控馭之術

 脳を揺らす嘲笑。鼻腔を刺す血と脂の焼け付く臭い。耳を劈く悲鳴。臓腑を掻き回す慟哭──ああ、酷い光景だ。本当に酷い光景だが、こんなものは悪夢ではない。
 眠りにつく度に行う作業に過ぎない。あの日の出来事を反芻し、海馬に刻みつける。

 いっそこれが悪夢で、散らされた命たちが恨み言のひとつでも吐いてくれれば、堂々と被害者面をできるのにと、思わなくもないが。

「君は存外、薄情な男だったようだな?」

 レフ・ライノールの言葉だ。
 その時、特異点と映像が繋がらなかったので顔は見えないが、笑っているのは声で分かる。代わりに見えるものと言えば、真っ赤に染まったカルデアスと崩れた管制室だ。

「私に呼ばれたと知っていただろう。何故駆けつけなかった? 己が手で管理し、調整し、準備した機材達が愛おしくはないのかね? ──ないのだろうねぇ」

 心底愉快そうな声色でレフ・ライノールは言う。ここまでは前置きだ。俺の心を、特にこれといって理由もなく、悪戯に抉るための。

「なにせ、私が仕掛けた爆弾にも気づかない程度の関心しか、貴様は持ち合わせていないのだからね!! ハハハハハ! 私の仕事を見逃してくれて、どうもありがとう! 君は密やかなる協力者だよ、藤田千尋!!」

 爆発により崩落した管制室を目にした時から思っていたことだった。そう、レフ・ライノールなんぞに言われなくとも。だが確かに、こうして言葉にして聞かされるだけで、胸の辺りを掻きむしりたくなる。決して短い付き合いではないレフ・ライノールの笑い声が脳を揺らし、吐き気が込み上げてくる。

 毎日、管制室に足を運んでいた。レイシフト実験に必要な、コフィンやシバなどの機材を調整するのが俺の仕事だ。技術部門のスタッフ達が総出で着手し、俺は陣頭指揮を担っていた。
 機材に触れなかった日は無い。そう断言できる。万が一にもレイシフト実験中に不具合が起きれば、集められた48人の命が危ぶまれるのだ。細心の注意をはらっていたはずだ。つもり、と言い換えてもいい。

 ……あの時、俺はなんと言い返しただろうか。言い返せたのだろうか。それはもう思い出せない。

 爆弾を仕掛け、大勢の命を奪ったのはレフ・ライノールだ。
 爆弾に気づかず、たくさんの命を失わせたのは──俺だ。

 そうだ。俺が陰謀に気づかなかった。気づけなかったから、カルデアスタッフ数百名が死に、47名が凍結保存になっている。
 彼女達を殺したのは俺だ。

「いや――いや、いや、助けて、誰か助けて! わた、わたし、こんなところで死にたくない!」

 カルデアスに放り込まれる彼女に、伸ばした手が届くはずもなかった。彼女を救うだなんて傲慢が、今の俺に赦されるものではないと知っていても、手を伸ばし、けれど飛び出すことはできなかった。
 俺を踏みとどまらせたのは、俺自身の理性とロマニ、そして村正だ。仮に手が届いたとて、肉体を失っている彼女が生き続けることはできない。共に死んだとして、それが一体何の贖罪になるのか。

 俺のせいで大勢が死んだ。生き残った人間に負担を強いている。普通の女の子を戦場に立たせている。

 死んで罪を償えるのなら、俺はそうする。けれど、そう、償いになれる程の価値が、もはや俺の命には無い。
 だからせめて、旅の終わりを見届けなければ。未来を取り戻すことが、せめてもの巡礼になると信じて。

 ──この夢は、あの日を忘れない為の作業だ。
 俺が俺自身の罪を都合よく改変しない為の戒めだ。

 目が覚めるまで何度でも繰り返す。
 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度でも。

 ……ああ、また嘲笑が響く。頭が痛い。




 ──瞼を持ち上げ、意識の覚醒を自覚した辺りで、千尋は遠い目をした。
 見覚えのある無機質な天井が、最初に視界に入ったものだ。次に知覚したのは項辺りの違和感。間違いなく村正に意識を落とされた、つまりこの後に待っているのは説教である。

 いっそ起きなきゃよかった、でも仕事あるし……と千尋が考えていると、説教を厭う淀んだ目を覗き込むようにして村正が顔を見せた。どうやら千尋が寝ている間、ベッドの脇に座って待っていたようだ。

