直情真玖

 ──死のうと思ったことは、何度もある。それこそ、数え切れないくらい。

「……あるよ。あるに決まってんだろ」

 千尋は自身の胸倉を掴む斎藤の手にルーン文字を刻み、発火させる。大した魔力も込められていないそれが斎藤にダメージを与えることはなかったが、斎藤は咄嗟に手を離して一歩身を引いた。

 右腕を押さえながら、険しい表情で千尋は吼える。

「それの何が悪いんだ! あんな家にいて、そう思わない方がおかしいだろ! 家出にしろ、死ぬにしろ……どんな形でも逃げられるなら、とっくに逃げてる!!」

 ……千尋は元々斎条家の生まれではない。生みの親が別にいて、ある時斎条家に引き取られたのだ。
 偶然、魔術回路を人より多く持って生まれたから。

 大好きな家族ともう二度と会えないのだと知った時は、まだ死にたいとは思わなかった。悲しかったし、苦しかったし、寂しかったけれど。まだ、どうにか、耐えられた。
 魔術師としての教えを受け始めた時も、死にたいとは思っていない。元の家族に会えなくなるくらいなら、魔術回路なんて持って生まれて来なければよかった、とは思ったが。寂しさを紛らわせる為に、魔術に没頭した。斎条の人達は、喜んでいたろうか。千尋の記憶からは消えている。

 成長期を迎えた頃だ。千尋は“死”というものを認識した。──初めて、魔術回路を移植された時だ。

 自分の物ではないそれが、体に馴染むはずもない。移植された回路は千尋を拒絶し、千尋の体もまた、異物としてその回路を認識し、拒絶した。激しい痛みにのたうち回り、千尋は、この痛みの先には死が待っているのだと思った。

 魔術刻印の移植など、回路の比ではなかった。
 胸に移植された魔術刻印は、千尋の心臓を蝕むようだ。移植された日には尋常でない苦痛が襲う。刻印が増えるごとに、それは増していった。
 まともに呼吸もできず、脈は乱れ、全身が生を否定する感覚。喉が枯れるほど叫んだ挙句に血を吐いた時には、ああ、このまま死ぬのだと悟りもした。……この苦しみから逃れられるなら、それでもいいと思った。

 だが、千尋は生きている。

 幾度とない拒絶反応に苦しんでも、千尋の命が絶えることはなかった。
 それなりに早い段階で、気づいたと思う。

 “役割”を果たすまで、斎条家の人間が千尋を殺す事はない。死ぬ程苦しいだけで、死ぬことはない。千尋が死なないラインを見極めて、甚振り嘲って薬漬けにして、手塩にかけて『斎条千尋』という接木を造り上げている。
 千尋に死ぬ度胸があったとて──実際そんなものは持てないが──死ぬことすら許されないのが現状だ。千尋を生かす、という点に関しては、信用すら出来てしまう。
 秘奥たる魔術刻印を刻んだ以上、斎条家が千尋を逃がす訳もない。たとえ逃げ出せたとしても生存が確認されている内はどこまでも追いかけて、死んだとしても草の根を掻き分けて死体を回収するだろう。そこに千尋の、人間らしい尊厳など存在しない。

「死ねもしない、殺してもくれない、逃げ出せない、逃げ切れない! だから聖杯戦争に参加するんだ!」
「家の目が届かない所で死ぬ為にか? そんなこと俺が許すわけねぇだろ!!」
「……ッ何なんだよ! 妙な保護者面しやがって! 使い魔の癖に……使い魔の括りにいるんなら、黙ってオレの言う事聞いてりゃいいのに……!」

 肩で息をする千尋は、ぐっと強く歯を食いしばって膝をついた。斎藤はすぐに駆け寄り、丸まった背中に手を置く。

 先程軽く魔術を行使したせいか、移植したばかりの回路が酷く痛んだ。元々生まれ持った回路以外は使わないように意識していても、微かな魔力の流れに反応したのだろう。──きっとどこかの誰かが、自分を否定している。

「……オレも、」

 痛みを堪えながら零した声は、情けのないものだった。親とはぐれた幼子の様に震え、よくよく耳を澄まさなければ聞き取れない程に小さい。

「……オレも、セイバーみたいに、自由でいたい」

 ──夢の中で、斎藤の過去を垣間見た。
 志を共にする仲間達と歩んだのは、血で彩られることになる道だ。時代背景、地位や生まれ、権力──様々なしがらみがあった。ひとり、またひとりと仲間は死へ赴く。斎藤は何度もそれを見送っていた。

 旧幕府だとか、新政府だとか。教科書の中の出来事としか思えない千尋に、『斎藤一』の過去の一部を覗いたところで、心情のすべてを理解することなどできない。
 けれど、それでも──斎藤の心が自由であったことは分かったのだ。

