垂涎三尺

「すごい……」

 本当にあの人は人間なんだろうか。思わず感嘆の声を漏らした藤丸は、シミュレーションルームの一室を映し出すモニターを見入る。
 木々が障害物として乱立する山中を縦横無尽に駆け、サーヴァント・斎藤一と斬り結ぶ千尋。剣術を極めることを目標として掲げ、スカサハや村正、クー・フーリンらと鍛錬をしていることは知っていたが、実際にサーヴァントと戦っている姿を見るのは初めてだった。

 どうしてサーヴァントの動きについて行けるんだろう。藤丸の内に湧いた疑問に答えるように、同じくモニターを観るキャスタークラスのクー・フーリンが口を開く。

「そりゃウチの師匠が唾つけてんだ、あれぐらい出来なきゃな」

 あれぐらい、と言ってしまっていいレベルなのだろうか。藤丸立香はわからない。クー・フーリンは続けて「本気じゃねぇんだから」とも言いのけた。あれで? と目を丸くした藤丸は、クー・フーリンの横顔とモニターを交互に見る。

「互いにな。斎藤は本気じゃないし、千尋も……剣術って一点だけを見るなら、何とか食らいついてるって感じか。生身の人間がサーヴァントと互角ってのはさすがに無理だろうが、ルーンを使えば一撃くらい入れられんだろう……」

 クー・フーリンは、自分が教えたルーン魔術を千尋が使おうとしていないことに、少々不満げだ。

「そりゃあ、ウチのマスターは魔術師じゃなくて剣士だからなァ? テメェの技量で勝負してぇんだろ」

 藤丸を挟むようにして、クー・フーリンとは反対側に立つ村正がそう言った。クー・フーリンが口端を引きつらせる。

「あぁ? オレの教えたルーンがオマケとでも言いてぇのか?」
「おっと、そう聞こえちまったなら悪ィな。…………ま、実際は相手の問題だろ。同じ流派、同じ型──って言うには形が無ェが……自分テメェの技量が如何程か確かめるなら、ちまちま文字なんて書いてる暇はねぇわな」

 フン、と鼻を鳴らすクー・フーリン。藤丸は、村正の言葉を聞いて初めて、斎藤と千尋が同じ剣術を収めているのだと気づいた。……気づいたところでもう一度食い入るようにモニターを見つめても、同じ流派だとは思えなかったが。

「……ていうか、どうして千尋さんと一ちゃんが戦ってるの? 一ちゃん、お話したいって言ってたはずだけど」
「血気盛んな男が語り合うんだ。コレ以外ないだろ?」

 シミュレーター内を操作する機器の前を陣取るダ・ヴィンチが、ウインクをしながら得意気に言った。「ダ・ヴィンチちゃんの差し金か……」と藤丸は息を吐く。話をしたいのであれば、と千尋がシミュレーターを使っているタイミングを斎藤に提案をしたが、こうなるとは全く予想していなかった。千尋本人が納得しているのならいいけど、と些か申し訳なく思う。

 少しして、一度斎藤と距離を取った千尋が何かを叫ぶ。音声は届いていないものの、鬼気迫る様子に藤丸は戸惑った。

「どうしたんだろう……?」

 藤丸は、あそこまで感情を剥き出しにしている千尋を見たことがない。それはクー・フーリンも同様で、「斎藤が何か言ったのか?」と首を傾げた。ダ・ヴィンチも意外そうな顔をしていたが、唯一、千尋と契約している村正は目を細めて真剣にモニターを見据えた。

「ふむ……音声を繋げてみようか」

 ダ・ヴィンチが機器を操作し、シミュレーションルーム内の音声がスピーカーから聞こえ始める。

 ──その叫び、嘆きは、慟哭と表現してもよいのかもしれなかった。

《……ったから、マリスビリーの口車に乗ったんだ! じゃなきゃ、どうしてあのいけ好かない魔術師の下で働けるって言うんだ! オレが、オレが召喚したかったのは……あんただけだ!!》

 その口は確かに《村正じゃない、》と言葉を模り、声に乗せた。藤丸は思わず村正を横目に見るが、彼は何も言わない。

「千尋が前所長……マリスビリーにスカウトされたのは知っていたが、英霊召喚が交換条件だったとは。魔術師嫌いな彼が真面目に働いていたのは、斎藤一が理由だったのか」

 ダ・ヴィンチは、斎藤の召喚に千尋が乗り気ではなかった理由を知る。ただ斎藤を召喚したかった訳ではなく、自分がマスターであることも重要だったのだろうと。

「村正。キミは確か、触媒に引かれて召喚に応じたんだったね?」
「ああ。儂を召喚した時に千尋が差してた刀は、生前儂が打ったヤツだった。……アイツはそれを知らなかったみてぇだがな」
「……そうか。彼は知っていたんだね。藤田千尋その人が、斎藤一の触媒足り得ると」

 何故斎藤にこだわるのか。どのタイミングで自分が触媒足り得ると確信したのか。ダ・ヴィンチは「千尋もなかなかの秘密主義だな」と呟き、緩く首を振る。

《なんで、オレに応えてくれなかったんだ。なんで、立香ちゃんには応えたんだ! オレはずっと、セイバーと一緒にいたいって思ってたのに……! オレが……オレが……、あの時、》
《待て、お前まさか……今までずっと……》

 ダ・ヴィンチが音声を切ると、少しの沈黙の後、藤丸がおずおずと呟いた。

「……わたし、一ちゃんを召喚しない方が、よかったのかな……」
「いや。嬢ちゃんは何も悪かねぇ」

 すぐに、そう力強く言い切ったのは村正だ。藤丸が「でも、」と不安げに言葉を続けようとするのを遮り、村正は千尋の言動を「ただの甘えだ」と断言した。

「言っていい事と悪い事の分別くらい付けてんだろう。思ってたとしても言っちゃならねェと判断した事をこうも吐き出してんのは、斎藤なら許すなり受け止めるなりすると思ってんだ」

