第四特異点・死界魔霧都市ロンドン──聖杯を目前に藤丸達の前に現れた、魔術王ソロモン。彼をカルデアの管制室から観測していた千尋は、喉に小骨が引っかかったような違和感を覚えた。
自らを魔術王ソロモンと名乗り、時に邪悪に、時に理性的に、言葉を紡いでみせる存在は、確かにその名に相応しい強大さを有しているように思う。しかし、彼は──朧気ながらも千尋の記憶に刻まれていた『キャスター』は──“ああ”だったろうか。
……冬木から去る道中、冬木教会の前を走り抜けた千尋。教会は真っ赤な炎に包まれ、壮麗な外観を失っていた。
炎の前に立つ、誰か。それに気づいた時、千尋の足は止まった。聖杯戦争から離脱し、斎条家から逃げおおせる為にも、早くこの場から立ち去らなければと思うのに、何故だか釘付けになってしまったのだ。
豊かな白い髪と浅黒い肌が、揺れる炎に照らされている。直感が、サーヴァントだと告げていた。
自身の盾であるサーヴァントを、千尋は見送った直後だ。マスターであったことを気づかれれば、殺されるかもしれない。一度止めてしまった足を再度動かせば、幸いにもこちらに背を向けているサーヴァントに気づかれてしまうだろうか。
千尋がごくりと生唾を飲み込んだ時、サーヴァントは徐ろに振り返った。視線が交わったかは定かではない──千尋は弾かれたように駆け出し、逃げた。そのサーヴァントが千尋を追ってくることはなかった。
マリスビリーから、聖杯戦争において彼が召喚したサーヴァントがソロモンだと聞いた時、間違いなく“彼”だと確信した。その確信を、第四特異点で裏付けられた。
2004年の聖杯戦争で見たサーヴァントは『ソロモン』だった。『ソロモン』を名乗る存在と容姿が一致している。しかし、人理焼却を為した魔術王は『ソロモンの皮を被ったなにか』だ。……便宜上、第四特異点に現れた存在を『魔術王ソロモン』とは呼称したが、千尋はずっと、ソロモンではないのだろうと思い続けていた。
◆
ソロモンの潜む最終特異点との時空融合を果たしたカルデア。マスター・藤丸立香と彼女のファーストサーヴァント、マシュ・キリエライトは決着をつけるべく時間神殿を目指す。
そこに立ちはだかるのはソロモンの使い魔である魔神柱たちだ。『72柱存在する』という概念の下構成されている彼らは、たとえ一柱倒したところですぐに“72柱”に戻ってしまう。そもそもが、一柱でも脅威となる存在が72柱同時にかかってくるとなれば、最早勝ち筋を探せという方が難しい。
時間神殿に辿り着く前に、カルデアは敗北する。それを覆すべく現れたのは、藤丸が各特異点で縁を結んだサーヴァントたちだった。
人理の危機を救うべく、藤丸と結んだ縁を辿り、特異点へと馳せ参じた英霊たち。──藤丸の人徳あってこそだと、千尋は強く実感した。
この最終局面で、レイシフト適性の低さなどを考慮している場合ではない。千尋は藤丸たちと共に特異点へレイシフトし、拠点であるカルデアを潰さんとする魔神柱を相手取っていた。
英霊たちの奮闘により、いくら72柱いると言えども、魔神柱がカルデアに割ける戦力は微々たるものだ。
原初のルーンによる強化。千子村正が打った宿業さえも断つ刃。
それらを用いて、限界まで体を酷使し、千尋は村正と共に防戦に徹する。生身の人間が、一介の魔術師風情が、ソロモンの使い魔を倒すなど土台無理な話だ。──けれど、凌ぐ程度ならば。
「村正!!」
「おうよ! 折れねえ曲がらねえ!」
村正の攻撃に合わせ、ルーン魔術でサポートをする。息の合った連携はカルデアで培った絆の賜物だ。
魔神柱の苛立ちを確かに肌で感じ取りながらも、千尋は挑発的に口角を上げてみせる。
「バテちゃいねぇか、マスター」
「ああ。問題ないよ」
外付けの回路が軋んだ気がした。刻印が心臓を無理矢理動かしている気がした。喉の奥から、鉄臭さが込み上げてくるような。
それら全てを無視して、千尋は村正と共に駆ける。そうする以外にないのだ。
……藤丸とマシュが時間神殿の玉座へと進んだ背を見送って、どの程度時間が経っただろうか。
千尋が魔神柱へ向かって駆けだし、一太刀浴びせたのち、後方に飛び退いた時だ。
ちょうど着地をした場所のすぐ隣に、ロマニが立っていた。
「……は? ロマニ……」
なんで、という問いが音になることはなかった。いつも通りの笑みで、千尋に振り向くロマニの横顔を見て、何故。──何故、十二年前に見たサーヴァントのそれを想起するのだろう。
ほんの一瞬。遠くから視界に留め、焼きついた『キャスター』の顔が、奇妙なことに
彼と重なるのは一体。
「…………」
「……なにも聞かないの?」
「聞いて欲しいのか?」
