すっかり伸びきってしまったそばを啜りながら、斎藤は問う。「自由になったら何がしたい?」──と。
まだ聖杯を巡った戦いを始めてすらいないのに、聖杯を手にした後のことを語るのは早すぎるのではと千尋は思ったが、より具体的な目標があった方が頑張れるものだと、千尋の反論より先に斎藤がそう言いくるめた。
顎に手を当て、千尋はうんうん唸りながら、聖杯戦争に勝利したその後を考える。
……自由になれた自分の姿は想像し難い。けれど、自分が聖杯戦争の優勝者となった暁には、隣に斎藤がいるはずだ。つまり、斎藤と何をしたいかを考えればいい。
そう考え直せば、ふと脳裏に浮かび上がる願いがひとつ。
「うーん、……世界、旅行……とか?」
「へぇ、そりゃいいな。また何でよ?」
「色んな物を見てみたい、な。世界は広いし、セイバーが驚く様な物も、たくさんあると思う」
「ん? ……あぁ。そうだな、僕はこの三分そばひとつで驚いてますから」
そう言って自嘲してみせる斎藤に、千尋も思わず笑う。
日本から出て、最初に向かう国はどこにしようか。やはり英語圏が無難か──英会話なんてまともにはできないけれど。
言葉の壁という大きな不安要素を考えてしまえば、やはり世界旅行など無謀ではないかと足踏みをしてしまう。けれど、千尋は“それでもきっと大丈夫だ”なんて根拠のない自信を、心の内に芽吹かせていた。言葉が通じなくても、水が合わなくても、たとえ命が脅かされたとしても──世界を歩む自分の隣には、
絶対的な味方がいるのだから。
「セイバー。それ食べ終わったら、
隣市まで出かけよう。世界旅行の前哨戦な」
「ははっ、何だそりゃ」
歯を必要としないほどふやけた天ぷらを汁ごと飲み込み、息をついた斎藤は千尋を見る。
「本調子じゃないんだろ? 遠出して大丈夫か?」
「大丈夫。……あー、もしかしたら、たまに心……胸の辺りが痛むかもしれないけど。外の空気吸いたいし、せっかく学校サボったしな」
行くに行けなかっただけだろうに。……その言葉を言ってやるのはやめ、代わりに斎藤は片眉を上げて「あんらまぁ、悪ガキだこと」と茶化すように言った。
「分かった。ただし僕も実体化して着いて行く。それがダメならここで大人しくしてな」
「まぁ、刀出さなきゃセーフか……? 服もコスプレに、見えなくないような……いやこれくらいだったら……?」
斎藤の服装を上から下までまじまじと見る千尋。オレンジ色の裏地が目を引くロングコートと指ぬきグローブが、そこはかとないコスプレ感を醸し出しているような気がする。自分が何も知らない状態で、斎藤と同じ格好をしている人間とすれ違ったら振り返りそうだな、と考えた。
「なに? この格好じゃ目立つ?」
「……うーん……」
「ならこっちにするか」
そう言った途端、特徴的なロングコートは消え、斎藤はスーツ姿へと変貌する。ロングコートの中に着ていたスーツと同じ物だろうか。千尋に生地や形の違いは分からないが、シャツのボタンをきちんと留め、銀色の三本線が入ったネクタイを締めているだけで印象が変わる。
「…………何それ」
「洋装も着慣れてるモンだろ? 至って地味〜なサラリーマンに見えるんじゃない?」
サラリーサーヴァントかな? などとふざけた事を言う斎藤に、千尋は心中で叫ぶ。
(サーヴァントって着替えも一瞬かよ、羨ましいな!!!)
