空花乱墜

 背筋を伸ばし管制室の機器を操作する千尋が、良い姿勢を意識している訳ではなく、ただあの姿勢のまま固まってしまっているだけだと聞いたのは、いつ頃のことだったろうか。藤丸がこっそりと横顔を覗き込めば、目の下には濃い隈が刻まれている。呼吸も確かにしているけれど、心配になるほどか細い気がした。なんというか、静かすぎる──そのくせ指だけはせわしなく動いているのだから、藤丸は「すごいなぁ」と感心してしまう。

「立香ちゃん、俺になにか用事?」

 真正面を向いたまま、千尋が問いかけた。まさか自分が声をかけるより先に千尋が言葉を発するとは思わなかった為、藤丸は思わず「うわぁ!」と声を上げる。特異点で、背後からヒュージゴーストが現れた時でさえ出さなかったような声だ。

「えっと、いま忙しい……ですよね?」
「そうだな。特異点の観測やら機材の調整やら、素材の管理やら……やる事は山積みだけど、立香ちゃんが気にする事じゃないってのは、分かってるよな?」
「はい。適材適所です!」
「その通り」

 それは藤丸が第一特異点・オルレアンから帰還して少しした頃の事だ。
 次の特異点が観測され、レイシフトの準備が整うまでの間、藤丸はカルデアにいる時でも何か役に立てないかと、職員たちに手伝うことはないかと聞いて回った。しかし魔術に関しては素人、技術職の知識がある訳でもない藤丸に出来ることはない。それでも何か、と食い下がろうとする藤丸に、千尋は言った。──「俺たちのことは気にしなくていい」と。

 カルデアにいる限り、職員達が命の危険に晒されることはそう無いが、特異点に赴けば必然的に藤丸は命を懸けなければならなくなる。藤丸の死は実質的な人類滅亡を意味し、それを避ける為、藤丸の生存率──ひいては自分達の生存率を上げる為に、千尋やロマニ達は忙しくしているのだ。
 藤丸がカルデアにいる間にすべきことは、自身の武器として戦うサーヴァント達との絆を深めること。体力をつけて心身共に健康であること。役割を果たすタイミングがずれているだけだから、役に立とうなどと思う必要はない。……千尋は「適材適所だ。特にマシュをよろしく」と、藤丸にそう伝えた。

「分かってるなら俺は安心だけど……お喋りしに来たのか? 俺の息抜きの手伝い?」
「違います」
「違うのかぁー」
「ダ・ヴィンチちゃんに『千尋も引っ張り出しちゃおう☆』って言われて、呼びに来ました」
「ん……? 何を企んでるんだ、ダ・ヴィンチちゃんは。とりあえず10分待ってくれ」
「はーい」

 藤丸は近くにあった椅子に腰かけ、様々な数値やグラフが絶え間なく変化する画面を見る。千尋はどれが何を示しているのかきちんと理解しているようだが、藤丸にはさっぱりだ。

「……んー、よし。これ以上は途中で切り上げられなくなるからやめておこう。お待たせ、立香ちゃん」

 きっちり10分後、千尋はようやく藤丸の方へ顔を向ける。凝り固まった体を伸ばすと、どこかでパキパキと音が鳴った。

「お疲れ様です、千尋さん。それじゃあ行きましょう!」
「行くってどこに?」

 藤丸にぐいぐいと手を引かれ、千尋は中央管制室を出る。ダ・ヴィンチの名前が出ていた為、彼の工房に向かうのかと千尋は予想していたのだが、迷いなく廊下を歩む藤丸の目的地はどうやら違うらしい。
 向かっている先にあるのが召喚部屋だと気づいたのは、一回角を曲がった時である。

 召喚部屋に着くと、ダ・ヴィンチが完璧な微笑みで「ハーイ」と手を振りながら千尋を迎える。「準備万端ですね」と言ったのは、カルデア式召喚の要であるラウンド・テーブルの所有者、マシュだ。

「何? 今から新しいサーヴァントの召喚でもするの?」
「そうだよ。キミたち、この私を差し置いて面白い話をしていたそうじゃないか」
「面白い話? どれのことだか分かんねぇな」
「んもーう、妬けること言っちゃって。……キミの高祖父の話だよ。血縁者が触媒になり得るのか、魔術的に興味深いとも」
「ああ……」

 千尋は眉間を揉み、溜息を吐く。藤丸はサーヴァント召喚の際に必要な魔力源である聖晶石をマシュから受け取り、意気揚々と召喚詠唱を始める。

「素に銀と鉄、礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 藤丸が前に突き出した右拳に刻まれた令呪が俄かに光を放つ。召喚陣の上にいくつかの光球が浮かび上がり、回転し始めた。
 少し離れたところで藤丸の召喚を見守りながら、ダ・ヴィンチはどうも乗り気には見えない千尋に首を傾げる。

「魔術師のクセに、案外興味なかったりする?」
「魔術使いって言ってくれ。……ない訳じゃないが」
「なんだい? その微妙な反応」

 片眉を上げ、千尋の顔を覗き込むダ・ヴィンチ。宝石の如き瞳が、健気に心の内を見透かそうと努力しているようで、千尋は居心地悪そうに「やめてくれ、レオナルド」と言う。

閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ閉じよみたせ。繰り返すつどに五度、ただ満たされる刻を破却する」

