だ。その時は単純に驚きが勝っていた。“これほど人間に近い容姿の呪霊がいるのか”と。
「そう、見つめられると……」
「慣れたものであろうが。貴様は」
「……えぇ、まあ、一応」
人間が、意中の異性を目で追ってしまったり、アイドルや俳優に熱を上げるのとは違う。──儚に目を奪われるのは、そんな性的欲求や情の伴うものではない。
例えるとするならば、緻密に研磨された宝石を眺める感覚に近いだろう。元より美しいそれが、さらに美しい表情を見せたとなれば、見惚れるのも当然というもの。揶揄される事もないし、恥じ入る事でもない。
手中に収めんとするか、見るだけで満足するかは、当人の感覚と欲求の方向性に寄るだろうが。
「飽きる……ことはないのでしょうね。人間も、呪霊も。ですが、漏瑚はそろそろお終いだ」
儚は漏瑚の頭を抱えると、バケツを正位置に戻し、その中に漏瑚を入れる。
「ぼくは真人に映画に誘われているから、運搬は花御に任せます。早く元気な姿を見せてくださいね、漏瑚」
「言われずともそのつもりだ」
漏瑚が入ったバケツを花御に渡し、儚は二人を見送る。行先は人間が寄りつかない活火山の奥地だ。温泉が湧く場所というのは得てして観光地にされるものだが、人が快適に過ごすには解消すべき問題が多々あるとするならば、人間が抱く山への畏怖とも合わせて呪霊にとっては快適な場所となる。
(──……脆弱、だからなぁ)
儚は漏瑚をあんな姿にした五条悟は、一体どれほどの豪傑なのだろうと考える。そして、戦わずに済む道がどこかにあればと、願うのだった。