京都での出会いが「はじめまして」ではなかったのだと知っていたのは、ロマニ・アーキマンだけであった。
と言っても、言葉を交わしたのは確かに京都が初めてではある。ただ、自分が彼という人間を知っていたのだと気づいたのは“再会”から数年後のこと。
カルデアの所長であり、ロマニをカルデアに迎え入れた恩人であり、友人であり、──元・マスターであったマリスビリーから、紹介を受けた時だ。
「紹介するよ、アーキマン。本日付けで技術スタッフとして籍を置くことになった、斎条……ああ、すまない。今は、藤田千尋だったね。彼はセイバーのマスターだ」
マリスビリーの言葉を聞いて、ロマニは大きく目を見開いた。
2004年の冬木市で行われた聖杯戦争のことを、まさか口にするとは思わなかったのだ。ロマニ・アーキマンという人間の真実すらも話しているのか。あの戦争の関係者と自分は知らぬ間に関係を築いていたのか。
驚いていたのは何もロマニだけではない。千尋も、マリスビリーの顔を凝視する。驚愕に染まる二人の顔を愉快そうに見つめるマリスビリーは、ロマニを「聖杯戦争での助手」であると語った。……キャスター・ソロモンが聖杯に願い、人間として生きているのだとは、言わなかった。
京都でロマニが千尋と出会った時、セイバーのマスターであるとは気づかなかった。それもそのはずで、“キャスター”は確かにセイバーとそのマスターの存在を認識してはいたが、記憶に刻む程の興味を抱いてはいなかったのだ。
ただマスターに指示されるがままに千里眼で監視し、肉眼で直接捉えたことすらないはずだ。
聖杯戦争の優勝者がマリスビリーであるなら、当然千尋は敗者である。ロマニが
勝者の助手だと知った千尋は、どこか複雑そうにしながらも「縁があるな」と笑い、握手を交わした。
マリスビリーは聖杯戦争において、斎条千尋以外のマスターを全て抹殺した。
千尋が生き残れたのは、サーヴァントの退去と同時に令呪を失っていたからだ。サーヴァントを殺しても令呪が残っていれば、マスターを失ったサーヴァントと再契約をする可能性がある。しかしライダーとの戦いで全ての令呪を使い果たした千尋は、聖杯戦争への復帰が不可能だった。だからマリスビリーは見逃した。
「さしものライダーも、霊核を砕かれ、マスターを失えば退去せざるを得ないだろう。ライダーの排除に免じて、セイバーのマスターは捨て置こうか」
当時、マリスビリーはキャスターにそう語った。セイバーとライダーが鎬を削る裏で、ライダーのマスターを殺していたキャスターは、己のマスターがセイバー陣営をまるで危険視していなかった事を知っている。
まさかあそこまで食い下がるとは、とマリスビリーは称賛のつもりで千尋を見逃したのだ。キャスター陣営にとってもライダー陣営はそれなりに厄介で、真正面から戦うのは避けたかった。できれば他の陣営にライダーを倒してもらいたいと考えていたが、その“他の陣営”の候補に、セイバー陣営は並んでいなかった。
理由はセイバーが『斎藤一』であったからに他ならない。千里眼を用いてセイバーの過去を視たキャスターが、真名を導き出していた。
最優のクラス、土地の知名度補正があると言えども、あまりにも“新しい”。事実、セイバーは神代の生まれであるライダーに対し、防戦一方だった。令呪を二画消費し、マスター殺しに気づいたライダーの不意をついて、ようやく相討ちだ。……初めから剣の間合いで戦えたのであれば、優位を取れたやもしれないが。
運良くマリスビリーに見逃された少年と、人間になれた自分が偶然出会い、カルデアで共に働くことになるなど夢にも思わなかったロマニ。
マリスビリーに倣ったのか、自分がそう思い返したくはない記憶なのか。千尋は聖杯戦争のことをあまり語らなかったが、一度だけ、「キャスターの真名ってソロモンなんだってな。……はぁ、そりゃ勝つよ」と愚痴っぽくロマニの前で零した。
2004年の冬木市で行われた聖杯戦争を知る人間は、カルデア内に三人しかいない。
魔術協会でも認知しているのはほんの僅か、限られた人間だけだ。アインツベルンが提唱した第三魔法の実現がどうとか、大層な謳い文句を掲げられていた割に、世界の認識は小さな片田舎で行われた、小さな儀式でしかなかった。冬木市に住んでいた人々ですら、聖杯を巡る争いが会ったことを知らない。
ささやかなような、大きいような。そんな秘密を共有しているからか。
──ロマニは順調に千尋との友情を築いた。
マリスビリーに紹介されたとて、聖杯戦争の参加者だったとて──後者に至っては、だからこそ。
最初こそ、距離を置こうとした。己が抱える秘密を悟られる訳にはいかないからだ。誰が味方で誰が敵かも分からないのだから。
けれども、いつからか。気づいた時にはロマニの心に千尋が隣合っていた。
手を差し伸べ、肩を並べて歩き、好物を分け合って、知識を共有し、軽口を叩き合って、互いを尊重する。