 だから『斎藤一』の剣には一部の隙もなく、曇りもない。

 羨ましい。
 自分もそうで在りたい。

 斎藤一の誠は、千尋にとっての理想だった。

「このまま、斎条家の魔術師になんて、なってたまるか……っ」

 千尋はただひたすらに、恐ろしかった。

 斎条家の人間──義理の両親が、『両親』と呼ぶに相応しい愛情を向けてくれた事実がある。
 幼い頃、本当の家族と千尋を引き離した張本人でありながらも、寝床を与え、食事を用意し、学校へだって通わせてくれた。何不自由のない生活をしてきたのだ。その事実に対する感謝を、千尋は忘れたり、無視したりはしない。

 そんな人間的な愛情がありながら、魔術師として非人間的な思想を持っている。その乖離が恐ろしい。

 苦痛に泣き叫ぶ自分を見ても何も感じていない。何度も移植手術を受け、魔術回路が増える度に、一体どこから回路を持ってきたのだろうと背筋が薄ら寒くなる。顔も名前も知らない誰かから回路を奪っておきながら、自分はのうのうと日常を謳歌しているのだと思うと、罪悪感で心が磨り潰されそうだった。
 ……そんな罪悪感だって、時の奔流に削られていく。“そういう環境”に身を置いているというだけで、自分の思想までもが魔術師のそれに染まっていく。

 いずれ自分は、かつて罪悪感を抱いたことすら忘れ、薄っぺらな表面だけを取り繕うのが上手くなって、誰かの涙を見ても何も感じない人間になるのだろう。

 ──そんな楽な生き方が、耐えられるはずもなかった。

「根源到達なんて、心っ底どうでもいい! 斎条家に恩はあるけど、オレは、オレの心が死ぬ前に逃げる! その為の聖杯戦争だ!」

 千尋は意志の籠った瞳で、斎藤を見据える。

「オレの聖杯へかける望みは、自由になることだ! 誰にも、何にも縛られない自由! この願いでも、まだ文句があるってんなら…………!」
「…………いや、安心したよ」

 千尋の頭に手を置き、眉を下げて微笑む斎藤。千尋は目を丸くした。

 現在、千尋に移植された魔術刻印は全体の八割だ。それを返さないまま逃げ出せば、斎条家の衰退は免れないだろう。元々、魔術とは何の関係もない家で生まれた千尋を養子に迎える程度には追い詰められていた。
 魔術世界において歴史ある名家が、一個人のワガママで潰える。──それを十二分に理解していても尚、無責任に逃げ出そうとしている千尋を、斎藤は決して責めることはなかった。

 ……責められるはずもない。
 助けが現れることも諦め、自力で逃げ出す選択も見失い、自身に付き従う強力な使い魔を得ても抵抗できない。
 “万能の願望機”などという奇跡に縋らなければ、希望すら見出せなくなっている。

 そんな彼が手繰ろうとするか細い糸を、目の前で取り上げる様な真似がどうしてできようか。
 生きながらの死──それを踏破せんとする意志が、そこにはあるというのに。

「お前に生きる意志がちゃんとあるなら、それでいい。そういう事なら僕の領分だ。生き残りに関しちゃ新選組一だからな」

 “死にに行くつもりはない”……召喚初日に聞いた言葉が嘘ではなかったことに、斎藤は安堵した。

 敵となるマスターやサーヴァントについての情報を持っている訳でもない。戦略に詳しい訳でもない。規格外な才を有している訳でもない。豊富な経験がある訳でもない。──それでも頑なに聖杯を求め、「斎条家の為に根源を目指す」などと願いを偽る千尋は、死に急いでいる様に見えた。

 大方、本当の願いを話そうとしなかったのは、単に信用されていなかったのだろうと斎藤は思う。
 玄孫の信頼を勝ち得ていないというのは寂しいが、千尋はその事実を知らないし、出会って二日そこそこ。……くだらないだとか、選択が間違っているだとか、そんな風に否定されるのを恐れていたに違いない。斎条の人間にバレてしまうかもという懸念もあっただろう。

「……セイバー、」
「死んでもお前が自由になれる訳じゃない。生きてる奴が勝ちなんだ。…………ふっ、全く、縁ってのは不思議なもんだな」

 ぐりぐりと千尋の頭を撫でながら、斎藤は「痛いところはないか」と問う。千尋は今度こそ本当に大丈夫だからと首を振った。

「じいちゃんに任せろ。必ずお前を自由にしてやる」
「セイバーのそのジジイ発言は何なんだよ……。周りよりちょっと長生きしたくらいで」

 斎藤の言葉に怪訝そうにしながらも、千尋が斎藤の手を振り払うことはなく、へらりと気の抜けた笑みを浮かべる。

「……セイバーはさ、どうしてもオレの願いを聞きたがったけど、セイバーの聖杯にかける望みは?」
「んー……そうだな。今は……受肉だな」
「人間として生きるってこと? …………もしかして、オレと?」
「そりゃ勿論。マスターちゃんが大人になって、僕みたいな爺さんになるまで見守ってやるのも……面白そうだからな」

 魔術師として麻痺していく心が、温かみを取り戻す様な。
 色の豊かささえ見失って褪せていく世界が、どこまでも広く青い空に照らされる様な。

「ありがとう、オレのセイバー」

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