百衣帯水

 平日の真昼間ということもあり、新都の駅前パークは人通りが多い。斎藤は常に、この人混みの中にサーヴァントや魔術師が紛れていやしないかと警戒していたが、千尋はそんな斎藤の気苦労など考慮していない様子で、「セイバー、顔」と呆れ顔で指摘した。

「僕の顔がなんだって?」
「顔が怖いんだって。ガラの悪さが出てる、マジで職質されそう」
「あぁ? ……っと、にこやかーにしてりゃいいのね」

 へらっとした笑顔を形作る斎藤に、千尋は今にしてみれば完全に腹に一物抱えている表情だなと思う。召喚してすぐにこの笑顔を向けられた時は、そう気難しくもなく、話せそうな英霊を召喚できたと感じたものだけれど。

「やっぱ霊体化してもらった方が良かったかなー……」

 幸い、巡回している警察官がいる様子もなく、すれ違う人々が携帯電話に手を伸ばす様子もないが、私服の男子高校生とスーツの成人男性という組み合わせは、やはり少しばかり異質である。

「マスターちゃんが元気ならそれでもよかったけどねぇ」
「そんな心配する程じゃないって。大丈……うわ顔コワ」
「次、“大丈夫”とかぬかしやがったら、強制的に連れ帰るからな」

 ドスの聞いた低い声でそう宣言する斎藤に、千尋は何度も首肯する。
 そう何度も「大丈夫」と多用した覚えはないし、実際に大丈夫だと思っているから口にしていただけなのに、その言葉に対する信用が一切無い。(怖ァ……)千尋はさり気なく斎藤から距離を置いたが、歩いている内に元の距離感に戻っていた。

「大体ねぇ」
「えぇ……まだ説教続くのかよ……」
「お前もちょっと不安に思う所があるから、僕の実体化を許可したんでしょーが。ん?」

 図星だろうと言わんばかりの斎藤に、千尋は視線を下げる。

 近いうちに冬木市には行こうと思っていたが、言われてみれば確かに、今日ではなくてはならない理由は無い。今日にしたのは、学校を休むと決めていた事と家にいたくないのが理由だ。
 ただそれなら、工房で過ごしていればよかったのでは? という気になってくる。魔術刻印の鈍痛は今もふとした瞬間に襲ってきているし、斎藤の言う通りに大人しくするのが正解だったのだろう。
 斎藤の姿を見ただけで真名を看破してくるような魔術師が聖杯戦争に参加しているとは思えないが、安易に姿を晒すのは悪手であったかもしれない。──斎藤が霊体化しないのなら、冬木へ来るのはやめるべきだったか。

 冬木へ行くと分かった途端、斎藤が実体化した訳ではない。寧ろ、実体化を条件に外出を認めたのだ。
 それでも構わないと、無意識に思っていたのか。

「…………うーーーん、……あーーーー…………」
「? どうしたどうした」
「こっち見んな……」

 千尋は片手で顔を覆い、斎藤の視界から外れる為に背を押して前を歩かせる。

(……まだ召喚して出会って一週間も経ってねぇのになぁ……)

 この短い時間──刻印と回路の移植後に昏睡していた事を思えば、言葉を交わした時間など本当に短いというのに、随分と絆されてしまったと、千尋は自覚する。

 ……きっかけはなんだったろうか。やはりあの朝の打ち合いか。
 斎藤と過ごす時間で、千尋は過去に家族と過ごした幸せな記憶の温度を取り戻していくようだった。父に夢中で教わった剣の型、無条件に与えられる物ではなかったのだと知らしめられた母の思いやり。冷めて、薄れて、乾いていくばかりだったそれが、途端に現実味を帯びる。

 斎藤が、出会ったばかりのマスターを気遣う様な、情に厚いサーヴァントであったからだろうか。

「……不安、も……多分、無い訳じゃないと思うんだけど……」

 しばらく黙り込んでいた千尋がぽつりと独り言の様に話し始める。斎藤は適当な相槌を打ちながら、そちらに意識を割いた。

「オレさぁ……、……セイバーと一緒に出かけたかっただけ、っぽい……って言ったら、また説教する……?」
「は、」

 斎藤は思わず足を止め、千尋に振り返った。千尋は「だからこっち見んなって!!」と斎藤の背中を思い切り叩く。

 黙り込んでいた間の思考時間で、自分がどうすべきだったのかを千尋は導き出したのだろうと斎藤は思う。
 少なくとも今日は冬木に来るべきではなかったし、冬木に来るならば斎藤は霊体化させておくべきだった。どこに敵マスターやサーヴァントがいるともしれない状況なのだから。

