千里同風

 教会の屋根に乗る十字架のシンボル程度しか見えなくなったところで、それまでやや早足に歩いていた斎藤が千尋に問う。

「今のが聖堂教会の奴か?」
「あー、多分?」
「……万が一があっても、近づかない方が賢明だな」

 斎藤を亡霊──即ち、サーヴァントであると一目で見抜いていた神父。その歩き方や立ち姿は、何かしらの武術を一定のレベルまで習得した人間のそれだ。敵意や悪意こそ感じなかったものの、積極的に関わって得をする人間ではなさそうだと、斎藤は判断を下した。
 千尋は教会の方を一度振り返り、「そんな悪そうな人に見えた?」と首を傾げる。

「いんや、別に? ただまぁ……監督役、中立的な立場として信用できるかって言われりゃ、できないね。こちとらマスターちゃんの命が懸かってんだ、迂闊なことは出来ないでしょうよ」
「年の功ってやつ? その、判断力……的なの」
「そうそう。じいちゃんの言う事はちゃーんと聞いときなさいよ」

 斎藤の“おじいちゃん”発言に意味が分からないだのなんだのと言うのも面倒臭くなった千尋は、適当な返事をしながらポケットから携帯電話を取り出して、時間を確認する。丁度昼時だ。先程の神父も、昼食をとりに行こうとしていたのだろうかと考えた。
 朝に少しばかりカップそばを啜った程度だが、食欲は湧いてこない。何か腹に入れた方がいい気はする……と胃の辺りを擦っていると、斎藤が真剣な顔をして「痛むのか?」と聞いてくる。

 素知らぬ顔で耐えていられる程度の痛みは刻印から与え続けられているが、それは“大丈夫”だ。冷や汗をかいたり、蹲って動けなくなることはないのだから、わざわざ言う程の事でもない。
 千尋は「えぇ?」と、そんな事実はないのだと示すように片眉を上げた。

「いや、何か食った方がいいかなーって」

 そう言えば、斎藤はどこか安心したように小さく息をついた。「育ち盛りなんだから食った方がいいぞ」というセリフは、斎藤の自己申告通りどこか“おじいちゃん”らしいと千尋は思う。

「今朝食ったそばみたいに、食べきれないなら僕が食べるし」
「セイバーが何か食べたいだけじゃねぇの?」
「まあ、それもちょっとはあるかな」

 何なら食べられそうか──もとい、何を食べたいかを話し合いながら、駅前パークへ戻る二人。途中、交番の前を通る際に千尋は職質されやしないだろうかと肝を冷やしたが、互いに特に不自然な態度をとっていた訳ではなかったからか、それには及ばなかった。盛大に安堵の息を吐く千尋に、斎藤は「失礼すぎるでしょ」と苦笑した。

 少し疲れたから座れる場所に行きたいという千尋の要望で、偶然目に付いた『アーネンエルベ』という名前の店に入る。
 店内はアンティーク調のインテリアで統一されており、軽快なジャズが耳障りでない程度に響いている。昼時ということもあって客の数は多かったが、幸運なことに二人が入店する直前に出て行った客がいたらしく、すぐに席に着くことができた。

 メニュー表を見ながら、千尋は斎藤に「何が食べたい?」と聞く。

「マスターちゃんが食べたい物でいいよ。僕はお零れもらうから」
「いや、八割食べるのセイバーだし、セイバーが食べてみたいのでいいって」
「って言ってもねぇ……」
「あ、メニューに書いてある物が何か分からないとか?」
「その辺は聖杯から教えてもらえるから大丈夫」
「聖杯って何……?」

 喫茶店のメニューを教える聖杯って何? 召喚に合わせて現代知識を与えるところまでは分かるけど、こんなどうでもいいことまで教える聖杯って何? 本当に万能の願望機として機能するの? 万能だからその辺までカバーできんの? ──千尋は水を口にしながら、(オレ結構まともじゃない賭けしてるのかなぁ……)と遠くを見る。
 斎藤が「このナポリタンっての、イタリア料理じゃないんだってな」などと豆知識を披露してみせるので、千尋は余計に遠い目をした。聖杯でカバーすべき知識じゃないだろそれは。

「うーん、じゃあ、おすすめって書いてあるし、このかぼちゃのパイにでもしますかね」
「あたしこのパイ嫌いなのよね」
「ん? かぼちゃ嫌い?」
「いや、いいよ、それ頼もう。すいませーん」
「?」