 呆れたように溜息をつく村正。召喚したかったのは村正じゃない、という本音を聞いたところで、別段怒りはなかった。──そのくらい、もうとっくに気づいていたのだ。ともすれば、召喚されたその日に。

 千尋はすぐに取り繕っていたし、村正自身気のせいだと思えてしまう程度の機微だった。けれども、確かにあった落胆。あるいは絶望か。
 マスターとサーヴァントという関係性を今日まで続け、ひとりの青年の人柄を知っていけば、気のせいではなかったのだと気づくことができる。

 決して村正の前では零さなかった本音だ。それは村正への遠慮と敬意故。……そしてやはり、斎藤への甘えだ。
 千尋は、どこかでサーヴァントである斎藤と同じ時間を過ごしたのだろう。そしてその時間よりも余程長く、村正は千尋と契約している確信があった。

 怒ることでも、失望することでもない。良心があるからこそ本心を押し込め続けていたことに関しては、大変だったろうにと同情さえ覚える。

「お前さんも、飯食っててひと口くれって言える相手と言えねぇ相手がいんだろ? 簡単に言やそういう事だ」

 村正の例えに、確かに……? と小首を傾げる藤丸。

「それにだ。英霊になってんなら、いずれはどっかで縁結んで召喚されてただろ。早いか遅いかの違いしかねぇ」
「……千尋さん、おじいちゃんだから一ちゃんのこと召喚したかったのかな?」
「さてね。後で根掘り葉掘り、聞かせてもらおうじゃないか」
「そうだな」

 ──モニターに映し出される千尋は、何度も目元を乱暴に拭っていた。





 もしも、を何度も夢想した。
 回想するのは、自分を庇い、ライダーの攻撃を受けるセイバーの姿。

 ……もしもあの時、自分がライダーに気づかれなかったら? 戦線離脱が叶い、セイバーが相討ちになることはなかったのではないだろうか。
 もしも自分が魔術師として、より優秀だったなら、あの時のセイバーが負った傷さえも、治癒することが出来たのではないだろうか。

 もしも、もしも、令呪があと一画あったなら。

「セイバーが負けたのは、……負けたのは、オレの……」
「違う。……違うから、自分を責めるのはやめろ」
「…………」
「聖杯戦争で負けたから、お前の召喚に応じないなんて事はない。今回の召喚だって、俺はお前との縁を辿ったんだ……まあ、マスターは女の子だったけどな」

 千尋の感情の昂りを宥めるように、斎藤は穏やかに言葉を紡ぐ。押さえつけていた心の内を叫び、肩で息をする千尋は、そのひと呼吸を徐々に長いものにしていった。理性的にならなければと、千尋自身分かっているのだ。

「…………縁、は…………あるのか」

 千尋は呟く──辺りに満ちる葉が擦れる音にかき消されそうな程の声で。それはきちんと斎藤の耳に届き、斎藤は「当たり前だ」と返事をした。

 きっと、本人がそう言うからにはそうなのだろう、と千尋は思う。たとえ千尋へ向けての優しい嘘だったとしても、セイバーの言葉は信じたい──それだけの信頼を斎藤に抱いている。

 ……数年前のことを回想する。村正を召喚した時、千尋は自分の他に英霊召喚の触媒になる物はないと思っていた。斎条家の追跡から逃げる旅の道中、日本ではないどこかの国で叩き売られていた物だ。海と共に時代を流れ千尋の手に渡った刀が、まさか千子村正の作だとは思わない。
 いざ村正を召喚し、マスターとサーヴァントとして関係を築き、人となりを知ってみれば、刀に対して並々ならぬ情念を燃やす彼が召喚に応じるのも当然だった。血の繋がりを辿る斎藤よりも、余程早く、そして力強く、己の打った刀への縁を手繰ったに違いない。

 脳内で理屈を組み立て、解し、受け止める。静かに下ろした瞼の裏に浮かび上がったのは、──聖人のような落ち着きと声色で、悪魔のように囁いた魔術師だった。

 自身がカルデアに所属していることが何よりの証明。言うなれば、夢の終わり。

「……セイバーと一緒に、生きたかったな……」

 人間とはどこまでも欲深い生き物だ。千尋がマリスビリーの下についたのは、もう一度斎藤と会いたかったから。
 とはいえ、“会う”というのは結局、願いを諦めきれずに妥協に妥協を重ねた最低ライン。聖杯に懸ける望みは、2004年に出会った斎藤一と共に生きること。──カルデアで斎藤を召喚したところで、叶わない願いだ。

(……死人に肩入れしない方がいい、か……)

 友人からの忠告を思い返し、千尋は自嘲気味に笑う。両手に持った刀を鞘に収め、真っ直ぐ斎藤を見据えた。

「大好きだよ、セイバー。出会った日から、ずっと」
「……ああ。知ってる、俺もだよ千尋」

 斎藤が頭を撫でると、千尋はへにゃりと笑った。カルデアに召喚されてから向けられていた作り物、それとは全くの別物である笑顔に、斎藤は安堵する。……ちゃんと心から笑える環境にいるのであれば、それでいいと思えた。

 千尋の中の複雑な想いが消化し切れたとは言い難い。それでも、吐き出したことで整理できたのも事実だった。自責も、理不尽な癇癪も、諦念も、最終的に行き着く先は、斎藤への親愛だ。
 十二年の時を経て、ようやく、諦めがつきはじめた。

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