千尋が問い返せば、ロマニは困った様に眉を下げた。そんな顔をするくらいなら聞くな、という軽口が喉につかえ、千尋は目を細める。
腑に落ちた。これまで抱いた違和感や疑問が、全てとは言わないまでも解消されたような、妙な心地だった。
「言わなくても、俺の言いたい事は分かるよな?」
「ああ……。ボクの言いたい事も、分かってくれるだろ?」
「…………そうだな」
千尋は右手に持っていた刀を鞘へ収めると、乱雑に頭を掻いて、思い切りロマニの背を叩いた。「いったあ!?」と叫びながら体を仰け反らせたロマニは、恨めしそうに千尋に振り返る。
「ははっ、なんだなんだ。情けねえ」
「ボクの背中を力一杯叩くのなんて、千尋くらいなものだよ!」
「そうだろうな。…………まあ、でも。こんくらいが丁度いいだろ?」
「ああ、うん。気合いは入った」
普段あれだけ言葉を交わしていたのに、この瞬間に限り、お互いに上手く言葉が紡げていないような気がしていた。「あんた、」と言いかけた千尋が、緩く頭を振る。
「お前に後悔がないなら、俺はいいよ。ちゃんと見送ってやるさ」
「──……ああ。ありがとう」
それじゃあ、と歩き出そうとするロマニを、千尋は呼び止める。
「それじゃ、じゃねぇよ馬鹿。こういう時は、ほら」
拳を差し出すと、ロマニは驚いたように目を瞬かせた。丸くした目で拳を見つめると「キミには教えられてばかりだ」と言う。左手の手袋を外し、倣う様に拳を握った。
拳を突き合わせ、互いに笑いかける。
「またな、ロマン」
「うん。また、千尋」
◆
──かくして、カルデアは人理修復を成し遂げた。
人理焼却に際した被害は甚大。人理修復の旅においては、一名が未帰還となった。
所長代理補佐であった千尋は、そのまま所長代理となり、『空白の一年』に関する説明を魔術協会や国連に行うべく、今まで以上に忙しくしている。ダ・ヴィンチだけが「こういうのこそアイツの得意分野のはずだよな?」というぼやきを聞いていた。
目が回るほど忙しい日常を送る中で、ダ・ヴィンチは、千尋がふらりと姿を消すのを目撃した。何となしにこっそりと息を潜めて後を追えば、千尋が向かう先はロマニが使っていた部屋だ。主のいなくなった部屋は、時が止まったかのようにそっくりそのまま保存されている。
部屋の中央で何をするでもなく立ち尽くす千尋は、ダ・ヴィンチの追跡に気づいていたらしい。腕を組み、扉の側に立つダ・ヴィンチに振り返らないまま、「レオナルドは、」と呟いた。
「全部知ってたのか」
「……まぁね」
全部、というのがロマニに関することだろうと察し、ダ・ヴィンチは静かに肯定する。
「俺の方が付き合い長いんだけどなぁ……。アイツの、ことは……、…………」
「勘違いしてはいけないよ、千尋。キミはレフ・ライノールとは違う」
カルデア爆破事件の犯人にして、魔神柱の一柱。レフは最終特異点で対峙した時、ロマニに対しては友情すら感じていたと語った。それを否定したのはダ・ヴィンチだ。ロマニは、自分が召喚されるまで誰一人として信用などしていなかったと、断言した。
「あれは言葉の綾というやつだよ、分かるだろ? ……アイツだって、キミのことは友だと思っていたさ。かけがえのない、人間となって初めてできた友だとね」
「……そう、そうだよな」
間違いなく、自分達の間には絆があった。千尋はそれを疑うことはないが、だからこそ、何故と思ってしまう。──ダ・ヴィンチには明かしていた様子だったのに、と。
昔から何かを隠していることは察していた。マリスビリーとはどこで知り合ったのかだとか、あれ程の魔術師が助手など必要とするのだろうかとか、自分と知り合う前にはどんな人生を送ってきていたのだとか。気になることは幾つもあった。
ただ、千尋自身、彼から信頼されている自覚がなまじあった為に、聞くことができなかったのだ。時が経つごとに聞きづらくなった。
話さないのは自分がそれに値しないから。
或いは、取るに足らない事だから。──なにせ、未来へ進む毎日は楽しかった。
「だからこそ話せなかったんだ。……私がこうして語るのも、なんか違う気がするんだけどねぇ。本人がいやしないんだから、しょうがない」
「俺だから……、ああ、もしかしてアイツ……」
千尋は溜息と共に「馬鹿だなぁ」と悪態をついた。まったく笑えないと言いながら、力なく乾いた笑いを零す。
「俺が……いや、それはないか。引け目を感じるくらいなら、開き直っちまえばよかったのに……。馬鹿だなぁ」
「…………私からすれば、二人とも大馬鹿さ。気遣いなんて必要ないくらい、仲が良いのにね」
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