千尋は刀を鞘に収め、息を吐く。シミュレーターを使用した鍛錬は三日ぶりだった。
バーサーカー状態になって無理矢理休養を取らされたのが、およそ一週間前の出来事だ。しっかりと休んだ方が仕事の効率は上がるなと、村正に意識を刈り取られる度に思うが、働いている最中は「この仕事が終わったらキリがいいから休もう」を無限に繰り返してしまう。
職員の気遣いと頑張り、千尋の向上心、スカサハの圧……その他諸々が噛み合って得た、貴重な鍛錬時間。スカサハは他にやることがあるとかで、今日は自主鍛錬に落ち着いている。それが惜しいような、胸を撫で下ろしたくなるような、少しばかり奇妙な気分で、何気なく空を見た。麗らかな青空が広がっている。
次は、とエネミーの追加指示をしようとした声が、自分ではないものと重なった。
「おー、こりゃすげえ。ホントに山ン中みたいだ」
「セ……!」
突然現れた斎藤に、千尋は『セイバー』と呼びかけた口を咄嗟に手で塞ぐ。
どうして斎藤がここに来たのか。疑問は尽きず、思考は混乱を極める。千尋は深く息を吸い込んで冷静さを取り戻すと、斎藤に問うた。
「…………えーっと、あと一時間くらい……俺に使用権があるはずなんだけど?」
「ああ、知ってるよ。別にこの場所を譲れってワケじゃなくてな? お前がここにいる間は、腰を据えて話せるだろうって、マスターちゃんが言うもんだから」
「………………あ?」
斎藤が藤丸に何をどう尋ねたのかは知らないが、その助言に一切の悪意がないことは分かる。それでも千尋は密かに拳を握り締め、(余計なことを……)とささやかな恨みを少女に募らせた。藤丸は2004年のことも、千尋の胸中も知り得ないのだから、全く理不尽なものだ。
「悪いけど……俺には話す事なんてないぞ」
「積もる話があるだろ? そう釣れないこと言わずにさぁ。…………だが、ま。その前に──」
瞬間、千尋の背を駆け抜ける悪寒。後方へ跳んで斎藤から距離を取りつつ、腰に差した刀を抜いた。
殺気だ。首筋に刃を当てられたとすら錯覚するそれを向けておきながら、斎藤は感心した様子で頷いている。
「悪くねぇ反応速度だな。十二年の間に何があったか聞く楽しみができた」
「……何のつもりだよ」
「何って、稽古に決まってんだろ。僕が召喚された時にもいた、あの別嬪さんに言われたのよ。“男同士なんだから拳で語り合え”ってな」
唐突に呼び起こされた十二年前の記憶と、千尋の眼前にいる斎藤の姿が重なる。“聖杯戦争の前哨戦と行こうや”などと言って竹刀を向けてきたセイバー。……今、斎藤が手にしているのは紛うことなき真剣だ。
「お前に授けた無敵流……俺に見せてみな」
額に滲んだ汗が頬を伝う。理想として追った剣士を前に、千尋は自身の口角が俄かに上がるのを感じていた。
……それはそれとして。
(レオナルドは後で殴る!!)
◆
──千尋のことを問うと、藤丸は少し怪訝そうな目を斎藤に向けた。
「気になるの? どうして?」
「そりゃあ……玄孫のことは気になるでしょ、おじいちゃんだし」
「千尋さん本人に聞けばいいのに、おじいちゃんなんだから」
「うーん、そうなんだけどね? なんか避けられちゃってるみたいで」
寂しい想いしてんの、と言う斎藤に、藤丸は首を傾げながらも「そっかぁ」と同情的な表情を浮かべた。
「斎藤さん、千尋さんに何かしました? 避けるなんて、絶対なにか理由があると思います。千尋さん人当たりがいいから、わたしが召喚したサーヴァントたちとも仲良くしてるし」
「何か、ねぇ……」
腕を組んで考える素振りを見せる斎藤。
何かした、と言うのであれば、聖杯戦争で負けたことだろうか。2004年のことを話すべきか否か、千尋が“斎条”という姓を捨てていることを考慮して、斎藤は藤丸に探りを入れる。
「マスターちゃんは僕の玄孫のこと、どれだけ知ってる? 昔話とか」
「え? うーん……この前、ドクターと会った時のこと聞いたくらいかなぁ。仲良しなんですよ! たしか千尋さんが1……8? くらいの時のこと。子どもの時の話は、そういえば聞いたことないかも」
「……ふーん、そっか」
召喚された時の会話を思い返すに、千尋は自分が“斎藤一の玄孫である”とは語っているのだろう。千尋自身を触媒にしようと考えたのは、どうやら藤丸らしかったが。
聖杯戦争に参加していた時の千尋は17歳だった。それ以前のことを話していないのは、機会がなかっただけか、話さないようにしているのか。