「さっきより幾分顔色が良くなったな。ったく、手前の体調くらい把握しろってんだ」
「説教は嫌だ……」
「へぇ? そりゃ生憎だが、今回は儂からの説教だけじゃねぇぜ。──おい、千尋が起きたぞ」

 村正がいる向かい側の間仕切り用カーテンが開き、呆れ顔のロマニが現れる。千尋は「マジで嫌だ……」と片手で顔を覆った。

「それはこっちのセリフだよ。ハァ……キミが倒れたら困るのは他のスタッフ達だ。頑張るにしても限度ってものがある」
「……お前だって変わらねぇだろ、不眠不休で……」
「千尋のおかげで昨日は四時間も眠れたとも。それにボクは医者だからね、絶対に倒れてはいけない。自己管理も仕事の内さ」

 所長代理としてカルデアの責任を一手に背負うロマニは、ともすれば千尋よりも激務に追われているはずだ。優先して医者としての役割を果たしてもらう為に、千尋も自分ができる仕事は全て引き受けているが、所長代理に判断を仰がなければならない事も多い。
 本来であればこんな風に意識を落とされて世話になるなど、代理補佐としてあってはならないことだ。千尋は「耳が痛い」と深い溜息をついて、上半身を起こした。

「気をつけるよ……」
「お、なんだ。今日はやけに素直だな?」

 意外そうに言う村正に眉をひそめ、千尋は首の後ろを擦りながら呟く。

「記憶が飛んでるんだ……。廊下で誰かにぶつかったと思うんだけど、黒いような白いような……ダレイオス三世か……? 壁かと思った」
「アルジュナだろ。……奴さんの言う通り、もっと厳しく見てやるべきか。思いの外重症だな……」

 名前を聞いて、千尋はあの清廉潔白なアーチャーを思い浮かべる。そう言われれば、確かにあれはアルジュナだったかもしれない。ダレイオス三世程の巨躯ではなかった。何か頼まれ事をされたような……と顎に手を当てて頭を捻る。

「地下に用事が……発電所? でもアルジュナが発電所に用事なんてあるかな……」
「……深刻だな。アルジュナに聞いた話じゃ、地下農園の散水機が一つ壊れたってんで修理を頼んだんだと。何でかなかなか直らなかったらしいが、その内に今度はお前まで壊れて、儂にお呼びがかかったって訳だ」
「……そうかー」

 壊れた、というのがどういう状態を指すのかの自覚がない千尋だが、少なからず迷惑をかけたのは申し訳ないと眉を下げる。村正が哀れなものでも見るように「お前さん、行くとこまで行っちまうと、アレなんだよ……」と言った。

「アレってなに?」
「ああ……ほぼバーサーカーみたいなものだよね……」
「バーサーカー!? 待て待て、俺って……え? そんなにやばいの? ホントに俺の話してる?」
「自覚すらねぇたァ……」

 村正の手刀で意識を刈り取られるのは今回が初めてではない。人理焼却が起こる前にも何度かあり、人理焼却が起きてからは多忙さと比例するように頻度も上がった。どうやら毎度壊れている訳ではないらしい、という程度の認識は千尋自身にもあるが、バーサーカーと称される程のものなのかと戦慄してしまう。

「無理矢理寝かしつけようとするとガンドが飛んでくるからよ」
「ご、ごめんなさい……」
「おお、そういやお前さんを宥めすかそうとしてた奴がいたな。アルジュナが見張りを頼んだって言って……危ねえから気絶させろって教えたんだが、見ねェ顔だったな。お前さんが目ェ覚ます前にも一回見舞いに来てたぜ」
「村正が知らないサーヴァント……?」
「おう。ありゃセイバーかアサシンだな、お前さんみたく刀を二本差してやがったぜ」

 名前は聞き忘れた、と言う村正。補足をするようにロマニが「最近霊基グラフに登録されたサーヴァントだね」と言って、手元のタブレットを確認する。

「クラスは村正の言う通りセイバーだ。真名を斎藤一。昨日召喚されたばかりの新顔だね」
「……あー、その斎藤さんが……なんかやばくなった俺を止めようとしてたって? ……俺、ガンド撃ってた?」
「いんや、未遂だな」
「そっか……よかった。……見舞いに来てくれるなんて、やさしいサーヴァントだなぁ……」
「アルジュナと、その斎藤って奴に礼言っとけよ」
「ああ、それはもちろん。うん、はい……ごめんなさい……」

