熱願冷諦

 藤丸の背後を取るべく古城の上を駆ける千尋は、ふはっと上機嫌に笑いを零した。

『アーチャーの坊主にバレたぞ。もういいのか?』
「ここまでやってくれたなら上々だ。カウンターに気をつけて、後は好きにやってくれ。燕青もありがとう」
『呵呵! お安い御用だ』

 スカサハが終了を告げるまで──勝利が確定するその瞬間まで、油断はしない。だが作戦通りの事が運んでいることに対する喜びくらいは、顔に浮かべても許されるだろう。

「大一番だ、頼むぜ?」
『…………』

 霊体化させたまま、一度も姿を晒させていない千尋陣営の自由選出枠のサーヴァントに、そう声をかける。返事らしい返事がないのは、ここまで気配を消させていることへの不満なのか、集中力を高めているかなのか。


 ……千尋が考えた聖杯戦線における作戦は『立香ちゃんより先に突飛なことをし続けよう』である。
 人理修復、そして数多の微小特異点へのレイシフト等、今までの経験に基づいた咄嗟の判断力に優れる藤丸。魔術世界に身を置いていなかったからこその柔軟な発想が、その命を幾度となく繋いでいる。時にはカルデアで、時には共に特異点で、彼女が戦う姿を見てきた。
 スカサハにはそれこそ、藤丸よりも優位に立つ存在として『特別戦』のマスターに選ばれた千尋だが、手を抜けばスカサハに死なない程度に殺されるということを抜きにしても、藤丸は侮れる相手ではない。

 勝負というのであれば、必ず勝つ。──魔術師らしく、どんな手を使っても。

 “レイシフト適性”というカルデアにとっては最重要の一点を除けば、千尋は藤丸の上位互換と言える。
 聖杯戦争に参加した経験があり、マスター歴は10年以上、斎条家に“傑作”として仕立て上げられただけはあって魔力量も多く、魔術刻印もある。加えて無敵流を修め、サーヴァントのみならず自分自身も戦える。

 規格外ばかりが集まったAチームと比べられては千尋も困るが、藤丸よりもできることは遥かに多いのだ。

 戦線の決着がつくまでの間、自陣有利の状況を保つ為にエレシュキガルに令呪三画を捧げた。
 燕青のスキル〔ドッペルゲンガー〕やランスロットの宝具『己が栄光の為でなく』フォー・サムワンズ・グロウリーなどを参考に術式を組み上げた、簡単な変装魔術を村正に施した。まだまだ改良の余地しかないお粗末なものだが、視界の悪い場所で使う分には十分なクオリティだ。“マシュが藤丸の傍にいるように、千尋の傍には村正がいるはず”という共通認識を利用した。
 村正と自分には、クー・フーリンから教わった隠密のルーン──彼が唐突に姿を現す際に使用するもの──を使い、疑似的な〔気配遮断〕とした。
 千尋と共に行動していた燕青が再現していたのは、村正の見た目のみだ。斎藤の前には千尋が先に現れることで、〔気配遮断〕を魔術によるものだと誤認させた。当然、燕青は刀剣の投影はできないので、事前に千尋の刀を渡していた。

 概ね作戦通りに。そして各自が適当な行動をとっているおかげで、千尋陣営の有利は揺らいでいない。
 村正扮する燕青の前にビリーが現れた時は、千尋も少しばかり不安を感じたが、村正は千尋がオーダーし、信じた通りに仕事をこなしてくれた。〔刀剣審美〕による武装への深い理解と因果すら見切る〔業の目〕を以て、村正はビリーを留め続けた。


 千尋が裏から辿り着くより先に、藤丸とマシュは中央までやって来た。藤丸の手の甲にある令呪が強く輝く。

「令呪を以て命ずる──マシュ、二人を守って!」
「以前のようにはいきませんが……!」

 赤雷と火の矢、不可視の矢と氷の息吹。
 激しい攻防に、嵐が吹きすさぶ。

「させるものですか!」

 エレシュキガルが檻を鳴らす。地面から現れた恐竜の頭蓋を、鋭い声で「ヴィイ!」と呼び掛けたアナスタシアが凍結させる。指先に血が滲むほど激しく、トリスタンが弦を弾いた。

