当機立断

 虚数潜航艇シャドウ・ボーダーの医務室で、千尋は目を覚ました。ベッドの側でずっと待機していた村正が気づき、すぐにダ・ヴィンチを呼んだ。耳に膜が張られているように、音が籠っていた。若干鉄の味がする喉は乾燥していて、声を発そうとすれば咳き込んでしまう。村正が千尋の体を支え起こし、水差しを咥えさせた。少しずつ冷たい水を嚥下し、千尋はまた寝転んで息を吐いた。
 そのタイミングでダ・ヴィンチが現れ、「千尋?」とオリジナルよりも幾分高い声で呼びかけた。

「……グラン・カヴァッロ」

 千尋が口にしたのは、彼女の真名だった。レオナルド・ダ・ヴィンチその人から、事前に聞いていた名前。ダ・ヴィンチは「その名前で呼ばれたのは初めてだ」とどこか悲しげに微笑んだ。

「体調は? 自力で起き上がれるかい?」
「いや……もう一日は、無理だな……。明日には、うん、元に戻る」

 力の入らない手を握ったり開いたりして、千尋は自身の体を判断した。自分の体内に埋め込まれた他人のモノを無理矢理使った反動は大きい。それでも意識さえ戻ってしまえば、後は魔術でどうとでもできる。
 千尋が自分自身に行う暗示や誤魔化しに、友は決していい顔をしなかったが、いない人間の顔色など窺っていても仕方がない。

「皆は、どうだ? マシュは、立香ちゃんは?」
「落ち込んでいるし、戸惑ってもいる。この先のプランは考えたけれど、不確定要素が多いし、情報も少ないからね……。立香ちゃんは、キミのことをずっと心配していたよ。目が覚めたことを知れば、少しは安心できると思う。マシュの容体もひとまずは落ち着いている。……以前のように戦うのは、やはり難しいけどね」

 分かった、と千尋は首肯する。

「明日まで俺のところには誰も連れて来ないでくれ。起きたことは伝えていいから」
「うん、分かったよ」
「鼠一匹入れやしねえさ」

 村正がそんな頼もしいことを口にした時、愛らしい鳴き声と共にフォウが顔を覗かせた。入ってやったぞとでも言うように村正の顔を見ると、ベッドに寝転ぶ千尋の上に乗った。村正は額を押さえ「一本取られたぜ」と苦笑する。

「珍しいな、フォウが俺のとこに来るなんて。心配してくれたのか?」
「フォウ! フォウ!」
「んー……俺にはマシュみたいに何言ってるかは分からないなあ」

 指先で軽く顎を引っ掻いてやれば、フォウは目を細めて気持ちよさそうにした。千尋の上でじゃれるように何度か飛び跳ねると、軽い足取りで医務室を出て行く。

 そういえば、とたった今思い出したかのように、村正が口を開いた。

「新所長とやらが顔を青くして、儂のマスターが起きねえのかって何回か聞いてきたぜ」
「はあ……? 死体を乗せるのは憚られるってか? ボンボンが」
「千尋。もう、キミってばホントに魔術師嫌いなんだね」
「まあな。あいつの人間性については……これから、判断するさ。魔術師だからって、無条件に嫌う訳じゃねえぞ、俺は……一応な……」
「うん。そうだってことは、ちゃんと知ってる」

 千尋は重くなりつつある瞼を持ち上げると、一度深呼吸をした。

「……悪い。新所長を呼んでくれ」
「明日にしといた方がいいんじゃねぇか?」
「いや……早めの方が、いいだろ」

 気絶から目覚めただけで、体は休養を求めているだろうに、それでも千尋は上半身を起こそうとする。村正は溜息混じりに「寝てろ」と言い、ゴルドルフを呼ぶために立ち上がった。
 己のマスターを突き動かしているものを考えながら、静まり返った狭い廊下を歩き、司令室へと顔を出す。村正に気づくやいなや体を強張らせたゴルドルフに「マスターが呼んでる」と端的に告げる。顎をしゃくって廊下を示せば、ゴルドルフは何も言わずに村正に着いて来た。

「そうビビるこたねぇだろ。取って食ったりはしねぇよ」

 シャドウ・ボーダーはそう広くない。言葉を選ぼうとするゴルドルフが何か返事をする前に、医務室へ辿り着いた。

 ゴルドルフの姿を確認した千尋が、片手を小さく挙げる。

「どうも、ゴルドルフ新所長殿。寝転んだままで悪いな」
「い……いや……構わんとも。私は寛大だからな。うむ……」

 ……ゴルドルフがカルデアに初めて赴いた際、中央管制室で不敵にも握手を求めてきた人物とは、かけ離れている。肌は青白く、隈も濃くなっているように思う。今にも命が尽きそうなほどやつれている相手に、何故呼ばれたのかと、ゴルドルフは思考を巡らせていた。