 千尋とて手刀は勘弁願いたい。首の後ろの違和感はすぐに無くなるにしても、村正の説教はその気になればどこまでも伸びるからである。村正が手刀を繰り出す時は100%千尋に非があり、自分の体をもっと大事にしろというのが理由なので、説教から逃げ出すことも当然憚られる。
 しかし記憶まで飛んでしまうのは千尋も危機感を覚えた。いつも以上に反省の色が見られたからか、村正は「二度とさせんじゃねぇぞ」と千尋の額を小突いて、それ以上何かを言う事はなかった。ちなみに村正は毎度「二度とさせんじゃねぇぞ」と言っている。

 医務室に来たついでに定期健診をするからとロマニが言い、それの邪魔になってはいけないと村正は医務室を出て行く。
 千尋は再びベッドに横になり、制服の前を寛げた。胸元に刻まれた魔術刻印が淡く光る。

「“セイバー”を召喚できたのに、あまり嬉しそうではないね?」
「……その話はしたくない。彼は、セイバーじゃないだろ……斎藤一だ。俺との接点はご先祖ってだけ」

 まさか俺が触媒になるとはな。千尋は自虐的に言いながら渇いた笑いを零す。ロマニは目を細め、絞り出すように「その事なんだけど、」と口を開いた。

「多分あの斎藤一には、前回召喚された時の記憶がある」
「……──は?」
「……採血するから腕を出して」
「待て、ロマニ、それは……」

 混乱している千尋に構わず、ロマニは検査を行っていく。

「ロマニ、ロマニ。どういう事だ、だって、サーヴァントは……」
「そうだね。サーヴァントは一度“座”に退去してしまえば、召喚の記憶は記録に替わる。……ただ、今の人理はひどく不安定な状態だ。それにカルデア式召喚は、通常の聖杯戦争で行う英霊召喚と比べて未熟で、隙が多い」

 事実、現在カルデアに召喚されているサーヴァントの中には、前回召喚された時の記憶を仄めかすサーヴァントが何騎か存在する。生前に接点がないはずの英霊同士が、まるで既知であるかのように言葉を交わしていたり、以前自分のマスターとなった者の存在を語ったり。どこかで召喚された際の記憶をそのまま持ち越しているなら、そのやりとりも不思議ではない。

 召喚例第二号として斎藤一が来たとしても、千尋は聖杯戦争の記憶を持っているとは考えていなかった。……人理焼却とカルデア式召喚の事を考慮すれば、望み通りに召喚例第二号に斎藤一が召喚されていたとして、記憶は持っていなかったろう。

 マスターが変わってしまえば尚の事、聖杯戦争の記憶など。そう思って、千尋は他人として接したのだ。彼を『セイバー』などと呼んだりはしなかった。

「こう言ってはなんだけど、自分のサーヴァントに医務室へ連れて行かれた、マスターでもない人間のお見舞いに来るような性格には見えないけどね、彼」
「…………」
「他でもないキミだから気にかけているんだと思うよ」
「…………やめてくれ」

 口にしてはいけないと自制し続けている言葉がいくつもある。言葉として発してしまったが最後、身勝手に誰かを傷つけることになると自覚しているからだ。ひとりの人間として、マスターとして、大人として。言ってはいけないと飲み込み続けている言葉が、千尋の心を苛んでいる。

 下唇を噛んで顔を顰める千尋を横目に見るロマニは、検査結果をパソコンに入力し、前回のものと比較する。

「……魔術刻印の状態はあまり良くない。こうして普通に生活できていられるのが不思議だよ、本来なら痛みでそれどころではないだろうからね」
「刻印の痛みなんて久しく感じてないよ」
「ああ。キミが無理を押して働き続けられるのも……うん、根性三割責任感五割、魔術で痛覚を鈍くしているのが二割ってところかな。何度も言うようだけど、医者としてはその魔術の使用は認められない。痛覚は人間の生存本能に基づいたアラートだ。痛覚の麻痺は、結果として様々な場面でキミの寿命を縮めることになる」

 元々斎条家の人間ではない千尋に魔術刻印を移植する際、斎条家は刻印の“根”を千尋の心臓に植えつけた。
 明確な異物を刻まれた千尋の肉体が拒絶反応を起こすことは想定内。しかし次代の斎条家の人間が育つまでの繋ぎである千尋に死なれては困る。故に、人間にとって必要不可欠な臓器である心臓と接続し、肉体に「この魔術刻印は必要な物である」と誤認させたのだ。