「真名、凍結展開。これは多くの道、多くの願いを受けた幻想の城──呼応せよ!
いまは脆き夢想の城モールド・キャメロット』!」

 彼の王が想いを馳せた白亜の城──その残滓。綻びだらけのそれはしかし、大切な人達を守るという決意のもと、そこに在る。
 苛烈を極めるエレシュキガルと巴御前の攻撃を精一杯防ぐマシュが「マスター!」と叫んだ。

「続けて、令呪を以て命ずる! トリスタン、アナスタシア、宝具を!」

 マシュの宝具越しに、令呪の輝きを見るエレシュキガル。中央にいる藤丸陣営のサーヴァント全員が宝具を開帳する、それを悟ると「巴、下がってなさい!」と命じた。

「は。いえ、しかし……」
「心配には及びません。私は冥界の女主人、冥界ここで私に傷をつけることなんて出来はしないわ」

 あのイシュタルだって、と呟いたエレシュキガルは藤丸たちを見据える。千尋だってまさか、何も考えずにエレシュキガルに宝具を受け止めろなどとは言わない。

(……言わないわよね?)

 ……エレシュキガルの脳裏に現れたイマジナリー千尋が「ごめん! もう魔力無いからー」と言いのけた。その無責任な笑顔を頭から振り払い、大王冠もあるのだからと自身に言い聞かせる。

 ヴィイが瞼を持ち上げた。

「ヴィイ、全てを見なさい。全てを射抜きなさい。我が墓標に、その大いなる力を手向けなさい。──『疾走・精霊眼球ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ』!」

 因果律さえも捻じ曲げて、弱点を創出するヴィイの魔眼。透視の魔眼が射抜いたものは、この冥界を支配する女神・エレシュキガルだ。
 そして、弱点を貫くのは哀しみの子。

「痛みを詠い、嘆きを奏でる……『痛哭の幻想フェイル・ノート』──これが私の矢です」

 トリスタンが弓を引く。
 マシュは前方からの攻撃を防ぐ為に宝具の展開を続け、アナスタシアもエレシュキガルを見つめていた。矢をエレシュキガルへと向けるトリスタンは、しかし、背後から近づく伏兵に気がついていた。

「見事な作戦でした。しかし……一歩足りない。それを阻むのが、我々サーヴァントであるが故に」
「……耳が良すぎねえか?」

 藤丸の背後から現れ、刀を振り抜こうとしていた千尋は、トリスタンの弦に片足を取られていた。無理に動かそうとすれば、すっぱりと切れてしまう。「千尋さん!?」と驚愕する藤丸を前に、千尋は苦笑した。

「惜しい、あと少しだったな」

 宝具開帳のために意識を一点に集中させるという試みは成功した。その隙に背後へ回り、奇襲を仕掛ける作戦だ。

 惜しむらくは────千尋はやはり囮であるという事実には、辿り着けなかったことか。

「──おまんには恨みはないがぁ、これも仕事じゃき」

 ぬるりと背筋を這うような殺気。藤丸の首に、刀が添えられていた。

「そこまで!」

 スカサハの声が響くと同時に、フィールドは元の姿を取り戻す。刃が退けられると、藤丸の全身からどっと冷や汗が噴き出した。

「い……い……以蔵さん……!? 以蔵さん、なんで!? 千尋さん、い、以蔵さん!?」
「あはは。あとで話すよ。トリスタン卿、足ほどいてくれ」





 腕を組んで仁王立ちになったスカサハが、藤丸と千尋の顔を見る。

「今回の勝敗だが……ギリッギリで千尋の勝利といったところだな!」
「ああ〜! 伝承結晶があ〜!」
「ギリギリ? 概ね俺の作戦通りだったんですけど、スカサハ師匠」

 大いに嘆く藤丸と、やや不満げな千尋。スカサハは千尋を「たわけ!」と叱責した。

「マスターが落ちれば敗北だと言ったはずだが? 終盤、トリスタンに首を切られない保障はあったのか?」
「え? あー、んん……ダーオカがすぐ近くにいたし……。俺が死ぬより立香ちゃんが死ぬ方が早かったし……」
「相討ちでは意味がなかろう。……まあ、終始優位だったのは事実であろうがな」
「……ちょっと詰めが甘かったです。ハイ」