「仮……いや、仮じゃないが……。アンタはカルデアの、所長になったワケだからな。伝えなきゃならんことが……いくつか、あって……呼び出した」
「む……? 業務的な事ならば、体調が戻った時にでも……」
「まずは」

 千尋はゴルドルフの言葉を無視して話し始める。医療知識がそうある訳ではないゴルドルフが見ても、今の千尋は死に体と言って差し支えないのだが、その両目だけがギラギラと命の灯火を宿していて、ゴルドルフは思わずそれに気圧され、口を噤んだ。

「カルデアの所長代理……いち、職員として……買収に、感謝する」

 は、とゴルドルフは小さく息を零し、目を丸くした。

「確か、組織がどうとかと、講釈垂れていたと思うが……実際その通りでな……。『フィニス・カルデア』という組織を、バラバラに解体されて、買い取られたんじゃ……俺にしても、不都合とか不安が……残る。アンタが丸ごと買ってくれたおかげで、心配事が、減ってたんだよ。それは、感謝、しなきゃだろ」

 掠れた声で、千尋は「ありがとう」と言った。
 震える声で、ゴルドルフは「皮肉かね」と問う。

「感謝くらい、素直に受け取れよ。皮肉はまた今度……な」

 はは、と笑い、千尋は「次に」と話題を変える。

「俺の話だ。他言無用で……頼みます」
「……あ、ああ……。その、今そうして横になっている理由かね?」
「そうだ。俺の体には、とある魔術家系の刻印が刻まれてて……まあ、簡単に言えば、それが悪さしてる……」

 俺は“接木”なんだ、と何でもない様なトーンで言う千尋。ゴルドルフはその言葉が意味するところを正確に理解した。
 理解した上で思わず、「──愚かな」そう喉の奥で零した。

 千尋はゴルドルフの言葉を己へのものではなく、斎条家への物だと受け取った。きょとりと目を丸くすると、声を上げて笑う。

「はっはは! ハァ、言ってくれるな。ふふ、気分が、良くなった。ありがとう……ゴルドルフ、新所長殿」
「…………」
「庇い立てする気はないが……上手いこと、やってたんだぜ? 俺が、台無しに、しただけさ」

 ──ゴルドルフがカルデアを買収した際、職員の情報をまとめた資料に目を通した。
 その中で、おおよそ過去というものがまともに存在しないスタッフが幾人かいたが、藤田千尋はその一人だ。

 カルデアに就任した頃からの記録しかない彼はしかし、カルデアを脱出する際に『2004年の聖杯戦争』と口にした。その言葉の意味するところから、彼の過去を構築することは、現段階においてゴルドルフには難しい。

「何故、その話を私に?」
「そりゃあ上司になる訳だからな……知っておけ。いつ、補佐がいなくなるか、分からんぜ? ──ま、当分……死んでやるつもり、は、ないがな」

 不敵に笑い、千尋は「最後に」と改めてゴルドルフを見据える。

「逃げきれなかったスタッフ達のこと……悼んでいるだろうが、気にするな。責任は負わなくていい。彼らの命を預かっていたのは俺だ。アンタは新所長だが、あの時はまだ……その立場になかっただろう?」





 ……ゴルドルフとの話を終えて、再び眠りについた千尋が規則正しい呼吸をしていることに、ダ・ヴィンチは胸を撫で下ろす。

「……よかった。ちゃんと話せて」

 眠ったまま、いずれ呼吸が止まってしまうんじゃないかと思った。
 前の自分とは違う自分に、他人行儀になるのではと思った。

 抱いていた不安はどちらとも無事に解消された。ダ・ヴィンチは小さな手で千尋の額にかかった髪をどける。どちらの不安を汲み取ったのか、村正が静かに「そうだな」と同意を示した。

「知識としてはあるから、推測はできるんだけれど……どうして千尋は、ああも責任を負いたがるのかな。普通、押し付けてしまった方が楽じゃない?」

 絶対にそれをしない人間だ、という確信を持った上で、ダ・ヴィンチは呟いた。
 ゴルドルフが招いた事態だと咎めてしまえばいい。それを真っ当に否定できる者としようとする者は、恐らくいないのだから。

「そらァ、そうしたいからしてんだろう。儂も阿呆だと思わないでもねェが、ま、自分が背負い込んだモンで潰れるほど柔じゃねぇよ。儂のマスターはな」
「……うん。ふふ、そっか」