 それでも異物は異物。刻印は千尋の体を蝕んでいる。
 斎条家の人間は、千尋を30歳まで生かすつもりはなかったのだろう。刻印のせいで魔術回路は傷み、内側から体が壊れ始めているのを、千尋は魔術で誤魔化し続けている。

 ロマニは千尋の体に浮かぶ魔術刻印をなぞり、額に八の字を寄せる。

「魔術で騙し騙しやっていけるキミの裁量を褒めるべきか、血統ではない他人の肉体にここまで魔術刻印を馴染ませられる斎条家を褒めるべきか……」
「褒めるなら俺だけにしろって。……まあ、腐っても平安から続いた家だ。対人の呪いに関しちゃ一級品だろ」

 初めに『斎条』という姓を名乗ったのがどのような人物だったのか。千尋は知らないし、知りたくもないのだが、日本という僻地でルーン魔術を研究していた変わり者であるのは確かだ。日本の呪術とルーン魔術は、存外相性が良いらしい。

「この刻印さえ引き剥がせれば、あるいはキミも……」
「ん? あー、そういえば……昔、時計塔にそういうのが出来る奴がいるって聞いたことがあるな。調律師……だっけ? 名前も顔も知らないけど」
「……本当はボクがやってやれたらいいんだけどね。現状維持と定期健診が精一杯なのは歯痒いよ」

 膝の上に置いた左拳を握り締めるロマニに、千尋は眉を下げる。

「惜しくなることを言うなよ」
「この程度でキミが生きる気になるなら、ボクは何度だって言うとも」
「別に死ぬつもりはないんだぜ?」
「長生きするつもりもないくせに」

 ロマニが千尋の魔術刻印のことを知ったのは、千尋がカルデアに赴任した一年後のことだ。その際に医者として告げた活動限界は残り十五年程。
 ……千尋が魔術を一切使わず、ロマニが最善の状態を保ち続けることができたのなら。そんな希望的観測だ。

「ボクは医者だからね。きちんと真実を伝えなければならない……。……友人にこんな事は言いたくないけど、あと三年……いや、二年……生きられればいい方だ」
「そうか。まあ、うん。自分の事は自分が一番よく分かる」

 自身の余命を告げられてなお、千尋は顔色を変えることなくあっさりと受け入れた。概ね、最初にロマニが予測した活動限界通りだと、医者としての手腕を賞賛すらしてみせる。

「お前が主治医じゃなかったら、マリスビリーの奴より先に死んでそうだしな」
「…………皮肉でも何でもないところが、嫌だな。……刻印を弄ったのは、死期を悟っているからか?」
「ああ。全体の八割でも、一番神秘の濃い部分は貰い受けてるからな、この刻印が貴重な物だっていうのは分かる。……だから俺の死と共に燃やす」

 現代に伝わるルーン魔術では、死体のひとつも燃やし尽くせないが、原初のルーンは違う。
 カルデアでキャスタークラスのクー・フーリンから原初のルーンを学んだ千尋は、自身の死をトリガーに起動するルーンを刻印に付け加えた。

 斎条家に対する復讐だと千尋は笑う。
 中途半端にどこかで紡がれることもなく、誰かの研究材料になることもなく、斎条家が潰えるように刻印も消える。

「……なぁ、千尋。キミは、今ボクとしている話を、斎藤一にもできるかい?」

 ロマニの言葉に、千尋は息を詰まらせた。前髪をぐしゃりと握り締める。

「……俺と関係ないだろ、斎藤一は。もう。立香ちゃんのサーヴァントだ」
「うん、その通りだ。だからこそ、キミはきちんと思っていることを伝えるべきだよ。キミの命以上に、カルデアに残された時間も短いんだ」

 それに、とロマニは少し言いづらそうにしながらも、口を開いた。

「あまり、死者に肩入れするのはよくないよ」
「…………。……そう、だな。うん……」

 ──聖杯戦争の頃は、そうでもなかったように思う。
 千尋には、斎藤一が何を考えているかが分からない。

 マスターとサーヴァントという繋がりが無くなってしまったから分からないのか。
 十二年という月日がそうさせているのか。

「はぁー……情けないなぁ、女々しいなあ。いい大人がさぁ……」

 もしも、を夢想する。

 もしも、聖杯戦争で優勝していたら。
 もしも、セイバーの受肉が叶っていたら。

 ──きっと自分はもっと必死になって、長生きする道を模索しただろうと、思ってしまった。

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