再思三省

 斎藤が時間を空けてもう一度医務室へ訪れると、扉の側で村正が腕を組んで壁に凭れかかっていた。斎藤に気づいた村正は「よう」と片手を挙げる。

「千尋ならついさっき目を覚ましたところだ」
「そりゃよかった」
「今は診察中だ。話してぇならもう少し待ってな」

 診察? と小首を傾げながら、斎藤は扉を挟むようにして壁際に立つ。

「どこか具合でも……、あーいや、悪いか……」
「ハハッ、あれとは関係ねぇよ」

 “あれ”とはもちろん、寝不足が行き過ぎてバーサーカー状態になった千尋のことである。あんな状態になるまで働かざるを得ないカルデアの労働環境は一体どうなっているのかと、斎藤は苦言を呈したい。しかしカルデアの設備を把握しようと歩き回っていれば、すれ違うのはサーヴァントたちばかり。施設の大きさの割に、職員が少なすぎる。何かしらの──人理焼却に関連した──事情があるというのは分かった。千尋が言っていた“所長代理補佐”という肩書きから察するに、千尋はカルデアでそれなりのポストにいるのだろう。誰よりも忙しなく働いて見えるのはそれが理由か。

「定期健診ってヤツだ。ここで働いてる奴は全員受けてるが、千尋の場合は刻印がどうのと──」
「刻印……? …………刻印ってのは、魔術刻印のことか?」

 斎藤の脳裏に過ぎる、かつての“記録”。村正からその言葉を聞くまで思い出せなかったもの。しかし一度想起出来てしまえば、後は芋づる式に記録は熱を持つ。

 食い気味に問う斎藤に、村正は少し驚いた様子で「詳しくは知らねェぞ」と言う。

「その魔術刻印ってのに関して、千尋は話したがらねぇんだ。だから儂も聞いてない、魔術師でもないんでな。……嫌な記憶でもあんのかね」
「…………」

 恐怖で体を震わせるほどの、身動きが取れなくなってしまうほどの、血反吐をはくほどの、苦痛が与えられていたと斎藤は知っている。“魔術刻印の移植”という行為がどうやって行われるのかを、斎藤は直接見てはいないが、まともな行為で強いられる苦痛ではないだろうとは思う。
 まさか、あの時自分が止められなかった行為のせいで、今の千尋が苦しんでいるのではないか。そんな考えが過った。

「お前さん、魔術に詳しいクチかい?」
「え? いやいや、僕は魔術とはなんの縁もありませんよ」
「その割にゃ魔術刻印なんて言葉、よく知ってんな? 千尋のこと気にかけてんのも、何か理由があるんだろ」

 遠回しに、単なるお人好しではないんだろうと指摘されたようで、斎藤は苦笑する。確かに、寝不足でバーサーカー状態になる他人を止めたとして、医務室へ運ばれたところを見たならそれで済ませていただろう。二度も足を運んだのは、それが千尋だったからに他ならない。
 別に隠すことでもないなと判断し、斎藤は「実はね」と話す。

「僕の玄孫なんですよ。縁って不思議なモンでしょ?」
「玄孫!? へぇ、そりゃまた……。……お前さん、ちぃとばかし刀を見せちゃくれねぇか」
「刀? はあ、どうぞ」

 腰に佩いた二振りの内、一振りを鞘ごと抜いて村正に渡す斎藤。他人にそう易々と刀を触らせるべきではないとは分かっているが、相手が後世まで名を遺した腕利きの鍛冶師となれば話は別である。村正は鞘から抜いた刀をじっと見つめると、フッと笑みを零す。刀はすぐに斎藤へ返却され、村正はひとり頷いていた。

「なるほどなァ」
「?」
「ヘッ、道理で……」

 刀をひと目見ただけで、何を理解したのか。村正はどうやら、斎藤に答えを語り聞かせる気はないらしい。

 その時、医務室の扉が開く。

「村正ー、お待た……せ」

 パスが通じている村正はともかく、扉の近くに斎藤が立っていることは気づいていなかったのだろう。千尋は目を丸くし、一歩後退る。その肩に両手を置いたロマニが、千尋を廊下に押し出しながら村正に声をかけた。

「村正。悪いけど、このバカは一人だと働きかねないから、監視して最低でももう半日休ませておいてくれ」
「え……、ちょっ、おいロマニ。そんな暇は」
「おう、任せとけ。医者の言う事は聞くモンだろ、マスター?」
「…………分かったよ」

 千尋が渋々ながらも頷いたのを確認すると、ロマニは満足げな顔で「あまり扉の前で長居はしないでくれよ」と言って、中へ戻る。医務室の扉が閉まると、千尋は一瞬視線を下げて、斎藤に申し訳なさそうな笑みを向けた。

「ドクターに聞いたけど、何か……迷惑をおかけしたみたいで、すいませんね。見舞いも、どうも。もう大丈夫なんで」

 言うだけ言って踵を返そうとした千尋に、斎藤は言葉をかける。

「大丈夫じゃないだろ? お前がそう言う時は」

 千尋は眉尻を下げる。この場で唯一事情を知らない村正が、不思議そうに千尋と斎藤を見比べた。

 ──ロマニの勘が当たっていたとは。

(本当に“セイバー”だった斎藤一なのかよ)