 それでも斎藤と共に冬木市へやって来て、こうして並び歩いている理由が、一緒に出かけたかったから、とは。

(……怒るに怒れねぇだろ……)

 サーヴァントとしては、そんな軽い理由で、と今すぐマスターを連れ帰りながら説教をしつつ文句を垂れるべきなのだろう。
 しかし斎藤の中に生まれていた父性──のようなもの──が、頭に浮かんだ文句を消してしまう。玄孫に「一緒に出かけたかった」と言われてしまえば、斎藤は黙って頭を撫でてやるしかなかった。

「セイバー? 怒ってない?」
「……怒ってねぇよ。危ないことするなとは言いたいけど、はぁ……」

 これが赤の他人だったら何も思わなかっただろう。斉藤は確信する。無駄に──無駄ではないけれど──聖杯から玄孫だという事実を知らされてしまったのがよくなかった。事実を聞いた上で観察し、認めてしまえば、そういう目で見てしまう。

 千尋が魔術師の家に囚われ、“奇跡”なんてものに縋らなければ逃げ出せないと思っていることに関しては、哀れに思う。だが、それはそれとして、両親よりも余程自分に色んな表情を見せ、本心を曝け出しているのには、優越感すら覚える。
 信頼を寄せられていることを実感し、緩みそうになる頬を律するのに、斎藤はそれなりの努力をしなければならなかった。

「はー、しゃあねぇ。今日のことは大目に見てやるとしますか。何もなけりゃな」
「何事もなくするのがセイバーの役割だろ」
「おじいちゃん的には、こんな気張らなくて済む場所で散歩したいんだがね」
「じゃあ明日、部活終わったら公園でも行くか。途中、商店街で何か買ったりしてさ。肉屋のコロッケがうめぇの」
「へぇ! そりゃいいな」
「あーでも、オジイチャンに油ものはキツイか?」

 斎藤は、冬木に到着した時よりも力を弱めて、生意気なことを言う千尋の額を小突く。「イテッ」と額を押さえながらも、千尋は楽しそうに笑っていた。

「そういや、千尋。今はどこに向かって歩いてる?」
「冬木教会。場所を確認しておこうかと思って……」

 あれだ、と千尋が指す先に、薄緑色の尖った屋根が見える。

「聖堂教会の人間があの教会にいるらしいんだよ。……まぁ、用は無いから会うつもりはないけど」
「聖堂教会ってーと……聖杯戦争の監督役だっけか?」
「そう。戦争で敗退したマスターの保護もするとか、なんとかって」

 教会の前までやって来ると、その美しい外観の全貌が露になる。曜日や時間帯もあるのだろうが、教会前に人の気配はなく、どことなく神聖さを感じさせた。

 建物に近づくことこそしないものの、じっと教会を見つめる千尋に、斎藤は声をかける。

「人目がある場所から外れてるぞ。場所の確認したかったんなら、もういいだろ」
「ん? あぁ……。こんなちゃんとした教会見るの初めてだったから」

 その時、教会の扉が開き、中から黒いカソックを身に纏った神父が現れる。神父は教会の敷地前に立っている二人に気づくと、微笑みを浮かべながら近づいた。
 ここで不自然に去って、妙な印象を残すのは得策ではないかと考えた斎藤は、千尋よりも半歩前に出る。

 すぐ目の前までやって来た神父は大柄で、斎藤よりも優れた体格をしていた。

「こんにちは。何か御用ですか?」
「いやー、綺麗な建物だと思って眺めてただけですよ。ご迷惑だったらすいませんね」
「いえいえ、迷惑だなどと。良ければ中もご覧になるといいでしょう」
「それには及びませんよ。この後も行く場所があるもので。……ほら、行くぞ」

 斎藤に肩を叩かれ、「あ、うん」と踵を返す千尋。口を挟む隙がなかったな、と神父の方を振り返りながら思う。
 神父は相変わらず、穏やかに笑っていた。

「たとえ亡霊であろうと拒みはしないがね。──少年、君の望みが叶う事を祈ろう」

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