ともかく、前回の召喚についてはひとまず口を閉ざしておくべきだろうと判断し、斎藤は悲し気な顔で溜息を吐いた。
「生憎、僕には避けられるような心当たりが全くなくって。何かしちゃったなら、ちゃんと謝りたいじゃない? でもほら、忙しそうにしてるでしょ彼。どうにか捕まえられないかなって相談」
藤丸はじっと斎藤の顔を見つめ、言葉の真偽を計る。
千尋がわざわざ距離を置こうとするのには、必ず理由がある。それでも斎藤に何かしらのアドバイスをするべきだろうか。自分が気安く関与していいものか。
藤丸はううんと唸りながらしばらく考え込み、もう一度斎藤の気の抜けた笑みを窺って、息をついた。
「……そうだなぁ。千尋さん、時々シミュレーションルームで鍛錬してるんです。……スカサハ師匠に扱かれてる時もあるけど……。ひとりの時だったら、そこでゆっくりお話できるんじゃないかなあと、思います」
いい事を聞いたと言わんばかりに、斎藤は笑みを深める。
「そうか。いやぁ〜やっぱりマスターちゃんに聞いてみて正解だったわ! ありがとね」
「うーん、怒られないといいなぁ……」
「怒んないでしょ。……ちなみに鍛錬ってどんなことしてんの?」
「刀を二本持ってジャキンジャキンー! って! エネミーをどんどん倒して、サーヴァントみたいなことしてます!」
「へぇー、二刀流かあ。ふぅーん」
間違いなく自分の影響だと斎藤は確信する。誰もいない朝の静けさが満ちた道場で、ひとり竹刀を持って振るっていた頃は一刀流だった。それが二刀に変わったというのであれば、自分が戦う姿を見たからに他ならないだろうと思う。
であれば、やはり避けられている理由は分からなかった。無敵流を極めたいと思っているのだろう、その中には斎藤への憧憬もあるのではないのだろうか。
(……ま、吐かせりゃ分かることか)
せっかくもう一度出会えたのだから。
斎藤は対話を望んでいた。
◆
自身の成長を確かに感じ、笑っていられたのは最初だけだった。
互いに斬撃を繰り出し、躱し、いなし、防いで、容赦なく相手に斬りかかる。急所に向けて振り抜かれる刃を、甲高い金属音を響かせながら弾き、千尋は距離を取った。
「ハハッ! 刀見切るだけで酔ったりしねぇのかよ!」
「あ? いつの話してんだよ」
千尋の戦闘スタイルが確立されたのは、それこそ十年以上も前だ。身体強化を行い、刀を振るう。腕力や脚力はもちろんのこと、他でもない自分の動きについて行く為の視力強化。膨大な視覚情報を、馬鹿正直に脳で処理していたのは最初の頃だけだ。
そういえば、身体強化を思いついたのはセイバーとの稽古がキッカケだったっけ──と懐古する。
同じ空間で過ごし、言葉を交わす程に、眼前の『斎藤一』が、共に聖杯戦争に臨んだ『斎藤一』の記録を保持していると思い知らされる。本人の自覚如何によっては、同一個体だとも言い張れてしまうだろう。
“座”に刻まれるほどの記憶だったのか。
カルデア式召喚と焼けた人理の不安定さ故か。
どちらにせよ、これ程千尋にとって虚しい事はない。
「…………セイバー」
「ん? どうしたよ? まさかもうへばって──」
「ッ返事してんじゃねぇよクソッタレ!」
怒鳴り、再び斎藤へ向かう千尋。その激情に驚いた様子を見せながらも、斎藤は難なく脳天目掛けて振り下ろされる刀を受け止めた。
魔術師ならばそれくらいは、と納得できる範囲ではあるものの、斎藤の記憶とは比べ物にならない膂力に苦笑いを零す。
柄を握りしめる手に沸き上がる感情と比例するだけの力を込めて、千尋は叫ぶ。
「なんで、なんで今更召喚に応じた!」
「? そんなの、」
「何の記憶も記録もない、ただの斎藤一として召喚されりゃよかったのに! なんで覚えてんだよ、あの時のことも俺のことも! ──もう、オレはマスターじゃないのに」
押さえ付けていた悲鳴が、音として溢れ出した。
こんなものはワガママで、子どもの癇癪で、自分の内側で消化し切るべきもので。マスターだから言葉にしてはいけないと考え、大人だから口を噤むべきだと己を律していた。
「オレの召喚には応じてくれなかったクセに、なんであの子の召喚には応じたんだ! なぁ! セイバー!!」
──他人にこうも胸の内を晒すことなどありえない。自己嫌悪という堰を斬ってしまったのは、セイバーだからこそだった。
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