 光球の回転は勢いを増し、やがて一本の光帯へと変わる。サーヴァントが来る気配を掴んだのか、藤丸の詠唱にも力が入るようだった。

「──告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、人理の轍より応えよ」
「……?」

 痛みなど久しく知覚していないはずの魔術刻印が疼いた気がして、千尋は胸の辺りを掴む。実際指先に感じる脈は正しく一定のリズムを刻んでいるが、それこそが間違っているような違和感を抱く。……首筋に汗が滲んだ。

「汝、星見の言霊を纏う七天。奔り、降し、裁きたまえ、天秤の守り手よ──!」

 一本から三本へと増えた光帯が収束し、徐々に人を模っていく。既にこのカルデアでは珍しくもなくなった光景だったが、千尋は目を見開いた。

 ──望んだものとは違う形で、記憶が呼び起こされる。
 ──水銀で描いた召喚陣、用意された触媒、魔力が持っていかれる感覚、網膜に灼きつく光と、風の奔流。

 現代的な服装と、非日常的な異質さを象徴する二振りの刀。差し色の橙に目が眩む。

「新選組三番隊隊長、斎藤一だ。親愛を込めて一ちゃんとでも呼んでくれ。……いや、やっぱだめだ」

 “それ”は声を発した。
 千尋の記憶を彩るかのように。千尋が思い出せなくなっていたモノを取り戻すかのように。

「で、あんたがマスターちゃんなわけね。いい面構えじゃないの。あ、そうそう、僕ってば堅苦しいの苦手だから、そんな感じでよろしく」

 愛想よく、サーヴァント・斎藤一は藤丸に笑いかけた。目を丸くして斎藤を見上げる藤丸は、傍にいたマシュと顔を見合わせる。

「さ、斎藤一さん!? 本当に!?」
「うん? ああ、もしかして僕のこと知ってる?」
「わあ本当に来てくれるなんて……あっ! わたしは藤丸立香です!」
「先輩のファースト・サーヴァント、マシュ・キリエライトです!」

 自己紹介を早々に済ませ、藤丸とマシュは振り返った。喜色満面な二人に、千尋は咄嗟に片手で口元を覆う。──胸の内を気取られるようなことがあってはいけない。この二人に、そんな顔は見せられない。己を律し、千尋は一歩踏み出した。

「いや、驚いた。本当に召喚が成功するなんて」
「ほらっ千尋さん、やっぱりわたしの考え、当たってたでしょ! 千尋さんを触媒にご先祖さんを召喚できるって!」
「ははは、そうだな」

 斎藤の前に立ち、千尋はニコリと微笑む。
 見上げていたはずのどこかくたびれた顔が、今や真正面だ。自身の成長と時の流れを実感し、千尋の胸中が急速に冷めていく。

「初めまして。カルデア所長代理補佐、藤田千尋です」
「斎藤さん、千尋さんは斎藤さんのご子孫なのです!」
「へぇ、そうなの」

 英霊召喚とはそもそも、“座”に刻まれてる英霊の一側面のみを切り出して行うものだ。一度“座”に退去した英霊がもう一度召喚されたところで、それは同一人物の別人。前回召喚された記憶を保持していることはない。

 千尋がいくら2004年を何度も回顧しようと、斎藤一が回顧すべき記憶はない。だから「初めまして」だ。──召喚例第二号の時だってそれは理解していた。その上で召喚しようとしたのだ。

「立香ちゃん、俺はお役御免ってことでいいかな?」
「はい! あ、でも千尋さん、せっかくだからカルデアの案内とか……」
「いやいや。そこはマスターがやった方がいいよ。じゃあ俺は管制室に戻るから」
「ありがとうございました、千尋さん!」

 藤丸とマシュに手を振り、千尋が召喚部屋を出る。無機質な廊下を歩く内に、隣にダ・ヴィンチが並び立った。

「ゴーサイン出したのお前だろ、レオナルド」
「だって面白そうじゃない? 血族が触媒になるだなんてさ。実際、斎藤一は召喚に応じた」

 完璧なまでの微笑みを浮かべるダ・ヴィンチは、「これは私の勝手な予想だけど」と眉を下げる。

「キミの望んだ結果ではなかったかな? 千尋」
「いいや? 召喚は無事に成功して、カルデアの戦力が増えたんだ。喜ばしいことだろ」
「……分かった。今はそういう事にしといてあげよう」
「これ以上叩いても出るモンねぇぞ」

 そう言いながらも、千尋はそれ以上追及してこないダ・ヴィンチにひっそりと感謝を募らせた。話せることは何もない、言葉にしたいとも思わない。だからこそダ・ヴィンチの気遣いが有難かった。知られたくない自身の機微を悟ってくれることが。

 管制室に戻ると、千尋は中断させた作業を再開させようと機器に手を置く。

「…………」

 知識に沿った操作をすればいいはずだと分かっているのに、指が動かなかった。……再び、心臓の真上に移植された魔術刻印が疼く感覚に襲われ、胸の辺りを掴む。そのまま俯いて額を付けると、近くを通ったスタッフに「千尋さん、大丈夫ですか?」と心配そうな声をかけられたが、返事をする余裕はなかった。

「…………セイバー……」

 少年が発したか細い声は、誰にも届かない。

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