 頭の後ろを掻き、眉を下げる千尋。敗北したにはしたが、頑張ったで賞ということで藤丸には常に困窮している素材のひとつ、英雄の証100個が与えられた。伝承結晶が貰えなかったことに肩を落としていた藤丸だが、一転して大喜びでマシュに抱き着いていた。


 そうして聖杯戦線は幕を下ろし、食堂では打ち上げが行われる事となった。催事となれば、厨房を取り仕切るサーヴァント達は大いにその腕を奮う。

 食堂の中心で高笑いを上げているのは岡田以蔵だ。すぐ側で坂本龍馬がどうにか宥めようと困り顔を見せている。

「わしが大一番の切り札やきなあ! まぁーったく贅沢な奴ぜよ!」
「リョーマ、こいつ殴っていいか」
「ダメだよお竜さん。以蔵さんも、そろそろ水にしておかないと……ああっ」

 手にしていた一升瓶をラッパ飲みする以蔵。坂本は以蔵が吐き戻すことを予期したが、一瞬遠くを見つめ始めた以蔵は、しかし元の調子でツマミを食べ始めた。
 坂本は通りざまに以蔵の背を軽く叩いた千尋に「ありがとう」と声をかける。以蔵の背中にはルーン文字が刻まれていた。酔い止めのルーン……なるものがあるかは坂本には分からないが、概ねそのような効果を付与してくれたのだと考えた。

「食堂で吐かれるのは嫌なんで。……どうしてサーヴァントが酒の飲みすぎで吐くんだろう」
「あはは……」

 千尋はそのまま藤丸達がいる席につく。料理に舌鼓を打っていた藤丸は、千尋の顔を見ると「悔しいなあ」と頬をふくらませた。

「英雄の証はたくさんもらえたけど、千尋さんには勝てなかったし」
「そりゃ俺も簡単には負けられないしなぁ。思い切った事しなきゃ勝てなかったよ」
「初手冥界化は思い切りよすぎでしょ!」
「厄介なサーヴァントが立香ちゃん陣営にいたからさ」

 最大限有利な状況にないと、と言う千尋。藤丸が「トリスタンですか?」と問うと、千尋は首を横に振った。

「トリスタン卿は厄介というより侮れないって感じだな。俺が彼より警戒してたのは皇女様だよ」
「あら……私? どうして?」

 千尋が同じテーブルについているアナスタシアに目を向けると、彼女は静かに微笑んだ。

「〔シュヴィブジック〕──意味は“小さな悪魔”でしたよね。たかがイタズラ、されどイタズラ。ささやかな奇跡の積み重ねで、こっちが大損害を食うこともありえた」

 上品に、ふ、と息をついたアナスタシアは、千尋の言葉を否定しなかった。やろうと思えばそれくらいやってみせるという自信の発露だろう。皇女という肩書きこそあれど、生前はなにかとお転婆な逸話に事欠かないのだ。

 スキル〔シュヴィブジック〕は、アナスタシアの生前のあだ名であり、同時にヴィイを示すものだ。相手を躓かせたり、持ち物を奪ってみたり。そんな小さな、イタズラレベルの奇跡を起こすスキルだが、使いどころによっては相手に大きな隙を作ることができる。予測が難しいそのスキルの存在は、千尋を悩ませることとなった。

「何もさせないってのが大事でさ。だからこその冥界化だよ。エレシュキガルじゃなきゃ出来ないし、最大の強みだ。活かさないとな」
「ふふっ、当然ね。魔力さえあればいつでも……、やってあげるわよ? ……マスター」
「うん! 味方にいると心強いって改めて実感したよ! さすがエレちゃん!」

 エレシュキガルはぽぽぽ、と頬を紅潮させる。サーヴァントたらしだなあ、なんて千尋が微笑ましく見ていると、上から頭をがっしりと掴まれた。
 眉間に深いシワを刻んだ斎藤が、辛うじて笑みを作っている。

「なあんで自由枠で選んだのが岡田なのよ。色々考えてる千尋くんだから? 理由があるんだよなあ?」
「俺が声かけなかったからって拗ねんなよ」
「拗ねてないし!」
「一ちゃんが千尋さんの考え読むより、千尋さんが一ちゃんの考え読む方が的確だったね」

