特別な子
順平が帰宅した後、真人は得意気に笑う。
「どう?」
「どう、とは?」
「先生が言ったんじゃん。“人間を知るには人間と関わるのが一番”だって。ちょうどいいの見つけたからさ、俺も試してみようと思って」
「あぁ、それは良い心がけですね」
言いながら儚は、真人が順平を“学び”の対象として見ていない事を悟る。いやに丁寧な接し方をしていたのも、順平を懐柔する為だろう。擦り切れている様でどうにも無垢なあの少年は、既に呪いに侵されている。己を受容する超常の存在に魅入られている。
呪いと関わった先に待ち受けるのは破滅であると、儚はよくよく知っていた。だからと言って儚もまた、順平を無碍に扱い突き放そうとも思わない。そも、既に手遅れだ。関係を絶とうとしたところで吉野順平は止まらない。
「とりあえず明日にでも脳ミソ弄って術師にするつもり。結構上手くなったんだよね、術式の扱い……魂の触れ方」
「努力の賜物ですか」
「まあね。儚も相手してあげなよ。喜ぶと思うな、順平みたいな人間は特に」
「…………」
人間という生き物は誰しも、他人よりも特別な存在でありたいと、心のどこかで思っている。それは、より優れた生物として子孫を残そうという競争意識でもあるし、ただ脳が発達し過ぎてしまったが故の傲慢でもある。
儚はどのような価値観を持つ人間であっても美しいと思うだけの容姿をしていたので。そういう風に生み出されていたので。──言葉を交わしただけで相手を思い上がらせてしまう。儚がにこやかに、親しみを込めて名前を呼ぶだけで、人間は己が特別であると勘違いをする。
優れた存在でありたいと、そんな本能だけはありながら、しかして他者から虐げられる弱者などは過激化しやすい傾向にあった。拳で敵わぬのならと刃を持ち、一体何をどうしたいのかと自分でも理解しないまま、“自分は赦されている”と何の根拠もない確信でもって他者を傷つける。そこにあるのは悪意だが、儚には決して向けられない。その存在自体で悪意の火種を煽っているのは確かなのだが、何故か。──半端、ではなかったからだろう。
「そういえば、真人はぼくの名を口にしなかったね? 順平といる間、一度も」
「ん? あぁ、そうだっけ?」
わざわざ名乗らなかったぼくもぼくですが、と言う儚に、少し考えた後真人は言う。
「なんかさ、勿体なくない? あんな玩具如きに儚の名前教えるの」
「勿体ない……」
「別に気にする必要ないよ。順平だって聞いてこなかったんだし」
大方恐れ多いとか思ってんだろうけど。そう嗤う真人の考えは当たっていた。
帰宅し、自室のベッドに寝転びながら今日の出来事を整理していた順平は、丁度二人が話題に挙げた事を考えていた。“先生”にも真人と同様名前があるだろうに、聞きそびれてしまったな、と。対人コミュニケーションが少し苦手である順平に、後日改めて名を聞く度胸はない。「先生のことを知りたいな」などという欲求が、芽吹いたまま燻るのみだった。
「これってやっぱり思わされてるのかな? 儚への独占欲……みたいな」
「そうだね。一定の知性がある生物──まぁ、知る限りでは人間と呪霊だけですが、その殆どは手を伸ばそうとしてしまう。ぼくが口をきくばかりに」
「無機物や自然現象と比べて、近しく感じるからか。難儀だね」
「否定はしません」
「儚が冗談みたいに強ければ、神様になれたかもしれないのに」
誰もが手を伸ばし、されど触れることの叶わぬ絶対的な存在。冗談を夢想する真人に、儚は珍しく「あはは」と声を上げて笑う。
「我らは皆、主の膝下に在る。それを知りながら、神へ至る可能性を謳うとは。大きく出ましたね」
「零パーセント以下を想像するのが人間の特技だろ?」
「──えぇ、ぼくもそう思うよ」
◇
真人から手渡された木炭にも似た物体を手の中で弄びながら、順平はぽつりと呟いた。
「“好きの反対は無関心”なんて初めに言った人は、ちゃんと地獄に落ちたでしょうか」
悪意をもって人と関わることが、関わらないより正しいなんてあり得ない。──そう順平は言う。
「“好きの反対は嫌い”です。日本人て好きですよね、単純な答えを複雑にして悦に浸るの」
「皆、言葉遊びが好きなのさ」
淡々と、あるいは鬱屈とした順平の声色とは反対に、真人は清々しく言葉を返す。
「なぜなら人間は、言い訳をしないと生きていけないからね」
そう言う真人の眼前にはぶくぶくと膨らんだ肉塊がある。輪郭がすっかり醜く歪んだそれは、真人が魂を弄ることで限界まで肥大化した元・人間だ。未だ朧気な意識だけは残り、指一本動かさない割に言葉としての形を成さない呻き声を上げる。
真人は、特にこれといった説明もなく順平に渡した物体が、限界まで圧縮した人間であると種明かしをする。それを手にしながら、順平はしかし、ただ驚いたように「これが……人間?」と言うに留まった。そこに嫌悪や恐怖は無い。
「順平は、死体になれてるの?」
当然の疑問として、真人はそう問いかけた。手のひらサイズの人間を真人へ返しながら、順平は思案する。
「……どうでしょう。それが僕の母だったら取り乱し、真人さんや先生を憎んでいたかもしれません」
何気なく口にする順平の、母へ向ける紛れもない愛情。混じり気のない眩いそれを、儚は愛おしく思う。するりと手を伸ばし、順平の肩に添える。一瞬身体を強張らせた順平は、堰を切った様に吐き出した。
「でも、僕は。……人間の醜悪さを知っています。だから他人に何も期待していないし、他人の死に何も、思う所はありません。“無関心”こそ、人間の行き着くべき美徳です」
まだ年若い少年が、考えに考えて導き出した結論であった。「そんな君が、復讐ね」真人がわざわざ口にした通りの、ささやかな矛盾。順平自身も自覚していることだ。
「順平は人に“心”があると思う?」
真人の問いかけは、「無」を前提としている。順平は予想だにしない言葉に驚いた。
「え……、ないん……ですか?」
「ないよ」
いっそ食い気味に、真人は断言する。
「“魂”はある。でもそれは“心”じゃない」
魂を視認し、実際に触れることのできる術式を持って生まれた真人だからこそ言える事であった。喜怒哀楽を“魂の代謝”であると言い切り、儚に目を向ける。
「人は目に見えないモノを特別に考え過ぎる。だから代謝の澱みから形作られた先生は、綺麗な見た目をしているんだよ。でもね、見える俺にとって、魂は肉体と同じで何も特別じゃない。──ただそこに在るだけだ」
真人は言う。命に価値や重さなどないのだと。
天地にとっての水がそうである様に、命もただ廻るだけ。人間であろうと呪霊であろうと、そこに境はない。何者であれ、無意味で無価値。
だからこそ自由であり、何をしてもいい。
「“無関心”という理想に囚われてはいけないよ。生き様に一貫性なんて必要ない。お腹が減ったら食べる様に、憎いなら殺せばいい」
圧縮した改造人間を、真人は握り潰す。呆気なく失われた命にいちいち構うことなく、真っ直ぐに順平を見つめて言った。
「俺達は順平の全てを、肯定するよ」