 微笑み、頷いたダ・ヴィンチは跳ねるように出入口へ向かう。

「じゃあ私は立香ちゃんたちに千尋のことを伝えてくるね。村正、千尋をよろしく」
「おう、任せろ」

 小走りで医務室を出て行くダ・ヴィンチの背を、村正は見送った。





 白紙化された人類史を取り戻すべく、漂白された地球を元に戻すべく。
 カルデアは各地に点在する、本来有り得ざる歴史で紡がれた、異聞帯の攻略を開始した。

 最初に向かったのはロシア異聞帯。虚数世界に潜っていたシャドウ・ボーダーが実数世界に浮上するにあたり、殺戮猟兵オプリチニキとの縁を辿った。
 そびえ立つ空想樹こそが、異聞帯を現実世界に固定する楔である。ロシア異聞帯を担当するクリプター、カドック・ゼムルプスと彼のサーヴァントであるアナスタシアを打倒し、カルデアは空想切除に成功した。

 続く北欧異聞帯、中国異聞帯。──カルデアは計三つの異聞帯を攻略し、新たな拠点を得た。
 彷徨海、バルトアンデルス。テクスチャの隙間を漂う島に、シャドウ・ボーダーを招き入れたのが、シオン・エルトナム・ソカリスだ。アトラス院院長の娘である彼女は、汎人類史を取り戻すべく奮闘を続けるカルデアの協力を申し出た。

 彷徨海の中にカルデアとほぼ同一の設備を建造し、ノウム・カルデアと命名。
 シャドウ・ボーダー内では叶わなかった、以前藤丸が縁を結んだサーヴァントたちの再召喚も、少しずつではあったが行われていた。


 ……──そして、再召喚の折にカルデアの現状やまだ見ぬ敵の存在を聞いた、ひとりのサーヴァントが立ち上がった。

「これより聖杯戦線を開始する!!」

 そう宣言したのは、艶やかなバニーガール姿のスカサハである。尚、艶やかなのは衣装だけであり、スカサハ自身があまりにも雄々しくて全然ちっともそういう目で見られない、とは彼女の弟子の談。

 聖杯戦線とは何か。
 マスター・藤丸立香を鍛え上げるべく、スカサハが考案した『疑似聖杯戦争』である。その名の通り、優勝者には聖杯が与えられる。

 離れた場所で同時多発的に行われる戦いを把握し、複数のサーヴァントに適宜指示を出し、敵の狙いや作戦を見極め、勝利への道筋を見出す力を養う……といったもの。
 ルールはいくつか設けられているが、最も重要なのは『マスターが死なないこと』である。マスターが落ちた時点で、どれだけサーヴァントが無事であろうとも敗北となる。

 初回ということで、さしものスカサハもさすがに手心を加えていた。
 藤丸に対するは、マスター適性は若干あるものの経験は一切ないムニエル……もとい、謎のマスター・ミスターMだった。考えることが多い! と音をあげそうになった藤丸だが、サーヴァントたちの助言やマシュからの励ましもあって、順調に勝ち星と掴んでいった。

 聖杯の滴──七つ集めると聖杯一つと交換できる素敵なアイテム──を見事に七つ揃えた藤丸が、頬を緩ませた時だった。

「ボーナスステージに興味はないか? マスター」

 ボーナスステージ? と首を傾げた藤丸は、既に覚悟を決めていた。スカサハがそんなことを口にするということは、おおよそ予定調和で高難易度が用意されているということである。

「対マスターを想定するのであれば、この男を呼ばんわけにはいかぬだろうよ。……そうであろう!?」

 スカサハの呼びかけに応え、現れたのは千尋だ。口元に浮かべた苦笑いが、彼の高祖父そっくりである。

「うん……そういう事なんだ、立香ちゃん」
「お、お手柔らかにお願いします」
「お手柔らかにすると俺、殺されちゃうからごめんね」

 立香の申し出はすげなく却下された。「分かっているではないか」とスカサハが千尋の肩を叩く。離れた場所で千尋を見るクー・フーリンの目は、哀れみに染まっていた。

「千尋に勝った場合の景品は伝承結晶だ」
「伝承結晶!? ほっ欲しい!」
「うんうん、では励めよ?」

 景品につられ瞳を輝かせた藤丸に、スカサハは満足げだ。

「今回はクラスのみならず、サーヴァントもこちらで指定させてもらう。千尋と立香、双方のな」

 ──負けることは許さんぞ?
 妖艶な唇が弧を描く。「……怖」という呟きが、藤丸の耳に届いた。


〔マスター・藤丸立香〕
マシュ・キリエライト:シールダー
ビリー・ザ・キッド:アーチャー
トリスタン:アーチャー
アナスタシア:キャスター
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〔マスター・藤田千尋〕
千子村正:セイバー
巴御前:アーチャー
エレシュキガル:ランサー
燕青:アサシン
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