 右手を挙げ、近くを通った店員に声をかける千尋。(これは通じねぇのか……)と聖杯知識の匙加減に頭を捻った。ネタバレに配慮する聖杯なのだろうか。意味が分からん。

 注文を待つ間に、千尋は何気なく店の外を眺める。
 駅前パーク付近を歩いていた時にも思っていたことだが、栄えているだけあって新都は外国人をよく見かける。旅行客か、この辺りに移住した人か。その違いを見分けられる程、千尋の観察眼は育っていない。往来する人々から目を外し、喫茶店で食事を楽しむ他の客を横目で見る。

 離れた席に、銀色の長い髪を片側に流し、三つ編みでまとめた外国人が座っていた。タイミング悪く視線がかち合い、千尋はすぐに目を逸らす。

「どうした? 千尋」
「向こうの席の人と目が合った……。外国の人っぽかったし、あんま気分良くなかったかもな」
「あるある、そういうこと。まあそんな気にするなよ」

 ばつが悪そうにする千尋を斎藤が慰めていると、愛想の良い笑顔を浮かべた店員が、かぼちゃのパイとオレンジジュースを運んでくる。
 艶のある焼き目と香ばしい匂いが湯気と共に立ち上るパイに、二人の食欲は大いに刺激される。

「おぉ! うまそうだなぁ」

 いただきます、と手を合わせた後、斎藤は慣れた手付きでフォークとナイフを使い、パイを食べ始める。「うまっ!」と目を輝かせる斎藤を見て、千尋は元気になってから冬木に来るべきだったと、オレンジジュースを飲みながらようやく反省した。

「うまいな、コレ! ほら、千尋も食べろって!」
「ひと口だけ、ひと口だけ……」
「遠慮するなって」

 フォークを押し込めば、ザクッと気持ちの良い音と共にパイが崩れる。中のかぼちゃは適度に形を残しており、大きくカットされたブロックベーコンと和えられていた。バターとベーコン、香辛料、かぼちゃの甘い香りとが混ざり合い、千尋はごくりと喉を鳴らす。

「……うっま!」
「この店に入って正解だったなあ」

 ひと口と言わず、全部平らげたいと気持ちだけが先走る。
 移植直後、痛みにのたうち回っていた間も。その後に昏睡していた間も。まともに食事などしていないのに、これ以上の食事を胃が拒んでいる。

「……う、ぐ……セイバー……! あと、全部……食べて、いいぞ…………ッ!」
「食べづらいわ……。食うけど」

 本当にいいの? と再三確認しながら、斎藤はあっという間にパイを平らげてしまった。千尋はパイの代わりとでも言うように、オレンジジュースの中に浮かんでいた氷をゴリゴリと噛み砕く。

「んで? マスターちゃん、この後のご予定は? 帰る? 工房に行く? 休む?」
「選択肢がひとつしかねぇじゃん。……冬木大橋の向こうにも行きたかったんだけど」
「よーし、じゃあ帰るか!」
「横暴!」

 使い魔サーヴァントの癖に! と抗議をする千尋に対し、斎藤はわざとらしく大きな溜息を吐いた。疲れた表情を作ってしまえば、目の下の隈も相俟って完全にくたびれたサラリーマンである。

「あのなぁ、俺とあれだけ打ち合えた奴が、ちょっと歩いたくらいで疲れるとかありえないの。お前はお前が思っている以上に弱ってるか、痩せ我慢してんのを俺に隠せてないのよ」
「え」
「全部お見通しだっての。使い魔サーヴァントですから?」
「……そこはおじいちゃんじゃないんだ」
「あぁ、それもある」
「ねぇよ」

 行動を制限されているようで、思わず反発したくなる。が、それと同時にその気遣いをこそばゆく思う。

「……じゃあ、工房で」
「了解。あぁ、そう。バスに乗るより僕が抱えて走った方が速いと思うんだけど?」
「えぇー……。…………バスでいいや」

 お姫様抱っこは男としての沽券に関わると、千尋は首を振る。「振られたな」とからかう様に笑って、斎藤は席を立った。千尋もそれに続き、会計を終えて店を出て行く。


 ──ひとり、その様子を眺めていた男が呟く。

「彼がセイバーのマスターか」

 サーヴァントとの関係性は良好……寧ろ、その辺の友人関係よりも親密に見える。
 楽しげに会話をしながらも、一切気を緩めることなく周囲を警戒し続けていたサーヴァントに、どこの英霊だろうかと考えながら、男は静かに笑みを深めた。

 どうやら、“最優”は御三家に応じなかったらしい──と。

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