念話と言い、霊体化と言い。そういうのもアリなのか、便利すぎる。──千尋が溜息混じりに「いいんじゃない」と言えば、斎藤は「僕なんかした?」と悲しげな表情を作った。
「あぁ、でも、その手袋はどうだろう」
「手袋? いや、これくらい構わんでしょ。寒いし」
「職質されそうなんだよなぁ……」
某自由業の人間に見られやしないだろうかと千尋は一抹の不安を抱く。自分と共に行動することで、余計に警戒されたりしないだろうか。その時はその時で、魔術で誤魔化そうと決意した。
◆
運賃を誤魔化す為に、隣市まで向かうバスに乗っている間は霊体化を。ということで人知れず千尋の後を着いて行く斎藤は、千尋が向かおうとしている“隣市”というのがどのような場所なのかを知らなかった。
バスに乗って駅前に向かい、そこからまた別のバスに乗り換える。千尋が席に着くと、車掌のアナウンスが入った。
《このバスは新都駅に向かうバスです。お間違いないようご乗車ください。次は──》
『……新都?』
斎藤は──霊体化している為、あくまでフリだが──怪訝そうに眉を顰め、千尋を見る。
一番後ろの窓側の席を陣取り、窓ガラスに頭を預けて発車を待つ千尋は、斎藤の呟きが聞こえているにも関わらず、素知らぬ顔をしていた。
『おい、マスター。僕の記憶違いじゃなけりゃ、新都ってのは冬木市にある街じゃなかったか?』
『記憶違いじゃないよ、セイバー。合ってる合ってる』
『本調子じゃねぇってのに、何のこのこ敵地に乗り込もうとしてんだ』
『敵情視察? 地理の確認? ……まあ、そんなとこ。セイバーが付いてるんだから大丈夫だろ』
大丈夫だろ──という如何にもな信頼を窺わせる言葉の裏に「大丈夫にしろ」という意図を感じ取る斎藤。工房にいた時点で、冬木市へ行くつもりなのだと分かっていれば全力で止めていた。……わざと地名をぼかしていたのだと今になって気づき、斎藤は頬を引きつらせる。
実体化して千尋をバスから引きずり下ろすことも考えたが、それをするには乗客が多すぎる。無情にも扉は閉まり、バスは新都駅に向かって走り出した。
バスに揺られること約30分。途中幾人かの乗客を入れ替えながら、バスは新都駅に到着した。
千尋は一人分の料金を支払ってバスを降りると、建物の陰へ向かう。人目が無いことを確認し、斎藤は霊体化を解いた。そしていの一番に千尋の額を小突く。
「イテッ」
「なーに考えてんの、マスターちゃんは」
少し魔術を扱っただけで、その場に蹲ってしまう程の痛みに襲われる癖に、戦闘必至の冬木市にやって来るなど、斎藤からすれば無謀もいいところだ。特に今の斎藤は怪しまれない為に刀のみ霊体化しており、武器を取り出すのにワンテンポ遅くなる。襲撃を受けた時にコンマ一秒でも無防備な時間が多いというのは、斎藤にとって不安材料のひとつだった。
小突かれた額を擦り、千尋は人通りが多い場所へ戻る。
「よっぽどの馬鹿じゃない限り、襲撃はない。……と、思う」
「へぇぇ? なんでそう言い切れる?」
「神秘の秘匿っていう、魔術師間でのルールがあるんだよ」
駅前に設置された地図を見ながら、千尋は語る。
「ざっくり言うと、神秘……まぁ、魔術っていうのは、知っている人間が限られてないと力を失うんだよ。“知らないけど、知ってる”状態──魔術を知ってて、且つ、それを“現実だと認識していない”を維持しないといけないワケ」
「…………ふーん、で?」
「昼間の明るい時間帯、大勢の目がある場所で魔術を使えば、魔術を“空想”じゃなく“現実”だと受け取る人間が増えるだろ。カメラみたいな映像記録に残ったりしたら最悪だなー……多分」
「だから人目がある場所にいれば、襲われることはないって?」
「そういう事。後はー……普通、英雄なら戦いに巻き込まれた無関係の人が死ぬのとか、避けるだろうし」
こういう順路で行くか、とある程度見当を付けた千尋は歩き出す。しかしすぐに斎藤が着いて来ていないことに気がついて振り返った。
不服そうな顔をしている斎藤に、千尋は「セイバー」と急かすように呼びかける。
「…………理解はした。でも納得はしてねぇからな」
「はあー? ……分かったよ。暗くならない内に帰るよ」
「そういう事じゃないっての。まったく……」
斎藤が隣に並び立ったことを確認し、千尋は再び歩き出す。決して揃う事のない足音に、思わず笑みを零した。
「ご機嫌じゃないの、マスターちゃん。ハァー、おじいちゃんの気苦労も知らないで……」
「は? …………ご機嫌っつーか、聖杯戦争に勝たなきゃなって思っただけ」
「……ふーん?」
──もちろん、自分の望みを叶えることが第一ではある。
けれど、その後の楽しみに心が浮き立つようだった。
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