 初めに召喚されたのは血という縁があったから。ならば今回召喚されたのは、血に加えて元マスターという縁があったからか。
 千尋の中の記憶がそうであるように、きっと聖杯戦争での縁は、濃く強いものに違いない。マスターもサーヴァントも、正真正銘命を懸けてあの戦いに臨んでいたのだから。
 聖杯戦争で千尋と共に戦った斎藤一が召喚されたのは、それが理由だろう。

「ああ……うん、確かに大丈夫じゃないかもしれないな」

 千尋は努めて静かに、言葉を選んで発すると、村正の肩を軽く叩いた。

「だからちゃんと休むよ。村正、行こう」

 早々にこの場を去りたがっている千尋の意図を察し、村正は斎藤に「またな」とひと言告げて背を向ける。

 遠ざかっていく千尋の背中が、斎藤に「話しかけるな」と言っている様で、斎藤は後頭部を掻く。

(……何だ? あの態度……)

 斎藤には、千尋に避けられる理由が分からない。
 聖杯戦争に敗けたからだろうか。そりゃあ斎藤だって、勝てるものなら勝ちたかった。死力を尽くした結果が、ライダーとの相討ちだったのだ。千尋が10年以上も、敗退は斎藤のせいだとネチネチ気にし続ける性格には思えない。
 聖杯に懸けていた自由になりたいという望みも、きっと叶っているのだろう。千尋は『斎条』を名乗っていなかった。藤田という姓は斎条家に引き取られる前のものか、後から名乗り始めたものかは斎藤には分からないけれども。斎藤の言葉通りに逃げ出せたのだと信じたいものだ。

 良好な関係を築いていたはずだった。死ぬことを心底惜しまれた程度には、親愛の情を向けられていた。──置いていきたくてそうした訳ではないと、千尋ならば分かってくれているはずだ。

(一度じっくり膝を突き合わせたいもんだけど……)

 そうは思えど、なんだかんだと理由をつけて逃げられる気しかしない。加えて今回の件を鑑みるに、千尋は斎藤の為に時間を割けるほど暇ではなさそうだった。
 どうしたものかと頭を捻り、思い付く。

(マスターちゃんに相談してみるか)

 あの天真爛漫という四字熟語が似合う少女ならば、何か妙案を出してくれるかもしれない。千尋ともどうやら仲が良いようだし。

 そうと決まればと、斎藤は千尋と村正が歩いて行った方とは逆方向に足を向けた。





 村正の自室は、村正のクラススキル〔陣地作成:A〕により魔改造され、鍛冶工房の様相を呈している。入ってすぐにあるのは畳と囲炉裏、分厚い扉を隔てた向こう側に炉がある。元々はベッドやテーブルなどの最低限の物しか置いていないワンルームで、大した奥行はないはずなのだが。
 セイバークラスの癖に、キャスタークラスの〔陣地作成〕を持っているのは何なのか。唯一契約したサーヴァントとしては頼もしい限りではある。

 千尋は勝手知ったる部屋の棚から座布団を出し、折り曲げて枕代わりにして畳に寝転がった。

「なんか食うか?」
「んー、いや。飯は後でいいや」

 千尋の返事を聞いた村正は、どっかりと腰を下ろす。胡坐をかき、片膝に頬杖をついた。

「聞いたぜ。お前さん、斎藤の玄孫なんだってな?」
「ああ、そうだよ。俺のじいちゃんのじいちゃんがあの人。……本人に聞いたのか?」
「おう。知ってんなら、なんで避けてやがる?」
「……別に避けてるわけじゃないけど」

 言ってすぐ、千尋は(いや避けてるか……)と思う。色々と消化し切れていないのだ。

「親戚って言っても、会ったこともないし、相手はサーヴァントだし、……俺はマスターじゃないし。あんなもんだよ」
「剣を真似といてよく言うぜ」

 溜息混じりに言う村正に、千尋は目を瞬かせる。

「玄孫だって聞いてもしやと思って刀を見たら……全く、無茶な使い方しやがる。悪かねェ刀だったな、滅茶苦茶に振り回しても着いて行けるヤツはそう多くねぇだろ」
「…………」
「至ろうと躍起になってんのは、斎藤の剣だろ。なぁ、マスター?」

 その通りだと言葉にするのも何だか気恥ずかしく、千尋は口を噤むしかなかった。だがこの状況における無言は肯定の意だ。

 ……千尋は未だ、対人魔剣の領域には至れていない。鍛錬を怠ったことはないし、ここ最近メキメキと剣術が上達している自覚もあるけれど。
 その理由は、クー・フーリンにルーン魔術を教わる過程で目を付けてきた、彼の師匠であるスカサハだ。千尋はきっとスパルタも真っ青な指導を受けている。
 どういう環境に身を置き、剣を振るったか──命のやり取りを行っていたか否か。その差異は大きいと考えていた千尋だが、スカサハには容赦も遠慮も温情もない。普段は特異点に赴くことはないとか、スカサハのマスターではないとか、そんなことは関係ない。いちスタッフとして死なれては困るので、一応加減はして、死なない程度に殺してくる。
 千尋が考えていた命のやり取りやそれを行う環境というのはそういう事ではなかったが、強さを得られたのは事実である。

 それでも、まだ足りないのだ。
 あと一歩か、五歩か、──かつて見た背中はどこまでも遠い。

 気さくに「鍛えてもらえよ」と言う村正に、千尋は生返事をした。

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