いずれ来る人理焼却への不安と焦りは常に付き纏っていたが、それでも日々は色づき、「楽しい」と心から口にすることができたのだ。なるほど、人間が語る『友情』というものを、一から築き上げるのはこういう事なのか、と。
彼が土足で、ロマニの心に踏み込んだ訳ではない。ロマニ自身が、隣に並んでいたのだ。
そうしたいと思ったから、思っていたから。千尋はそれを許容した。
仲を深めれば深めるほど。友愛を抱くほど。互いを理解していくほど。
……ロマニは千尋から離れたくなった。明確な一線を引き、後退したいと、強く思うようになった。
彼が嫌いになった訳ではない。今更警戒心を取り戻して上辺だけの付き合いをしようとも思えない。彼を知ってしまったからこそ、ある種の罪悪感が芽を出したのだ。
「セイバー……斎藤一を、もう一度召喚したいんだ。だから
カルデアに来た。アイツ、じゃない、マリスビリー所長が、英霊召喚システムを確立すると言っていたから」
千尋は語った。
聖杯戦争に懸けていた望みは、セイバー・斎藤一の受肉なのだと。斎条家から離れ、共に世界を見て回るのが夢なのだと。
奇しくも、千尋が語ったそれを、ロマニは行っていた。聖杯に受肉……人間になることを望み、ロマニ・アーキマンとして世界を巡った。カルデア赴任前の旅路は、人理焼却の原因究明と対処を身に付ける為のものであったが、たとえ人理焼却という理由がなくとも、ロマニは国々を渡り歩いていただろう。
聖杯戦争は、読んで字の如くだ。戦いなのだから、敗者の願いが叶わないのは自明の理。千尋とて、勝者であるマリスビリーに「お前が勝たなければ」などと言ったりはしない。“助手”であったロマニに「なんで俺が負けたんだ」と言うこともない。──ソロモンが、ロマニ・アーキマンになったという真実を知ったところで、大層驚くだけだろう。
千尋の人柄や性格を知ったロマニは、それが分かっている。分かっていても尚、真実を知られる事を恐れていた。万が一にも、突き放されたら。この心地良いと形容していい関係に亀裂が入ったなら。
しかしロマニは、そんな恐れを抱いてしまうからこそ、同時に覚悟もしていた。
……そんな日が来るかは分からないけれど。もしも、千尋に『ロマニ・アーキマン』という人間について問われたのならば、誠意をもって真実を語ろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチにも見抜かれた本質を、彼よりも長い時間を過ごしている千尋が勘付かないとは思えない。千尋は決して鈍感ではないし、疑惑だけは抱いていてもおかしくなかった。そういう素振りをロマニの前で見せたことは、なかったけれど。
──ロマニの腕に付けた通信端末が鳴る。
《ロマン、ちょっと諸事情で豚汁作ったから食いに来いよ。たくさんあるんだ》
千尋からの通信だった。諸事情とは一体何だろうか。食堂にいるのか、ざわざわと賑やかな声が微かに聞こえてくる。
「キミが作ったの?」
《ああ。料理は久々だったけど……村正にも好評だから、味の心配はしなくていい》
「へえ。それなら食べに行こうかな。すぐに向かうよ」
通信を繋げたまま、ロマニは医務室を出て、廊下を大股で進む。
「諸事情って何?」
《んー? ああ……村正と立香ちゃんにお詫びをなー……》
お詫び? と聞き返すロマニの声は、千尋自身の声にかき消されてしまったようだった。《一ちゃん、これ持ってってくれ》というセリフが聞こえ、ロマニは目を瞬かせた。
どうやら自分の知らない内に、千尋は気持ちの整理をつけたらしかった。本人かダ・ヴィンチ、どちらに詳細を聞こうかと考えていると、千尋が《早く来いよ》とロマニを急かす。
「今向かってるところだよ。え? もう豚汁なくなりそうだったりする?」
《いや納豆が……》
「じゃあ急かす必要ないじゃないか!」
《あぁ!? 日本人なら白米と納豆とみそ汁は鉄板だろうが! 今日は豚汁だけど!》
「ボク日本人じゃないから!」
小さく、「おかわり!」という溌溂な声と「冷奴もあると伝えてくれ」という低い声が聞こえてくる。藤丸とエミヤの声だろう。納豆と豆腐は原材料が同じだったはず、日本人って大豆好きすぎないか? とロマニは苦笑して、「もうすぐ着くよ」と告げた。
食堂では、頭に大きなたんこぶを一つこさえた千尋が、ロマニを迎えた。思わず吹き出しそうになるのを堪えると、それを見ていたダ・ヴィンチが大口を開けて笑う。斎藤に「僕の孫と仲良くしてくれてありがとうねぇ」と保護者っぽいことを言われた。
「ほら、俺特製豚汁。実はワイバーンの肉も入ってる」
「えぇ? でも村正が太鼓判押すならおいしいのか……」
「納豆もあるぞ!」
「いらないよ!」
──もう少しこのぬるま湯に浸かっていたいと、ロマニは思う。
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