 そんな藤丸の言葉がグッサリと斎藤の胸に突き刺さった。初手冥界化の予想は誰だって無理だと、斎藤は声を大にして言いたい。変装魔術については、斎藤は魔術師ではないので勘弁して欲しかった。最初に千尋を見つけたのは自分だし、という言い訳は藤丸よりも自分に対してのものだった。

「俺が岡田さんを呼んだのはそれなりに高ランクの〔気配遮断〕があるから」
「ハサンの人達でいいでしょ」
「あと魔力消費が少ない」
「他にも燃費いいサーヴァントいるよな?」
「それから立香ちゃん陣営に技量系サーヴァントが多かったから」
「まあ剣の才能は認めるけど、岡田である必要はないはず」
「それでもちろん、一ちゃんへの当てつけ」
「ほらやっぱり!! 九割それだろ!」
「いや? 四割くらいかな」

 以蔵は依然として、自分が如何に今回の聖杯戦線で重要な役目を担っていたかを声高に話している。まともに聞いているのは坂本くらいなものだが、気分良く酒を煽っている以蔵は特に気にしていないようだ。じろりとそちらを睨む斎藤に、藤丸は苦笑いを浮かべる。

「対人魔剣がいいなあって。沖田さんも考えたけど、病弱があるから……」

 ここぞという時。特になんでもない時。沖田は喀血する。霊基に刻まれてしまっている〔病弱〕をコントロールすることはできず、戦闘中に血を吐いて動けなくなってしまうこともあった。華奢な体躯で鋭く重い剣戟を、目にもとまらぬ速さで繰り出す沖田の剣術には千尋も憧れを抱いているが、今回の聖杯戦線においては出来る限りリスクを減らしたかった。

「佐々木小次郎は?」
「彼だと当てつけにならないから」
「生意気な……」
「俺のオーダーを聞いてくれたし、岡田さんを選んで正解だったと俺は思ってるよ」

 ニヤリと不敵に笑う千尋に、斎藤は大きな溜息をつく。生前、そう深い関わりがあった訳ではないが、敵対する立場ではあった以蔵を、自身の玄孫である千尋が頼るというのはなんだか複雑だった。「頼りになるよなあ? 岡田さん」という千尋の言葉に、藤丸も「とっても!」と即答するのだから、斎藤は口を噤むしかない。

「一ちゃんの〔心眼〕が直感に基づくものだったら、不意打ちを避けられたかもな?」

 千尋の指摘に、意地が悪いと斎藤は口端が引き攣らせる。
 〔心眼〕というスキルを持つサーヴァントは複数騎存在しているが、〔心眼〕には、天性の才能、所謂第六感などとも言われる危険予知能力である〔心眼(偽)〕と、自らの経験値……修練によって培われた洞察力である〔心眼(真)〕の二種類がある。斎藤が所持するスキルは後者の〔心眼(真)〕であり、反対に以蔵が所持するのは〔心眼(偽)〕である。

「立香ちゃんとムニ……ミスターMが戦った第五戦でやってた奇襲もそうだけど……。“マスター自らが敵陣に突貫することはない”“マスターは遠くにいるもの”“俺は斎藤一との一騎打ちを望んでる”──みたいな先入観は足下を掬われる原因になる」
「その通り」

 いつの間にか食堂にやって来ていたらしいホームズが、パイプを吹かしながら同意を示した。

「常に別の可能性を。今回の疑似聖杯戦争は良い試みだった。ミス・藤丸、今後とも励みたまえ」
「はい!」
「次をやるなら、景品も豪華にして欲しいところだな。……勝ったけど俺には特に何もないし!」
「ああ、それだがね。ミスター」

 不満を零した千尋に、ホームズがにっこりと微笑んで肩に手を置いた。

「スカサハが近々鍛錬をつけてくれるそうだ。伝言を頼まれた」
「ははは、なんか手頃な微小特異点ない?」
「安心したまえ。観測されていない」
「そっかー、それは何より……、ハァー…………」

 和気藹々とした食堂の一画で、ひとり鬱屈とした空気を纏って項垂れる千尋。それに気づいたクー・フーリンたちが、揃って哀れみの目を向けていた。

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