咬牙陸腹

 午前の授業を終えた昼休み、千尋は学校の屋上でコロッケパンをかじりながら、一冊の本を読んでいた。
 誰も来ないことを確認すると、斎藤は実体化して千尋が何を読んでいるのかと覗き込む。

「……新選組について書いてあるじゃないの」
「うーん、ほえはんまひんへんうみひらねぇからはあ」
「飲み込んでから喋りなさいって」

 行儀が悪い、と軽く千尋の頭を小突く斎藤。千尋は口の中の物を飲み込むと、ページを捲って文字を追う。

「なんか、あんまりセイバーのこと書いてないな……土方歳三は結構詳しく書いてあるけど」
「あぁ……まあ、そりゃそうだろうな。……良くも悪くも、周りに強い影響を与える人だったよ。今も昔も、変わらねぇってことか」
「……ふーん」

 確かに“新選組”と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、土方歳三だ。もしくは沖田総司。新選組、ひいては幕末に生きた攘夷志士など、その辺りの知識は“教科書に名前が載っていた気がする”という程度しかない千尋でも、すぐに名前を出せる人物である。
 サーヴァント・斎藤一の弱点になり得そうな逸話や伝承が知れれば、聖杯戦争を勝ち抜く助けになるかもしれない。そう思って図書室で本を借りてきた千尋だったが、肝心の斎藤について書かれていないことに眉を顰める。

 流し読みをしながら次へ次へとページを捲ると、ようやく“斎藤一”という三文字が目に付くようになった。

「へぇー、セイバーって長生きだったんだ」
「まぁな。子どもにも囲まれたもんよ」
「どうりで爺臭いと……」
「おーい?」

 そこはかとない圧をかける斎藤に対し、千尋は(初めにじいちゃんとか言い出したのはセイバーなんだよな)と素知らぬ顔をして受け流す。
 その本によれば、斎藤一の享年は71歳。子どもは三人。新選組を抜けた後には『藤田五郎』と改名し、警視庁に籍を置いたと書かれている。

 斎藤の短く切り揃えられた髪と、コートの下に着ているスーツ。確かに国の為に働く公務員らしいと言われれば、そんな気がした。同時に、黒塗りの高級車に乗っていそうだという感想も抱くのだが、これは腰に差した日本刀のせいだろう。

「セイバーの子どもってどんな子だった? 正義感強かったり?」
「んー? そうさなぁ……、……ちょっとマスターちゃんに似てるとこあるかもな」
「ふーん」

 自分から聞いた割に興味なさげな返事をする千尋に、斎藤は目を細める。千尋はコロッケパンの最後のひと口を飲み込むと、本を閉じて立ち上がった。

「……オレのどこ見て似てるって言ったのか知らないけど、あんま言ってやるなよ」

 そう言い捨て、屋上から出て行く千尋。まだまだ頼りない背中と、垣間見える仄暗い瞳に、斎藤は重く息を吐く。

 ──平和な時代を生きる17歳の子どもが、あんな目をするべきではないと斎藤は思う。

 今朝、斎藤と打ち合いをし、腹の底から笑っていた姿こそが本来あるべき姿だ。そしてあれこそが、千尋の素であるのだと斎藤は知った。……なら、実の両親に見せるあの顔はなんだというのか。先程の目は。

(……ま、それは後で聞くとして……。千尋にゃ悪いが、ちょいと自由行動させてもらうか)

 斎藤は千尋と繋がっているパスを切ると、霊体化して学校から離れる。セイバークラスでありながら、アーチャーのクラス特性である〔単独行動〕を有している斎藤だからこそ、できる芸当だった。斎藤の持つCランクの〔単独行動〕であれば、マスターからの魔力供給がなくとも、派手な戦闘を行わない限り、1日は現界を維持していられる。

「セイバー……?」





 斎藤が向かったのは斎条の邸宅だ。思わず嘆息を漏らしてしまいそうなほどの荘厳な門構えをしている。

(……そういや、随分他人行儀に言ってたな)

 魔術師の家系として続いているそう、だの。資産も多分それなりに、だの。その口振りは生家の歴史を語るものではなかったように思う。
 千尋の言葉を思い返しながら、斎藤は屋敷の中へ侵入する。孫かその子どもが、この家に嫁いだのだろうか。まさか自分の血統の先に魔術師が生まれるだなんて、想像すらしなかった。

 屋敷の中に人の気配は少なく、使用人の姿も見えない。これだけ大きな家を、持ち主だけで管理するのは難しいだろうと斎藤は思うのだが、窓ガラスが全てすりガラスになっているのを見る限り、人目を避けているのは明らかだった。屋敷を囲む塀が、斎藤の身長をもってしても満足に家の様子を窺えない程高いのも、同様の理由だろう。

 下手に外部の人間を入れられないような理由──後ろ暗いものが、この家にはある。そう宣言しているようなものだと、斎藤は考える。

(千尋の両親……俺の子孫にあたる奴がいるのは、下か)

 不気味な静けさが漂う廊下を練り歩き、斎藤は微かな物音から地下へと続く扉を見つける。
 壁をすり抜けた先、薄暗い階段を下りると、重厚な金属性の扉があった。扉の先から男女の話し声が聞こえてくる。

 霊体化している為、気づかれないだろうというのは分かっていたが、斎藤は息を潜めて部屋へ侵入する。

 そこは如何にも魔術師の工房といった様相を呈する部屋だ。中年の男女が、斎藤にはとんと理解できない機材を扱い、隣の部屋とを行き来している。
 どうにも、どちらも自分の子孫とは思えない魔術師二人を見ながら、斎藤は千尋の母が扉を開けたのに合わせて隣の部屋を覗いた。

「魔術刻印の移植もようやく大詰めだな。回路の本数も随分と増えた」
「そうね。肉体の方も問題なさそうだし、素質が足りている子でよかったわ」

 呆然と立ち尽くす斎藤の耳に、魔術師二人の会話が流れ込んでくる。
 工房に隣接しているのは手術室だ。音が外に漏れないよう設計されているのか、女の足音が不自然な響き方をしている。

 ……いくら魔術師とは言え、医者でもない人間が住む家に、何故こんな設備があるのか。
 わざわざ音が漏れないようにしている理由は? 薄ら寒い地下に建造しているのは何故? 一体ここで何をしている? ──千尋あの子に。

「移植は明日でいいかしら?」
「あぁ、聖杯戦争前に行っておかなければ。……アインツベルンの第三魔法など知ったことか。御三家などと名乗る余所者を出し抜かなければ……」

 斎藤は、固く握り締めた拳を壁に叩きつける。霊体化している状態でそんなことを行っても、壁にも斎藤にも、ダメージはない。当然、千尋の両親が斎藤に気づくこともなく、二人は聖杯が手に入るかもしれないという希望を、嬉々として話す。

(……聞かなきゃならん事が、また増えた)

 今、ここで、こいつらを叩き斬ってやろうか。──そんなことを本気で考える。

 斎藤に魔術のことは分からない。魔術刻印とは、回路とは。一体なんの話をしているのかさっぱりであったが、千尋が人体実験紛いの仕打ちを受けている事は分かった。それが実の息子にする事か。斎藤の腑は静かに煮えたぎり、生理的嫌悪感から吐き気が込み上げてくる。

 ──あの子にあんな顔をさせるのはお前らか。

(こいつらの為に、あの子は自分の命を懸けようとしているのか)

 柄に伸びる手を必死に抑え、斎藤は地下室を出る。
 自分がもう三十年長生きしていれば、斎条なんて家に子どもはやらなかったと、そんな不毛なことを思考した。

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